第60話 デート⑥
「ほぅ、こちらの二つで迷っている……と?」
雫に呼ばれ顔を出した佐々木は、意見を聞きながら手を顎に当てて逡巡させていた。
「そうなの。どうせならついでに革靴も……と思っているんだけれど。りく君、靴のサイズは何センチ?」
「27.5だけど……」
「そうですねぇ……。私の主観を交えると、彼氏さんにはこっちのブラウンの方がよろしいかと思います。確かにグレーやブラックの方が他の服と合わせやすいのは間違いないんですが、彼氏様にはブラウンを推したいところです」
「そ、そう……?」
「はい。そしてこちらの革靴になるんですが、熱気や湿度を外に放出させ快適性を求めた一品になってます。この種類の革靴は残り一点で、ブラウンのダッフルコートには一番似合います。この革靴は在庫の仕入れが難しいので、今買っておいて間違いはないでしょう」
入店した時のフレンドリーな佐々木はそこにはいない。今はキリッと仕事のスイッチを入れ、自分の主観を交えながらオススメをしていく。
雫がこの店を気に入っているのは商品の品揃えもあり、このような考えを述べられるスタッフが居るからなのであろう。
「……この二つでお値段は?」
「7万9000円……ですね」
「買うわ」
「ち、ちょっと待ってくれ!」
今までに買ったこともない金額が佐々木の口から発され、即決で買おうとする雫を慌てて止めに入る。
「……ど、どうしたの?」
「ごめん。やっぱりそれを奢ってもらうわけにはいかないよ。……選んでくれたのにコレを言うのは本当に申し訳ないけどさ……」
「……」
陸の言い分に、無言になった佐々木の冷たい視線が刺さる。店員としてはこの高価な商品をお客が買う……ところを止められたのだ。
店の利益に関わるからこそ、不満が生まれるのは無理もないこと。しかし、陸だって線引きしているものがある。
「……俺だけのために、こんな大金を彼女に使わせるのは嫌なんだ。こんな物は俺がちゃんと稼げるようになった時……雫と一緒に物を選びたい。今は俺は雫の気持ちだけで充分だよ。本当にありがとうな」
「……だそうですよ、雫様?」
それは正しく陸の本音。その本音を聞いた佐々木は何故か口角を上げて、雫の宥めに入った。
「……ぅ、そ、そんなこと言われたら頷く以外にないじゃない……」
「はい、これはわたしも一本取られましたよ」
「で、でも……。でも……私はりく君にプレゼントしたいの……。だ、だって今日は初めてのデートなんだから……」
口を尖らせて不満げな表情を作る雫。『分かったよ』なんて言いたくなる可愛さだが……ここで陸の意見を曲げるわけにはいかない。……心を鬼にするのだ。
「それなら、彼氏様が発言した穴を突きましょうか。わたしの立場上、お客様をみすみす逃すわけにはいかないので」
「……あ、穴?」
陸は佐々木の恐ろしさを次の言葉で知る。……頭の回転の速さと考え方の柔軟性に。
「彼氏様はこう言われました。『俺だけのために』大金を使わせるのは嫌だ、と。つまり、雫様も一緒に使えるものならOKと言うことです」
「あっ……!」
「なっ……」
豆電球をピコっと浮かびあがらせて表情を輝かせる雫とは別に、陸は唖然とさせる。
「……こちらにあるマフラーなんてどうでしょう。このお二つと比べたらお値段も安いですし、お二人で暖まれるくらい長いサイズがございます。……はい、密着が出来ます」
「か、買うわっ!」
「これで文句はないですね、彼氏様? いえ、文句があるはずがありません。彼女の気持ちを踏みにじるようなことはしないはずですから」
「し、商売上手ですね……佐々木さんは。参りました……」
「お褒めの言葉をありがとうございます」
そんなやり取りの後、雫が陸へプレゼントする物はマフラーに決まった。
値段は1万5000円ほどでダッフルコートや革靴と比べても半額ほど。妥協のラインといったところだ。
マフラーを購入するため、レジに向かう最中のこと……。
佐々木は雫と二人で話したいということで……陸を店出口の方で待つように指示をした。
結果、レジ付近いるのは佐々木と雫の二人だけということになる。
そう。佐々木が話したいことは、雫の彼氏である陸のことについて……だった。
「……良い彼を持ちましたね、雫様。普通はあの場面で断ったりしませんよ。高価なモノをタダでいただけるんですから」
「が、頑固なだけなのよ……彼は。本当困っちゃうわ……」
「そんな文句を言う割にとても嬉しそうにしているじゃないですか。まぁ、わたしが雫様の立場でもそうなると思いますけど」
バーコードリーダーで商品を読み取り、レジ操作をしながら佐々木は言う。
「お金目当て……ではないようですね。失礼な発言をすみません。少しばかり勘ぐっておりまして」
「佐々木さんは私を心配しすぎなのよ。でも……ありがとう」
「いえいえ。わたしは失礼をしたばかりですよ」
雫はポケットから手帳入れのようなものを取り出し、漆黒に輝くキャッシュカードを出して会計を済ます。
そして……プレゼント用に包まれたマフラーを佐々木から受け取った。
「いつもありがとう。また利用させてもらうわね」
雫は手を振りながら佐々木と別れようと背を向けた途端のこと……。
「お待ちください、雫様。忘れておりました」
佐々木はその背に声をかけて雫を呼び止める。
「……ん? なにかしら」
「こちらを彼氏様に渡しておいてください。わたしの奢りですのでお気になさらず」
「も、もしかしてその中身って……」
「さっき彼氏様に断られた品です」
佐々木がレジ下から取り出したのは、大きな紙袋。さっき断られた品というのは……ブラウンのダッフルコートと蒸れない革靴。計7万9000分の商品だった。
「ど、どう言う意味かしら……?」
「彼氏様にどうしても着せたいという気持ちと、良いものを見させてもらったお礼……というのは建前で」
そんな前置きを作った佐々木は、真顔からどんどんと口角を上げ……やがて、ニヤリと微笑んだ。
「お二人がご結婚してからもこの店をご利用してくださいね? との脅しです。子ども服も取り揃えてありますから、この先も是非に」
「き、気が早いわよ……。こ、子どもだなんて……そ、そんな……」
ダッフルコートと革靴が入った紙袋も受け取った雫は、下を向いて顔を隠そうとする。
だが……結んだ長い銀髪で顔を隠せず、耳まで赤く染まった雫が誤魔化す術などない。
「あらあら、満更でもない様子ですねぇ?」
「か、からかわないでっ! そ、それじゃ……私はもう行くわっ!」
「はい、またのお越しをお待ちしております。次は赤ちゃんのお顔を見させてくださいね?」
「もうっ!!」
最後まで佐々木にからかわれた雫は、ふんっ! とソッポを向いて陸の元に駆けて行った。
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「いらっしゃいませ。こんにちは」
次のお客が来店し、いつも通りの挨拶をする佐々木は、頃合いを見て真顔を崩す。
その瞬間ーー胸内で叫んだ。
(わたしも……わたしもあんな彼が欲しかったなぁあああああああ!!!!!)
悔しさと羨ましさをいっぱいに含ませた佐々木は、自分が持つブラックカードで奢り金額をキャッシュするのであった……。
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