第54話 救われた先にあるもの
そしてーーお見合い当日の土曜日を迎える。
「ほう、良い出来じゃないか。東雲家もきっと喜んでくださることだろう」
使用人の手によっておめかしされた雫を見て、感心の声をあげる父、厳十郎。
清潔感とゆったりさを兼ね備えた純白のワンピースに、ピンクのカーディガンを羽織る雫。端正な容姿を一際目立せるように薄化粧をし、サラッとした長い銀髪は花飾りと共に結ばれていた。
「……お父様。残りのお時間はどれほどありますか」
「1時間ほどだが、車での移動を考えたらもうそろそろ出発する時間だろう」
「そう、ですか」
雫の声音には感情が何一つこもっていない冷淡なもの。それは希望が全て絶たされた影響によるものだった。
「東雲家の前でそんな姿だけは見せるんじゃないぞ。相手様に嫌悪感を与える」
「……」
「何度も言うがお前はしきたりを破ったんだ。いい加減に気持ちを切り替えろ。お前自身が責任を取る言ったんだろう」
「責任は取ります……。その代わり、わたしの彼になにか手を加えたら許しませんから」
「ふんっ、それはお前が見合いを成功させたらの話しだ」
見合いを断ればーー九条家の財力が谷のように落ちる。そして陸の家庭に何かしら圧力が加えられる。
この状況化で断るという選択肢が出るはずもない。
なんとしてでも見合いを成功させる。そんな気持ちがあり、ダメなことだと分かっていても、成功させたくない……。そんな気持ちもある。
どうしようも出来ない矛盾が雫の心を蝕み続けていた。
「成功させたその瞬間からカレシは変わることになるだろうが、これが我が家のしきたり。それはばかりはどうしようもない」
「……」
厳十郎がそう言い終えた時、雫の耳にスマホの通知音が聞こえる。
その通知音の後、厳十郎はポケットからスマホを取り出し液晶に目を向けた。
「……さて、車の準備が出来たようだ。移動を始めるぞ」
「分かりました」
厳十郎を先頭に、雫はその後ろを続く。
リビングから玄関に向かうその廊下では、使用人が並ぶように待機しており、雫と厳十郎に頭を下げてくる……。
使用人は全て女性。……恋の辛さと今の状況を知っているのだろう、雫に悲しげな視線を向けてくる。
しかしこれはもう覆りようのない結果……。雫は気持ちを偽りながら使用人に『大丈夫よ』と、その一言だけをかけた。
そしてーー予め準備された靴を履き、車の元へ向かう。
「雫様、こちらに」
「……ありがとう」
車のバックドアを開けそこに案内する使用人。きちんと礼を言う雫は車内に入り、ドアが閉められる。
(りく君。本当にごめんなさい……)
後は見合い先に行くだけ……。雫は後悔の念でいっぱいだった……。
この辛い現実から逃避するように目を瞑り、時間に身を任せる……。
そして、車にエンジンがかけられ……いざ発進しようとした瞬間だった。
ーー独特な二つのエンジン音を鳴らす車が近付いてくる。
そうして、その音の正体が九条家の目の前に止まった。
一台は真っ赤に彩られた車高の低い高級スポーツカー。
もう一台は、運転席と客席との間にガラスの仕切りのある、大型の高級乗用車。光沢のある黒塗りのリムジン。
二台の車は雫が乗った車の進路を邪魔するような形に止められる。
誰もがその光景に目を取られ、動きが止まる。
数秒の間が開き……黒塗りのリムジン扉が開く。そこから出てきたのはこの人物だった。
「ち、父上……!?」
「久しいのぅ、厳十郎」
バニッシュで塗られた杖をつき、ゆっくりと歩み寄る厳十郎の父である茂雄。立派に生やした白ヒゲを触りながら左右に視線を飛ばしている。
「ところで……今からどこへ向かうつもりなのじゃ?」
「はっ! これから東雲家との見合いであります」
「……そう、か」
茂雄はそう頷くと、九条家の屋敷の一室に目を向けた。
『元気そうじゃな、二人とも』
『茂雄さん、お久しぶりです』
『ありがとうございます……。御祖父さま……』
そこでは二つの視線が絡み合う。
窓から覗いているのは、この状況を生み出した二人の人物ーー凛花とその母、麗華だった。
「ち、父上……。一つ仰りたいことがあるのですが、その道をお譲りいただけませんか……。時間が押しておりまして……」
厳十郎は二台の車を退けるように言うが……これは茂雄が意図的に作ったもの。
「ここを退かすわけにはいかんよ。ワシはこの見合いを止めにきたのだからのぅ、厳十郎よ」
「ど、どどどどう言うことですかっ!?」
「言葉通りの意味じゃ。お主の好きなようにはさせんぞ、そう言っておる」
雫の乗り込んだ車の窓は開いている。茂雄と厳十郎の会話は全て届いていた。
(お、御祖父様……)
この瞬間ーー雫の瞳に小さな光が宿る。
「ど、どう言う意味ですか!? 説明してください、父上!」
「事情は全て知っておるわい。雫が家のしきたりを破り、その責任を取らせようとした。それがこの見合いなのだろう?」
「はい。ですから……」
「確かにお主は間違っておらんよ。名家としての立場上はのう。じゃが……」
茂雄が厳十郎に歩み寄ったことで、その距離は立ち話をするくらいに縮まる。
コツン、と杖をついた茂雄。……そして目が見開かれる。
「一父親としてそれで良いわけがあるかァッ!!」
「ひっ……」
穏やかな口調から、空間を震わせるほどの激怒をする茂雄は、空気を切るような速さで厳十郎の顔に杖を向ける。
その圧は誰も感じたことがないほど凄まじく……視線を寄越す者全てがその現場に呑まれていた。
その圧を一番に受ける者、厳十郎は尻餅をつき、後ずさり……。完全に萎縮していた。
「ワシを
「そ、それは……」
「言い淀む必要があるのかのう? 迷う必要があるかのう? それが父親のあるべき姿か? ……馬鹿馬鹿しいにもほどがあるわッッ!!」
尻餅をついた厳十郎に、茂雄は杖を向け瞳孔を開く。
「しきたりを破っただけで我が子に暴力を振う。父親としての程度が知れておるわ。ワシの顔にどれだけ泥を塗るつもりなのじゃ? 厳十郎よ」
「も、申し訳……ございません……」
「しきたりの怖さを教えるために、その責任感を感じさせるために、しつけをするために、いくら子が大事だとしてもお主がしたことは虐待であろうが」
「……はい」
地面に顔を向ける厳十郎に、茂雄は向けていた杖を下ろし……膝を折って顔を合わせた。
「ワシが継がせた企業を衰退させないようにするその覚悟は良い。しかし、結果雫を不幸にさせてどうするつもりじゃ? お主にもいろいろな葛藤があったとは思うが、しきたりは家の問題。お主が許せば済む話ではないか?」
「……その通り、です」
「しきたりを破った者を庇えば、先代様に顔向け出来ない? それは違う。子を不幸にさせる方が顔向け出来ないであろう」
「はい……」
「子を不幸にさせるしきたりなど忌まわしき呪いじゃよ。ワシやお主は見合いから想い人を見つけたのは事実じゃが、雫は自らの手で相手を選んだのだ。そうなれば二人の中を応援してあげるのが父としての務め。それとも、雫がしきたりを破ってでも選んだ男が信じられぬか?」
「そう言うわけではございません……」
「なら良いではないか。名家としての立場など二の次で良い。まずは家族を幸せに出来る父親であれ。分かったな? 厳十郎よ」
「……はい。しかと受け止めました」
「分かってくれたならそれで良い。息子の間違いを正すことがワシの務めじゃ」
そうして、首を縦に振る茂雄はその場に立ち上がり……雫が乗る車に顔を向ける。
「車から出てくるのじゃ、雫よ」
「お、御祖父様……」
その声をしっかりと耳に入れた雫は、車のドアを開け祖父である茂雄に面を合わせた。
「ほぉ、これはまた別嬪になったのう。……さて、お主が乗る車はこっちじゃよ。この車で好きな場所に下ろしてもらうと良い。その姿を
「……っ!」
茂雄が『こっち』と指した車は真っ赤に彩られたスポーツカーだ。
「陸を逃すことだけはするんじゃないぞ、雫。あやつはそれほどの男じゃ」
「はいっ……。絶対に、絶対に逃がしません……」
「フハハッ、それでこそワシの孫よ。では、早く乗ると良い」
「あ、ありがとうございます……。御祖父様……」
「礼はワシをここまで動かした陸に言うがよい」
「はい……っ」
涙ぐみながら頭を下げる雫に、茂雄は微笑みながら本音を伝えた。
これだけ言えば陸と茂雄がどこかで対面したことは分かる。
凛花がどこかで動いてくれたことにも……。
絶望の淵に立たされ……でも、皆のお陰で救われた。雫には感動の気持ちでいっぱいだった。
そうして、高らかなエンジン音を響き渡せたスポーツカーは、雫を乗せて陸の家へ向かうのであった……。
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「……厳十郎。今から東雲家の者へ謝罪に行くぞ、一緒にのぅ。それで縁を切られたならワシの力を貸そう。被害は大きいだろうが、それでも不幸になる者は誰もおらん」
「はい」
「それと、雫には土下座してでも謝っておくのじゃぞ。間違ったことはきちんと謝らなければならん」
「分かりました」
茂雄の発言に厳十郎は大きく頷いた。それは偽りのない本心。
「安心せい、雫の選んだ男は立派であった。必ず幸せにしてくれることよ。源十郎も目に入れてみるが良い」
「それなら、安心して任せられます……。父上がそれほど言うのですから、雫には本当に良い男を捕まえたのですね……」
そんな会話を終わらせた茂雄と厳十郎は、車に乗って東雲家の者に直接謝りに行くのであった。
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