第57話 デート③

「私の好きな動物……覚えててくれたのね、りく君」

「昔、雫が猫と睨み合ってるところを何度も見てたからな」

「に、睨み合うって……そんことしてないわよ。ただ見つめ合っていただけ」

「まぁそんなわけで俺も猫カフェが気になっていたから良い機会だなって思ってさ。さっき会った友達に予定していたこの猫カフェを紹介されるとは思わなかったけど」


 陸と雫はその後、健太に紹介された猫カフェに足を運び、靴を脱いで店内に入った二人は向かい合うように座りながら駄弁っていた。

 現在の時間はまだピーク時ではない関係で、お客さんはりく達を含め指で数えられるくらいにしかいない。


「それはそうと、雫の服装が少し気になってるんだが……」

「気になるって……?」

 雫の服装に目を通す陸は、眉を寄せながらそんな言葉をかける。


「雫が履いてるタイツって、猫にひっかかれたら伝線するんじゃないか? 詳しいことはあんまり分からないんだけど」

「た、確かにそうね……。でも問題視するほどのものじゃないわ。もし伝線した場合はタイツを脱げば良い話だもの」

「タイツを脱ぐのいつも恥ずかしがってるのに……か?」

「……っ」

 雫は今の今まで忘れていた。問題なのは伝線することじゃない。伝線した後のことに。


「り、りく君……。もしかして私の素あしを見ようとして猫カフェを選んだんじゃないでしょうね……」


 両手で太ももを抑え、恥ずかしさを滲ませながら懐疑的な目を向けてくる雫。

 確かに的を得た答えなのかもしれないが、陸からすればツッコミ所しかない。なんせそんな事は微塵も考えていなかったのだから。


「そんなわけないだろ……」

「え、えっち……」

「意味分からないんだが!?」

「も、もう良い。そんなえっちな目で私を見る彼氏さんは放っておいて……、私は無邪気な猫さんと遊んでくることにするわ」


 こほん、と意味深な咳払いをした雫はコップに注がれた紅茶を上品に飲み干し、猫が寛いでいる所に四つん這いで歩み寄っていった。


「ったく……。猫と遊びたいなら素直にそう言えば良かったのに」

 そんな雫を見て、苦笑を浮かべながら陸はカフェラテに口を付ける。

『猫と遊んでくる!』そんな一言が言えないあたり雫らしいところで、可愛らしい。なんて思ってしまう。


「そこの三毛猫さん、おいでー」

「にゃお」

 そんな雫は陸に視線を注がれているとはつゆ知らず、甘えるような猫なで声を発しながら三毛猫に向かい合う。


「だ、大丈夫かしら……」

 猫と仲良くなる方法を熟知している雫は、猫と視線を同じにして人差し指を下からそーっと猫の鼻に近付けて、匂いを嗅がせる。


『くんくん』

 キャットスキャン。通称『鼻くんくん』は猫との挨拶行動であり、猫の習性で匂いを嗅いで敵か味方かの判断をさせるためのものだ。


「ニャア!」

「チョコちゃんって言うのね? 良いお名前ね」

「にゃぁ」

 この三毛猫、チョコに味方だと判断されたのだろう。雫はチョコの毛並みに沿って優しく撫でていき、されるがままになっている。


「チョコちゃんは偉いわねー。私の彼とは大違い。チョコちゃん女の子だけれど、こっちを彼氏にしようかしら」

「え? なんか聞き捨てならない声が聞こえた気がしたんだが……」

「それに、チョコちゃんは浮気をしなさそうだし」

「またなんか聞こえたんだが……」

「気のせいよね、チョコちゃん?」

「ニャア!」


 チョコは雫の味方なのか、雫の問いに同意するように鳴き声をあげる。


(楽しそうだな……雫。今日はここを選んどいて良かった)

 デートをしてまだ一時間も経っていないが、今の雫の表情は『楽しそう』だと誰がどう見ても読み取れる。

 猫と触れ合う目的で猫カフェに訪れた二人だが、陸は今の雫を見ているだけで満足に近いものがあった。


「チョコちゃーん」

「ニャー!」

「あー、可愛いわね……本当」

『ごろごろごろ』

「……ッ!」

 と、チョコが喉を鳴らしじゃれている雫はここでようやく気付く。

 ーー陸がこちらを見ていることに。


「なっ、何見てるのよ……。こっちを見ないで。恥ずかしいじゃない……」

「おぉ、よく気付いたな」

「えっちな視線を感じたもの……」

「だからそんなわけじゃないって。さっきから俺への当てつけが酷くないか?」

「ふふっ、冗談よ。……半分は」

「半分は本気かよ」


 そんな言い合いをする二人だが、お互いに表情は穏やかなもので喧嘩する雰囲気は一切無い。

 彼氏彼女らしい、そんなやり取りだ。


「あっ、りく君。そこの机にある私のスマホを取ってくれないかしら。記念にチョコちゃんの写真を撮りたくって」

「ああ、分かったよ」

 陸がいるテーブルの上には、ピンクのカバーが付いた雫のスマホが伏せて置いてある。

 陸は雫の言い分通り、そのスマホを取って雫に渡そうとした時だった……。


『ブルッ』

 と、そのスマホが震え一件の通知が受信され、待ち受けーーロック画面に設定されている背景が表示され……陸は瞠目しながらまばたきを数度に渡って繰り返した。


「ど、どうしたの、りく君……?」

「コレ、いつ盗撮したんだ?」

「……ぁっ!」

 雫のロック画面に設定されている背景は、なんと自分の横顔だったのだ。それは何にも身に覚えがない、視線も全然違う方向を向いている写真で、完全な盗撮である。


「そ、それは……そ、その……」

「まぁ、本当なら根掘り葉掘り聞くところだけど、雫なら悪用しないだろうし別に良いけどさ」


 動揺を示す雫に、どこか呆れながらも陸はそのスマホを手渡した。


「りく君……。ごめんなさい。こ、これは決して悪気があったわけじゃないの……」

「はは、悪気があったら困るって」

「あ、あのね……。りく君……。自宅に帰ればりく君と会えないでしょ……? だ、だから自宅でもりく君を見られるように……って、思って……」

「……あ、ああ……。そ、それなら良いんだよ……」

「う、うん……」


 そんな目的があっての盗撮だったなんて思いもしなかった陸は、不意のカウンターを喰らってしまう。

 雫も雫で、勇気のいる告白だったのだろう。上目遣いで陸を見つめなふがら頰を桜色に染めている。


「な、なんか変な空気になったな……」

「そ、そう、ね……」

 この独特な空気を悟ったのか、三毛猫のチョコは尻尾を立てながら雫から離れ、猫の小部屋に入っていこうとする。

 それと同時進行で、この空気を一瞬でぶち壊す猫が現れた。


「にゃぁん」

「え……」

 まるでこのタイミングを狙っていたかのように、雪のような真っ白の猫が男座りをしている陸の膝上に座ったのだ。

 そうして頬擦りを一度、二度させ、『どやぁ?』とでも言っているように雫に視線を向けて……。


「お……。そこが気にったのか? よしよし」

『ごろごろごろごろ』

 陸が頭を撫でると目を細めて喉を鳴らしている真っ白の猫。その表情はとても穏やかで幸せそうであった。

 未だそこでも雫に目を向け、まるで陸を奪ったとでも言いたげに。

 そうなれば当然心穏やかでない人物がーー。


「む、む……」

「えっと、この猫さんの名前はモフちゃんって言うのか。可愛いな……」

「か、かわっ……」

「にゃあ(ドヤァ)」


「り、りく君っ。そ、その猫さんを撫で過ぎじゃないかしら……」

「そ、そうか? 折角膝の上に座ってくれたんだし、撫でておかないと……って思って。気持ち良さそうにしてる気もするし……」

「うぅ……そ、それはそうだけど……。だけど……!」

「えっと、雫? もしかして猫に妬いているわけじゃないよな……?」

「や、妬くわよ……。だ、だってりく君を取られてるんだもの……」


 ぷーと頰を微妙に膨らませながら悶々とさせている雫。

 嫉妬が生まれれば素直になる……そんな雫が垣間見得た瞬間でもある。


「妬くのか……猫に」

「だって、だってりく君が女の子を膝の上に乗せて撫でているのよ……。嫉妬しないわけがないじゃない……」

「いやいや、女の子と言っても人間じゃないだろ!?」

「そ、それでもなのっ!」


 どうしようもないことが自分でも分かっているのだろう、複雑な表情で雫はその白猫、モフに訴える。


「言っておくけれど、わ、私の彼なんだからね、そこの白猫さん……。だ、だからほどほどにしてよね……」

「……フン」

 だが、そんな訴えは全くの無駄だった。人間の言葉を理解しているのか、モフは鼻を鳴らしてそっぽ向いたのだ。

 雫からすればそれは鼻で笑われたようなものと同じ……。


「りく君っ……!」

「な、なんだ?」

「あ、後でこの猫さん以上に構って……」

「あ、ああ……。分かったよ」

「にゃ……(やられた)」

 そうして、二人は猫カフェで二時間ほど過ごした後に店を出るのであった……。

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