第51話 逃げ道の無い今
「諦めが悪いぞ、雫。どれだけオレを失望させたら気が済むんだ?」
「……」
雫が独りでにこもる部屋に、険のある言葉が流れ込む。扉の外から父である厳十郎が憎たらしげに声をかけてきたのだ。
「お前がそのつもりならオレだって容赦せんぞ。……出来る限り罰は与えたくはなかったんだがな」
「……思ってもいないことを言わないで下さい。元々罰を与えるつもりではなかったですか」
「ハハハッ、それはそうだ」
「何度も言いますが、私は彼とのお付き合いを認めてくれるまでどのような罰も受けるつもりですから」
扉越しから皮肉を込めた言い方をする厳十郎だが、雫は軽く流した。元より罰を受けるつもりだった雫だからこそ、この受け答えが出来る。
突っかかる必要など何もないのだ。
「呆れたやつだ。そんな希望を持つなどと。……それなら言葉通り、罰を受けてもらおうじゃないか」
「……何なりと」
『何なりと』なんて口にする雫だが……その声音には確かな緊張が含まれていた。そう、雫はここで初めて処罰を聞くことになるのだから
「週末の土曜日、見合いをしろ。もう予定は立ててある」
「……分かりました」
雫がこうも簡単に了承する理由は一つ。見合いをした後に『タイプが合わなかった』として
そもそも、陸と付き合ってる関係の雫はこの選択肢しかありえないこと。
「ああそう、忘れていた。……その見合いの相手は、東雲家の者だ」
「っ……!?」
東雲家。その言葉を聞いた瞬間ーー雫の顔は真っ青になる。
厳十郎は雫の思考を全て読んでいたからこそ、雫の確固たる決意を揺るがせることが出来た。
「見合いを断る。それでも構いやしない。オレはともかく……お前の母である麗華や妹である凛花。そして使用人の者達を不幸にさせたいのなら、な」
「…………卑怯者」
「ハハハッ、それはお前のことだろう。お前を海外に留学させればその彼氏とやらを呼ぶつもりだったのだろう? それに、見合いを断れば我が家の圧力が彼氏の家に向くことだろうな」
東雲家は九条家が持つ企業を支えている中核。ビジネスパートナーの相棒でもあり、絶対に失ってはいけない力。
お見合いを
東雲家を失った場合、九条家の損失は測りしれない。衰退は目に見えている。
ーー結果、不況が生まれ……家族もこの家で働く使用人も不幸にすることになる。
厳十郎は理解していたのだ。この見合いに雫は断ることが出来ない、と。
母である麗華、妹の凛花、そしてこの家で働く使用人を不幸にさせることは雫が最も嫌がること。
でも、それを簡単に回避する方法がある。
ーー雫が陸と別れ東雲家の者と付き合う。たったそれだけなのだ。
「しきたりを破り、反省の色も見せないお前に期待も何もしていない。そんな救いようのない奴を勘当しなかっただけでも感謝してほしいものだな」
「……感謝などしません。私を家の道具のように扱おうとするお父様になど……」
「ハハハッ、そのつもりは全くないのだがなぁ」
大きな高笑いを見せる厳十郎に、じわじわとした怒りが湧いてくる。気付けば雫は無意識に拳を握りしめていた。
その手は青白くなり……血流が止まるほど。
「大体、お前の彼氏とも馬鹿としか言いようがない。庶民の分際でオレ達のような身分の者と結婚出来るはずなかろうて」
「……彼の悪口だけは言わないで」
「はん? その彼氏とやらもどうせ金目当てでお前と付き合ってるのだ。それこそ、お前を阿呆の道具としか思っておらんだろう」
「……ふざけないでッ!」
雫はそこで初めて父に荒げた声を出す。雫がこれほどまでに感情的になったことはない。もしこの現場を学園に通う生徒が見たならば凍りつくほどだろう。
「私を蔑すむもの、愚痴を吐くことも構いません。ただ……彼を知ろうともしないお父様がそれを言うことだけは絶対に許せない」
「許せない……? ハハハッ、そもそもお前が惚れた男になど微塵も興味ないわ。お前は素直にオレに従っていればいいんだ。オレが選ぶ相手は財も力も位もある。必ず幸せになれる。……それに比べてお前の
財力の上に立つ厳十郎だからこそ、子の付き合う相手の地位や位を求めてしまう。
だが雫にとってその考えは理解できない。雫は好きになった人と幸せな時間を過ごしたいだけなのだ。
「それだから、それだから……私の気持ちなんてお父様には分からないのですよ」
「ふん。オレに反抗するなら見合いでもなんでも断れば良い。そして皆を不幸にしろ。出来損ないのお前の顔など見たくもないわ」
それが厳十郎の別れ言葉……。そのまま足音無く去っていく……。
「……私は、私は……どうすれば良いの……。誰か……教えてよ……」
そして無に包まれる雫の自室。ーーすすり泣く悲しげな声が何時間も続いていたのであった……。
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「御祖父さま……」
『事情は全て分かった。……ワシもすぐ動かなければならぬようじゃのう』
別の部屋では、そんな電話のやりとりがされていたのである……。
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