第65話 番外編②

「ここの解答、間違ってるわよ。途中式は合っているのにどうして答えの記入を間違えるのかしら。……わざとなの?」

 自室のローテーブルに数学の問題を広げ、勉強に取り掛かる陸。そして、その家庭教師役をしている雫は間違いを見つけ白のシャープペンシルでその場所を示す。


 雫が見つけた間違いは、途中計算から導き出された答えが合っているのにも関わらず、肝心の解答欄でその数字を間違えていること。

 途中計算からの解答をそのまま写せばいいだけなのに、何故か解答欄で別の数字を書いている致命的なミス。


「わざとじゃないって……。って、なんで別の答えを書いてんだろうな……。俺も分からん」

「もう、しっかりしてよね。その1問が4点にも5点にもなるのだから……」

「分かってるよ。次はちゃんと見直しをする」

「ホント不安だわ……。この調子で私の行く大学に受かることが出来るのかしら……」


 偏差値76の関凛かんりん国公立大学。難関大学の入試でこんなミスを犯したら合格は遠退とおのくばかりだ。

 難関大学を受ける学生のレベルはほとんど同じ、一つの間違いで何十人と差が開くことになる。凡ミスや確認ミスで点数を落とすことは絶対にしてはならない。


「もちろん、出来る限り頑張るよ」

「出来る限りじゃないの、必ず受かりなさい。……私、りく君が近くにいないとダメになる体質になってるんだから……」

「え、何だその体質……」

「むっ」


 今の発言を理解出来なかった陸は懐疑的な視線になり、対する雫は不満げな顔で『はぁ』と、ため息を吐いた。


「そ、それだけ貴方が好きってことよ。何で分からないのかしら、この人は……」

「な、なるほどな……。ははっ……」

「全く……。彼女をこんな風にさせた責任はしっかりと取ってもらうわよ? わ、私の初めてをなにもかも奪った相手でもあるんだから……」


 ジトーっと大きな瞳を半目にさせながらも、身体をそわそわさせて頰を赤らめる雫。今更ながら自身の発言が恥ずかしくなったのだろう。


「い、いきなり何言ってんだよ……。それを言ったら雫だって同じだろ?」

「ふ、ふぅん……。その割にはずっとマウントを取ったわよねぇ……。まるでそういったことの経験があるみたいに」

「何度も言うけど本当に雫が初めてなんだって……」


「経験が無いって言っている人がよくもあれだけ激しく出来るものよね……。私が待って』って言ってるにも関わらず、ど、どんどん突いてきて……。腰が砕けるわよ、ほんと……」

「し、雫だって行為が終わった後、ま、また続けようとしてくるくせに……」


 両者顔を合わせることなく、視線を逸らしながら発言する。そんな初々しい言動が出てしまうのは、会話通りにお互いが初めてだから。

 一度でもそんな経験があるのなら、こうしてタジタジになったりはしないだろう。


「……そ、それは前にも言ったわよ……。りく君のヤり方が下手くそだって」

「ま、またその話かよ!?」

「そ、それと……私が大学に行ったのなら、いつりく君に会えるか分からないでしょ……? だから、今のうちにたくさんしておきたくて……」


 雫と付き合ってまだ数ヶ月の陸だが、小さな頃から関わってきている。この後者の言い分が、雫の本音の大部分であることは頭を働かせずとも理解出来ること。


「大袈裟だなぁ。雫が行く大学はそう遠く無いんだし、そんな心配しなくてもさ」

「……わ、私がいなくなっても、ぜ、絶対に浮気はしないでよね……」

「浮気なんてするかよ……。そのくらい雫にも分かるだろ?」

「そ、そうだけれど、心配なのよ……。りく君モテるじゃない……」

「ったく……。雫は心配性なんだよ」

「……んっ」


 別れ際に子犬が見せるような悲しげな瞳をする雫を、陸は優しく抱き留めた。

 普段からクールで物怖じしない雫が彼氏だけに見せる表情。態度。反応。それは陸にとって嬉しいものであり、その感情を振り払いたいとの心理を働かせる。


 陸は雫を安心させるように耳元でこう呟いた。


「雫がよく言ってくれるだろ? 俺のことを自慢の彼氏だって……。だったらソイツを信じてほしい。……俺だっていろいろな不安はあるけど、雫が自慢の彼女だからこそこうやって信じてるんだから」

「…………」

 陸の発言に無言を貫いて何も返事をしてくれない雫。予想外の反応に陸は抱擁を辞め、彼女を見つめる。


 ーーそこには、顔を真っ赤にさせて薄ピンクの唇を軽く噛んでいる雫が居た……。


「え、えっと……。何か言ってくれよ」

「……ば、ばか……っ」

「はぁ!? ば、馬鹿ってその言い草は酷くないか!? 俺、結構恥ずかしいこと言ったんだけど!」


 雫の心情など陸が察せるわけもない。

 彼氏にこれだけ嬉しいことを言われ……逃げ出したいほどの羞恥に必死に耐えて、言える言葉がこれだけだったのだから……。


「り、りく君はズルいわよ……。そんなところ……」

「そんなところってなんだよ。もっと具体的に教えてほしいんだが……」

「…………キス」

「ん、ん……?」

「キ、キスしたら……教えてあげる……わよ」


 顔色は変わらず、頰に熱を溜めたまま雫はそんな要求をする。こうでもしなければ自身の昂りと篭った熱。この厄介なものが逃げる気がしなかったのだ。


「え、えっと……教えなくていいって言ったら?」

「……」

「お、おーい……?」

「それだからばかって言ってるのよ……っ」

「え、ちょっ……ッッ!?」


 その驚き声を出した時にはもう遅かった。

 雫は陸の両肩を掴み、そのまま体重をかけて押し倒したのだ……。彼の背が床に付いた時にはもう……唇と唇が重なりあった状態……。


「んっ……りく、君っ …んぅ……ちゅ」

「しず……く……っん」


 雫がマウントを取るように陸の上に乗り……、強引に、強く……。何十秒も陸の唇を奪う……。

 そうして……唇が離れ合った時、透明な糸がお互いの口から繋がってたのであった……。

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