第49話 希望

「幻滅されることも、罰を受けることも分かってた……。それでも、それでも私はりく君と付き合い続けたいの……」

 雫の父が去った後、リビングに粛然しゅくぜんが包み込む。

 一人っきりの空間だからこそ本音が溢れ出る……。


(後は罰が軽いものになることを願うだけ……。りく君と離れることだけはしたくない……)

 あの怒り様から、罰が軽いものになる確率はゼロに近いだろう。それが分かっても雫は願うしかない。

 雫は初めて父に口答えした。気持ちをぶつけた……。やれることをした以上、時間に身を任せるしかない。


「し、しずく姉さん……」

「……リン」

 その時ーー開閉音を出すことなく凛花がリビングにやってきた。父がいなくなったタイミングで姿を現したということは、さっきの現場を見ていたのは間違いないこと。


「これを使って下さい……。頰、腫れてます……」

「もう……。一番見られたくないところを見られたのね……」

 少し息切れした様子の凛花。その手に持っていたのは薄い布と柔らかい保冷剤だった。

 急いで準備してくれた。そんな気遣いがさっきの傷を優しく包みこんでくれる。


「ありがとう、リン……。でもこれは当然の報い。しきたりを破ったのは事実だから……」

「……」

「お父様にこんなことをされる覚悟も持って、私はりく君とお付き合いをしたの……。だから、大丈夫」

「涙を流しながらそんなこと言わないで下さい……」

「……っ!?」


 凛花の発言で指を目元に当てる雫。ここでようやく気付いた……。涙が無意識に流れていたことに……。


「な、なんで……。と、止まらない……ぐすっ」

「しずく姉さん。辛いなら辛いと言って下さい。わたしはしずく姉さんの味方ですから……」

「ありが、とう……」


 椅子に座り、涙を流す雫を宥めるように抱きしめる凛花。

 血の繋がった父にすらお付き合いを認められなかった辛さは想像を絶するものだろう。例えそれがしきたりのせいであっても。


「まずは休んで下さい。……しずく姉さんにはそれが必要です……」

「……」

「次はわたしが頑張る番ですね」

「無理だけは……しないで」

「はい、お気持ちだけ受け取っておきます」


 抱き締めている腕から泣き顔を晒す雫に、凛花は微笑を浮かべながらそう答えるのであった。



 ========



 時刻は23時。車通りもほとんどなく、街明かりも消え、全体が静まり返る時間帯。


『コンコン』

 一つの部屋に小さなノック音が数回鳴った。


「どちら様?」

「凛花です。お母さまにお話があってきました」

「入って良いわよ」

「……失礼します」


 母の許しを得た凛花はドアノブに手をかけ、ゆっくりと部屋の中へ入る。この部屋は母の自室。大事な話をするのに持ってこいの空間だ。


「ふふふ、この時間を狙うなんて流石ね、凛花ちゃん?」

「ありがとうございます。わたしがお母さまと二人っきり、、、、、でお話が出来るのはこの時間帯しかありませんから」

「パパは仕事部屋で資料のまとめをしている時間だものね」

「はい」


 凛花よりも、雫よりも頭が回るのが二人の母親ーー九条 麗華れいかだ。この口振りからするに、深夜帯に凛花が来ることは予想していたのだろう。

 そして……雫がリビングで何をされたのかも。


「……凛花ちゃん、あなたが本題を口にする前にワタシから言うことがあるわ。……これはあなたの本題に繋がることでもあるの」

「そ、それは……?」


 その返しに数秒の間が空き……言った。


「……ワタシが雫ちゃんに手を貸すことも、ワタシがパパを説得することも出来ないの」

「なっ!?」

 突として麗華から出た言葉は、凛花が抱いた期待や希望を一瞬で消失させるものだった……。


「雫ちゃんはしきたりを破った。それはどんな事情で一番してはならないこと。勘当されても文句の言えないレベルにあることは、凛花ちゃんも分かっていることでしょう?」

「で、ですが……!!」

「ですが?」

「…………」


 反論をしようとしてもそれ以上の言葉が出てこない。それはそうだ。母である麗華の言葉は正論。ーーそれが凛花にも分かっているからだ。言うならば、凛花は気持ちだけで行動している。


「あのね、凛花ちゃん。ワタシ達は一般の家系とは違うのよ。……名家のとしてのワタシは母親としてこうあるべきなの」

「お、お母さまの気持ちはどうなのですか!? それで良いのですか!?」

「ワタシの発言と気持ちが異なっていたら……どうなるの?」

「っ!」


 棘が混ざった声音。スイッチが切り変わったように凛花を睨んだような眼光。それだけで全ての勢いを失ってしまう。


『名家のとしてのワタシは母親としてこうあるべき』

 母である麗華は既にこの発言をしている。それは“気持ち”だけではどうしようも出来ないと暗示しているもの。


「ワタシはこれから残酷なことを言うわ。あなたは雫ちゃんの妹としてちゃんと聞きなさい」

 有無を言わせないオーラを漂わせながら前置きする麗華に、無意識に凛花は息を飲む。


「……雫ちゃんに待っているのは三つのうちのどれか。強制的なお見合い、そして婚約をさせられるか。付き合っている彼と別れの言葉を出させるために何年も何十年も海外に飛ばされるか。……家を勘当されるか」


 結局、何もしなければ麗華の言う通りになってしまう。この三つの中のどれかになるのは間違いないこと。


「……そして、付き合っている彼にはこの家からの圧力が掛けられることでしょう。しきたりを破ったのは彼のせい、、、、でもある。パパがそう捉えるのは自然なことで、雫ちゃんを誑かした責任を取らせようとする。……それが名家を面を保つ役割にもなる」

「っ!? ……そ、そんなことをして、しずく姉さんがどうなるか分かっているんですか!!」


 これまた言葉通りになれば、陸と付き合った雫は罪悪感を超える感情を抱くことになる。

 陸に責任を取らせようとすることは、陸を含んだ家族、、に該当し……一家を崩壊させる要因。

 責任感の強い雫が壊れてしまうのは…………想像するまでもない。


「分かろうとするのはあなたよ。しきたりを破った者に差し伸べられる手など何もないの。……誰かが変わらない限りはね」


 感情に身を任せる凛花と違い、表情を変えることなく事実だけを突き付ける麗華。


「もう良いです……。お母さまを頼ったわたしが馬鹿でした」

「待ちなさい」

「……失礼しました」


 凛花は麗華の言葉を聞かず……部屋から去っていった。



 =======



(何も分かってくれなかった……。わたし達をここまで育ててくれたのに……)

 母である麗華にそんな怒りを抱きながら自室に戻った凛花の机には、四つ折りになった置き手紙があった。


「なに……これ」

 凛花は無言のままその置き手紙を開き……ゆっくりと書かれている文字に目を走らせる。


 全てを読み終えた時……凛花は無意識に目を見開いていた。


 その手紙に書かれていた文字はーー

『これはパパのお父さんに直接繋がる電話番号よ。……あなたにその覚悟があるなら使いなさい』

 それは間違いなく麗華の筆跡。そして……凛花は全てを理解する。


『分かろうとするのはあなたよ。しきたりを破った者に差し伸べられる手など何もないの。誰か、、が変わらない限り』


 付け加えたような発言。それは麗華自身を当てはめたものだと言うことに。

 麗華が名家としての母親の立場ではなく、ごく普通の母親として動いてくれようとしていたことに……。

 凛花の動きを全て予期して、使用人にこの手紙を置かせたことに……。


 麗華が雫や凛花に『協力する』と言えない事情にあったからこその対応であることは明白……。


「ほんと、貴女には敵いません……。ありがとうございます、お母さま」

 凛花は置き手紙に記された電話番号をスマホに打ち込んだ後に、深々と頭を下げるのであった。


 そして……凛花との別れ際、

『ワタシはもう何年もパパを説得しているのよ……。陸君、、のことを』


 そんな言葉が空を切っていたのである……。



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