Cメロ

 ある休日、俺は参考書を買いに本屋へと来ていた。ふと思い立って医学書コーナーへと向かう。

 耳、耳、耳……。

 あった、と指を止めて、思考も同じくぴたりと止まる。耳に関する本のあまりの数の少なさに、愕然としたのだ。

 確かに俺も山都から騒音性難聴なんて言葉を聞くまで、難聴に種類があるなんて知らなかった。聾者も中途失調者も一括りにしていた。

 世間の関心なんてこんなもんだ。この本の少なさがそれを物語っている。

 俺は参考書を買おうと思っていたのも忘れ、本屋を後にした。


   *


 セミの声がじわじわと耳に障る。扇風機をつけないと、そろそろしんどくなってきた。だけどまだ起きたくなくて、俺は布団の中であがいていた。

「譲二ー、お前待ち合わせしてたんじゃねぇの?」

 兄貴の声にぱちりと目を開けた。時計を見やると、まだ七時半だった。待ち合わせの時間にはまだ早い。

「なんか女の子来てっけど」

「は!?」

 俺は飛び起きた。

 俺の部屋を覗き込む兄貴の後ろ、山都がひょこっと顔を覗かせた。

「おはようジョージ! ラジオ体操の時間だよ!」

 カンベンしてくれ……。


 寝起きから準備が終わるまで、全部山都に見られてしまった。

 いや別にいいんだけど……。裸を見られたわけじゃないし……。

 でも仮にも好きな子に全部見られるというのはどうなんだ? 山都がなんにも気にしてない顔なのがまたさらに腹立つ。

「いやー、ジョージってお兄さんと二人暮らしだったんですね!」

「そうだよー。実家がちょっと遠くてね。俺も由真ちゃんみたいな可愛い子が譲二と友達だなんて知らなかったよ。こいつそういうことなーんにも話さないからさー」

 兄貴は昼夜逆転してるんだから仕方ないだろ。珍しく今日は早起きしてるな……。

「ほら兄貴、今日は早出じゃなかったのか? 遅刻するぞ」

「はいはい。二人っきりになったからって手出すんじゃないぞ」

「誰が出すかこんな色気なし女!」

「ジョージひっどーい!」

 兄貴は笑いながら出かけていった。

 まったくもう……。つい口を滑らせたけどどうすんだこれ。山都はぷりぷり怒っている。

 その目が部屋の片隅を向いた。

「ん、ちゃんと準備してたんだね」

 その視線の先には、俺のベースケースがある。

 昨夜、押入れから出すときにはすごく緊張した。実に八ヶ月振り。形が変わってたらどうしようと思いながら蓋を開けたけど、そんなことはなかった。当たり前だ。

 それから俺は念入りに手入れをした。

『八ヶ月も放置しやがって』とベースが言ってる気がした。

『またよろしくな』とも。

 俺は牛乳を注いで、兄貴が用意してくれたトーストとハムエッグの横に置いた。山都の前には麦茶が置いてある。

「おまえ、朝飯はちゃんと食ったのかよ」

「うん? 食べてきたよ」

「そっか」

 俺がトーストにかぶりつくのを、山都は楽しそうに見ていた。


 夏休みが始まった。バンド活動始動である。

 八時を過ぎればもう暑さにうんざりしてくる。俺と山都は楽器ケースを担いで、そんなうだるような暑さのアスファルトの上を歩いていた。

「うん、英語科棟の二階借りれたって」

 リュー先輩からのメッセージだ。山都はスマホを見ながら言った。

 英語科棟は特別教室を挟んでさらに渡り廊下を行ったところだ。

「なんで英語科棟?」

「三年生が課外あるから普通教室じゃうるさいし、屋上じゃ暑いでしょ? 英語科棟なら夏休みは誰も使わないし、クーラーあるから涼しいじゃーん」

 だめだ、クーラーと聞いただけで暑くなってきた。久し振りにベースを肩に担いで歩くけどしんどい。ベースってこんな重かったっけ?

「あれあれー? ジョージくんは楽器持ってるだけでへばってるんですかー?」

「んなわけねーだろしばくぞ山都」

「きゃー! こわーい!」

 そう言ってギターを背負った山都は駆けていく。

 ……あいつの方が体力あるかも。今日から筋トレしよう。

 俺はそう心に決めて、山都の後を追った。


 玄関ではすでにリュー先輩が待ち構えていた。

「適度に休憩取りつつちゃんと練習すること。由真に手出したらぶっ殺す」

「だから出しませんって!」

 どいつもこいつも! 兄貴はともかくリュー先輩は目がマジだ。怖い!

 山都が「ありがとねー」と言ってカギを受け取った。

 二人で英語科棟へ向かう。

 開け放たれた窓からセミの鳴き声が聞こえる。二つに結んだ山都の髪を、風が揺らした。

 そうだ、なんか違うと思ったら今日は髪を結んでいるのだ。赤い補聴器がよく見える。

「髪、結んでるんだな」

 俺の声に山都はぴたりと立ち止まって、振り返った。まじまじと俺の顔を見たあと、にっと笑う。

「気づいてないのかと思った」

「いや気づくだろ普通」

「暑いからねー」

 山都はくるりと前を向いて、また歩き出した。

 やっぱ暑かったのか。その長さだもんな。

「夏休みだし、ジョージしかいないし」

 ぽつりと山都は呟くと、それきり黙ってしまった。

 いつも髪が邪魔じゃないのかと思っていたけど、補聴器を見られるのが嫌だったのかもしれない。思えば二人でライブに行った日も、髪を下ろしていた。

 ……『内側』に入ったということだろうか?

「さ、ついたよー」

 英語科棟二階の教室の前には、アンプ二台とドラムがすでに置いてあった。

「リュー先輩が持ってきてくれたのか?」

「ううん。二年の先輩でね、リューの手伝いをしてくれる人たちかいるの。先輩たちに運んでもらったって」

 手伝い……? 脅しじゃないよな……。

 締め切っていた教室はむわっとしていて、俺たちは急いで窓を開けてクーラーを点けた。おおよそ換気ができたところで窓を閉めて、クーラーの冷気に一息つく。

 ドラムとアンプを運び入れて、ケースからベースを取り出した。

 コードを繋いで、電源を入れて。

 立ち上がって、肩に食い込むストラップに、知らず知らずのうちに緊張してしまう。

 こうやって弾くのは久し振りだ。マンションだから家でアンプに繋ぐことはないし、なによりまともに弾くのは最後のライブ以来だ。黒光りするベースは、黒光りするままで待っていてくれた。

 弾けるだろうか。

 ほぼ一年振りか? 指の動きは悪くなってるだろう。左手の指は、もう大分柔らかくなっている。

 俺は左手でネックを持ち、右手でピックを握って固まっていた。

「ジョージは弾けるよ」

 クーラーの音だけが充満する教室に、凛とした声が響いた。

 顔を上げると、ギターを抱えた山都と目が合った。俺はその目から視線を反らせなくなる。

 その目は、俺がまたちゃんとベースを弾けるようになると信じきっている目だ。どうしてそこまで信じられるんだ。

「……なんで、そう思う?」

 気づけばそう聞いていた。

 俺は俺が信じられない。自分のやり方は間違ってないと思ってやってきた。

 でもそれが、あの結果だ。

「だってあたしはジョージのベースが好きだから。ジョージなら絶対大丈夫」

 なんだそれ。理由になってねぇよ。

 また暴走するかもしれない。山都の望む演奏をできないかもしれない。

 それでもお前は、聞いてくれるのか?

「ジョージが言ったんじゃん。『雑音だなんて言わせない』って。それってジョージのベースも含めてってことでしょ? あたし、ジョージとならできると思うの。やってみよう? もし失敗しても、できるようになるまでやればいいんだし」

 山都はピックで俺を指して、にっと笑った。

 なんだかなぁ。一緒にバンドやろうとか、俺のベースがいいとか、山都が俺の助けを必要としてるみたいに言うけど、実際のところ、助けられてるのは俺の方かもしれない。

 こういうのでどっちがつらいとかいうのはずるいけもしれないけど、俺の悩みなんかより山都の方がずっと大変なはずだ。耳が聞こえなくなるなんて、俺だったらもっと周りに当り散らしちまうかもしれない。

 だけど山都は一緒にやろうと言ってくれる。

 中学時代の俺に言ってやりたい。仲間がいるっていうのは、こんなに心強いものなんだぞ、と。

 俺はピックを握り直した。一弦を弾く。重低音がビリビリと足の裏に伝わった。二、三、四、とチューニングを合わせていく。

 山都は静かにその様子を見ていた。俺は深く息を吸って、長く吐く。

 LODのあの曲。ライブの帰りに山都が歌った曲なら弾いたことがある。

 ワン、ツー、スリー、フォー、

 あぁ、懐かしい。この感じ。音が指先から、耳から、足の裏から、腹の底から伝わってくるこの感じ。ベースじゃなきゃ味わうことのできない痺れが、俺の鼓動を早めていく。

 でももどかしい。指さばきが追いつかない。くそ、これが八ヶ月のブランクか。頭の中じゃリズムは正確に刻まれてるのに、実際聞こえる音はガタガタだ。

 だけど。

 顔を上げると、案の定、山都は笑っていた。

 うん、楽しいよな。音楽は楽しい。

 跳びたくなる。頭を振りたくなる。叫びたくなる。笑いたくなる。

 ずっとこの感覚を忘れてた気がする。

 最初はその光景に憧れたはずだ。好きなバンドのライブを見て、その楽しそうな光景を自分も味わいたいと思った。

 理想に追いつけなくて、どんどん周りが見えなくなっていった自分。それを山都は引き戻してくれた。いや、このままの自分でいいと言ってくれたんだ。

 それでも。俺はお前が自由に歌えるように弾いてみたい。

「ははっ、全然ダメだ」

 一曲弾き終わる頃には、左手が痛くなっていた。こりゃ指作りから始めないとダメだな。指が柔らかくなりすぎてしまってる。

「でも、やっぱジョージのベースはいいね」

 当たり前のように言う山都に、俺は言葉に詰まってしまう。なんだよ、こんなんじゃ全然だ。文化祭まであんまり時間がない。

 ただ弾けるだけじゃダメなんだ。山都に完璧に合わせられないとダメだ。

 知らず知らずのうちに、眉間にしわが寄っていく。

「ジョージ、音を楽しむよ。カンペキに」

 眉間をぐりぐりと押された。指はすぐに離れて、山都のその指はピックを摘まむ。

 触れられたところが熱を持ったみたいだ。

 俺はそれを悟られないように、弦を確認するふりをした。


   *


 お盆の時期三日間は、学校も閉まってしまう。その期間は練習もお休みにしよう、と俺は短い夏休みを与えられた。いやずっと夏休みではあるんだけど。

 リュー先輩のスパルタっぷりがすごかったのだ……。あの人ドラムなのになんであんな的確にベースの指導をできるんだ……? さすが超人。山都とリュー先輩でまさにアメとムチだった。

 でもいつもお菓子を用意してくれるんだよな。調理室でよく冷やしていたゼリーはおいしかった。リュー先輩、お菓子屋さんでも開けるんじゃねぇの?

 それを言ったらきっと「だから医者だっつってんだろ」ってデコピンされるんだろうけど。


 短い夏休み、俺と兄貴は実家へ帰省していた。

 あのアパートから電車で三十分の距離だ。でも一学期の間、一度も帰っていなかった。帰ってしまったら、昔のバンド仲間に会ってしまうかもしれない。それが怖くて帰るなんてできなかった。

「お、母さん駅まで迎えに来てくれるって」

 隣に座る兄貴は、スマホをいじりながら言う。俺はぼんやりと窓の外を見ていた。

「どういう心境の変化?」

「え?」

 隣に目を向けると、物言いたげな兄貴と目が合った。心配してるというより、楽しんでる顔だ。

 俺はふいっと顔を背けて頬杖をついた。

「別に」

「あの子のおかげかな?」

 分かってんなら聞くなよ。

 黙り込んだ俺は、座席の背もたれにずるずるとへたり込んだ。

 自覚がないわけではない。山都と出会って、自分でも驚くほどの変わりっぷりだ。あんなに二度とベースは弾かないと思ってたのに。どうやったら万全の状態で山都が歌えるか考えてる自分がいる。

 俺は隣に座る兄貴をちらりと見た。母さんに返事を打ってるのか、その視線はスマホに注がれていて、俺が見てることに気がついていない。

「兄貴ってさ、スタジオで働いてるんだよな?」

「んー? うん。そうだけど、なに?」

「あのさ、例えばなんだけど……。耳が聞こえにくい人と音楽をやりたい場合、兄貴ならなんに気をつける?」

 俺は床を見つめていた。

 独学では限界がある。ピッチやテンポは俺が気づくことができる。

 だけど聞こえないのは俺じゃない。いつも笑顔の山都が、心の中で本当はどう思ってるか、分かる方法がほしい。

 左頬に兄貴の視線を感じた。「例えば」なんて言ったけど、察しのいい兄貴のことだ。誰のことかなんてすぐに分かってしまっただろう。

「そうだなぁ。あのさ、俺、大学時代に聴覚障害のやつがいたんだよ。聴覚障害者ってさ、一見分かんないじゃん? 俺も最初補聴器をウォークマンと思ったくらいだし。そいつが言うんだよ。『自分は特別なんかじゃない』って。そいつにとって、聞こえないことは当たり前のことなんだ。構えないでほしいって」

 そう、なのか?

 山都の障害は後天性のものだ。だんだん聴覚が失われていく恐怖は、並大抵のものじゃないんじゃないだろうか。

 ふと、あの屋上でのことを思い出した。

 山都はもう泣かないと言っていた。覚悟はできている、と。

「でもなぁ、頼られたいよな。好きな女には」

「好きなんて言ってない!」

 思わず叫んでしまって、はっと周りを見回した。ローカル線の車内は客もまばらで、でもそんな青臭いことを叫んだ俺には生温かい視線が注がれている。俺は小さくなって、俯くしかなかった。

「あはは、まぁいい傾向だと思うよ。譲二、明るくなった」

 明るく? 俺が?

 いまいち自分じゃピンとこない。だけど兄貴が言うならそうなんだろう。

 いい傾向だというなら、山都にも心から音楽を楽しませられるようになりたいと思う。普段が楽しんでないってわけじゃないけど、気が張ってる部分もあるんじゃないだろうか。あの決意はそういうことだ。

「さ、着いたぞ」

 電車は地元の駅に滑り込んでいた。

 ベースは持ってきている。俺は休みを無駄にしないと心に決めて、座席から立ち上がった。


   *


 その日の晩、俺と兄貴と母さんの三人で食卓を囲んでいた。父さんは会社の人たちと飲みに行っている。久し振りに息子たちに会えるのに、と嘆いていたそうだが、そんなの気にする歳でもねぇだろ。それに三日もいるんだし。

「二人とも、ちゃんと食べてるの? ちょっと痩せたんじゃない?」

「なんだよ、俺が悪いみたいにー。ちゃんと飯は作ってやってるよ。譲二、またバンド始めたからそれで痩せたんじゃない?」

 俺はうぐっと飯が喉に詰まった。それ言わなくてもいいだろ……。

「バンド……」

 ほら、母さんがびっくりしている。

 バンド活動こそなにも言ってこなかった母さんだけど、俺がスコアをやめたときは心配を掛けてしまった。学校以外は外に出ようとせず、あんなに毎日弾いてたベースを押し入れの奥にしまった。

 聞こえなくなってしまったベースの音に、戸惑わせてしまっただろう。

「そう、また始めたの」

 それでも母さんは深くは聞いてこようとせず、それだけで察してくれた。

「そうそう。しかも超可愛い子と組んでるんだよ?」

「あら、どんな子なの?」

 だー! 余計なことを言うのはこの兄か!

 俺は急いで飯をかき込んで、「ごちそうさま!」と席を立った。

 茶碗を流しに浸けに行く俺の背中に、兄貴が声を掛ける。

「照れるなよ譲二―。減るもんじゃなし」

「減る! 確実に減る! 兄貴にからかわれたら!」

 兄貴も母さんもおかしそうに笑っている。くそ、他人事だと思って……。

 俺はそのまま居間を出て行こうとする。

「譲二、ごはんはもういいの?」

 ちょっとからかいすぎたと思ったのか、母さんが問い掛けてきた。

 俺はドアノブに手を掛けて、母さんの方を見ないまま答える。

「ベース、部屋で練習するから」

 ちゃんとバンドのことを話すべきかもしれない。心配掛けたんだ。

 でもそのときの俺は、照れ臭さの方が勝って、居間を去ることしかできなかった。


 俺のいなくなった居間で、兄貴と母さんが嬉しそうに顔を見合わせたことを、部屋に戻ってしまった俺は知らない。


   *


 実家を出て初めて母親のありがたさが分かる。とはよく聞くけれど、確かにそうだ。飯こそ兄貴が作ってくれてるけど、掃除洗濯は俺の仕事だ。

 だけどここでは母さんが全部してくれる。ビバ実家。

 とはいかなかった。

「譲二、手開いてるなら胡椒買ってきてくれない?」

「えー? 俺、いまベース弾いてんだけど」

「夕飯食べないの?」

「……行ってきマス」

 帰ってきた日こそ喜んだ母さんだったが、二日目ともなるとこの有り様だ。はいはい、働かざるもの食うべからずデスネ。

 日が傾いてきたとはいえ、真夏の夕暮れだ。まだ射すような日差しは健在で、俺はなるべく日陰を選んで歩いた。

 スーパーの冷房に程よく冷やされた体は、外に出るのを拒んでいる。だけど帰らないわけにはいかない。俺は意を決してスーパーを出た。

「ジョージ?」

 そう声をかけられたのは家まであと五分のところだった。

 声で分かってしまったところにぎくりとする。あのことはまだ俺の中では過去のできごとじゃないのだ。

「真吾さん……」

 振り返るとそこにいたのは、かつてのバンド仲間の真吾さんだった。

 真吾さんはスコアのドラマーで、リーダーでもあった。約一年振りに見る姿は、あの頃と少しも変わっていない。背が高くて、ダボっとした服を好んで着て、穏やかそうな目。他のメンバーと衝突するとき、いつも宥めてくれたのは真吾さんだった。

「久し振りだなぁ。元気にしてたか? 市内の高校に行ったって聞いてたけど」

 話しぶりもあのときのまま。穏やかで相手のことを第一に考えている。

 その表情に、苦笑が浮かぶ。

「どの面下げてこんな態度って感じだよな」

「え……?」

「怒ってるだろ? 俺らのこと。最後のライブ、あんなことになっちゃったから」

「そんなこと……」

 まさか真吾さんから謝られるなんて思わなかった。あれは俺が全部悪かったんだ。メンバーの実力を顧みず、自分の理想ばかりを押しつけていた。そんなやつ、見限られて当然だ。

「自分が悪いって思ってないか?」

 ぎくりとする。今まさに思ってたことを言い当てられて、俺は顔を上げた。

「こんなこと言ったらまたお前は気にするかもしれないけど、俺らはもっと努力できたんじゃないかって思うんだ。ジョージの言うことはいつも、もう一歩踏み込めばより良くなるってものばかりだった……。年上だとか、音楽歴とかつまんない意地張ってないで、もっとお前の言うこと聞いときゃ良かったよ。そしたらきっと、もっと楽しく演奏できたのに」

 途切れ途切れに話す真吾さんは、辛そうだった。なんで真吾さんがそんな顔するんだよ。

 スコアが解散することになったのは、ずっと自分のせいだと思っていた。俺があそこまで完璧さに固執しなければ、今でもみんなで楽しく演奏できてたんじゃないかって。

 でも。

 真吾さんは、そうじゃないって言ってくれるんだろうか。

「バンド」

 ぽつりと真吾さんは言った。

「ベース、弾いてる?」

「……最近、また。弾き始めました」

「そっか」

 ジワジワとセミの鳴き声が聞こえた。日はもう半分沈んでいる。セミたちはいつまで鳴き続けるんだろうか。

「俺らもな、大学でも音楽続けようって言ってるんだ。今は叩けてないから鈍っちゃってるかもしれないけど……また、ステージに立てるように」

 そう言って笑う真吾さんは、夕日よりも眩しく見えた。

 あのことを引きずっていたのは俺だけじゃなかった。向こうも同じように傷ついていた。

 そしてそれでもまた、音楽を続けようとしている。それだけでもう充分じゃないか。たとえ一緒に弾くことはなくても。

 じゃあなと言って、真吾さんは俺に背を向ける。まだ、伝えてないことがある。

「真吾さん!」

 俺は彼の背に叫んでいた。真吾さんは驚いた様子で振り返る。

 伝えなきゃ。俺が思ってること。

「文化祭……よかったら来てください。ライブ、やるんです」

 伝えたかったのはそんなことじゃない。ありがとうとか、すみませんとか、言いたかったことはいっぱいある。

 だけど真吾さんは察してくれたようだ。

「あっ、でも受験勉強で忙しいとかだったら全然いいんで! たぶん録画しとくだろうから、それ見てもらうだけでも……。DVD送るんで……!」

 くすりと笑ったその顔が、それを物語っている。

 あぁ、受験生を気軽に誘うんじゃなかった。真吾さんは優しいから気にしてしまうだろ……。

「いや、行くよ」

 案の定、帰ってきた返事はそんなもんだった。

「みんな、お前がどうしてるか気になってたんだ。俺らはジョージのベース、好きだったんだしな。今のお前がどんな音を鳴らすのか、見てみたい」

 伝わった、と思った。ごめんもありがとうもなくても、俺がスコアを好きだったことはきっと伝わった。

「……ありがとうございます」

 俺は涙を堪えるのに必死で、そんな言葉しか出てこなかった。真吾さんはそれさえも分かっているようで、もう一度「じゃあな」と言うと、今度こそ去っていった。

 覚悟は決まった。やることは一つだ。


   *


 盆休みを終えて戻ってきた俺は、バンドの練習に明け暮れた。

「ジョージどうしちゃったのー? なんかあった?」

 英語科棟での練習の合い間、山都にそんなことを言われる始末だ。

 でも口にしてやんない。わざわざ言うのなんて恥ずかしいだろうが。お前に最高のステージをやるため、全力を尽くすなんて。

「別に。本腰入れようと思っただけだよ」

「ふーん、そっか」

 そんな相槌を打ちながらも、山都はどこか嬉しそうだった。


 だけど物事はそんな順調にもいかなかった。

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