第41話 side、雫と凛花

「も、もう……。ど、どうしよう……。りく君のせいで頰が緩みっぱなしじゃない……」


 雫は自室に備えられている鏡で自分の顔を確認しながら、両手で頰を抑えていた。

 触れば触るだけ緩み具合が分かるというもの……。だらしない顔付きになっているのは自覚出来るほどだった。


「ふふふっ……。私がりく君の彼女……。彼女……」


 でも、公園でのことを思い出せば思い出すだけ、翼が生えたように身体が軽くなる。陸の告白……それが今でも脳裏を駆け巡っていた。駆け巡っていたからこそ、この顔が直せない。


「こ、恋人繋ぎもして……だ、抱きしめてくれて……た、たくさんキスもして……。あんなこの……初めて……」

 直そうとすればするだけどんどんと崩れてくる。


(も、もう、抑えなきゃ……。気持ちを抑えないと……)

 雫はゆっくりと寝所に近付き……そのまま身体をベッドに預け落ち着こうとする。

 だが、簡単に冷静になれるなら雫がここまで乱れることはない。


 うつ伏せになり顔を枕で埋め、無意識に足をバタバタとさせていた。

 それは間違いなく嬉しさを爆発させたもの。そこにピシッとした生徒会長の面影は全くない。……が、これもまた知る人ぞ知る雫の顔。年相応なところである。


「バタバタと騒がしい音が聞こえると思ったら、何してるんですかしずく姉さん……」

「っ!?」


 ーーと、そんな声が唐突に現れた。その声主は一瞬で分かり、雫はベッドの上で硬直させる。……凛花が雫にジト目を向けているのは、た易く想像出来る。


「勉強をしてるのでもう少し抑えてくれれば嬉しいです。一応何回もノックをしたんですからね?」

「ご、ごめんなさい……」


 今のだらしない顔を見られるわけにはいかない。雫はうつ伏せになったまま凛花に謝った。


『ガチャ』

 そうして、自室の扉が閉まる音が響く。それは凛花がここを出て行ったと言える音でもある。


 注意を受けた後、反省の文字が浮かびあがるのはもちろんのこと。

 妹の勉強の邪魔をしてしまった……。ましてやノックにすら気が付かなかった……。


“姉としての不甲斐なさ”

 そのストレートパンチが雫を冷静にさせた。


「よ、良し……。もう大丈夫……」

「本当ですか?」

「えっ!?」


 ありえるはずのない返答が背後から聞こえ、瞬時に後ろを振り返る。そこには右手にピンク色のシャープペンシルを持った凛花が佇んでいた。


 ドアが閉まる=帰った。そんな当たり前な思考をしていた雫は頓狂な声を上げてしまう。


 凛花がした行動は簡単。雫の自室に入り、扉を閉めただけだったのだ。


「で、出て行ったわけじゃなかったの……?」

「しずく姉さんの周りにハートが飛び回ってましたので、様子を見ようとしました」

「そ、そんな比喩を使わないでよ……。せ、せっかく落ち着いたのだから……」


 笑うこともなく、真顔で的確な表現をする凛花。


「や、やっぱり……バレているのよね」

「気付かないわけないじゃないですか。帰宅したと思えばわたしを避けるように自室にこもるんですから」

「だ、だって、リンにさっきまでの顔は見せられなかったんだもの……」


「その気持ちが分からないことはないですけどね。……わたしが言うことは一つです。……陸さんとお付き合い、おめでとうございます」

「あ、ありがとう……」


 第三者の凛花にそんなことを言われるだけで、陸と本当に付き合うことが出来たのだと実感出来る。雫は小声でお礼を伝えた。


「あ、それと……橘財閥の萌さんからもそのような伝言を受け取ってますので伝えておきます」

「あ、あの橘さんが……?」

「はい。もちろん素直に受け取って大丈夫です。裏はなにもありませんから」

「……何か手を出したわね? リン」


『橘財閥、萌さんを警戒してください』そう促してきたのは凛花だ。そんな凛花が確信たる口調でこう言っている。

 何かしらの力が働いたのは想像するまでもない。


「わたしは何一つ手を出していません。出したのは陸さんです」

「り、りく君が……? そうだったのね……」

「深くは追求しないんですね」

「ええ……。大体分かるもの」


 この発言で橘財閥である萌と陸が接触したことは明白。

 接触した目的が何なのか、『陸と帰ろうとした事実』を元に、ある程度の予想は付く。

 どのように陸と交渉しようとしたのかも。もしかしたらその交渉で陸が萌を怒ったのかもしれないと。


「うふふっ。……しずく姉さんが想像してることは正しいですよ。陸さんはその交渉をちゃんと断った。陸さんらしいことです。……正直、わたしはしずく姉さんに嫉妬してます」

「わ、私に……?」

「はい。わたしだって陸さんのことを昔から知っているんですよ? 凄く魅力的な男性であることはしずく姉さん同様に分かってますから」

「ふふっ、リンがそう言ってくれて嬉しいわ。それなら今度3人で遊びに行きましょう?」


 陸という彼氏が正しく評価されることは雫にとって嬉しい以外にない。嬉笑しながらそう提案する雫。


「魅力的な提案ですが、それは遠慮したいと思います」

「な、何故かしら……。断られるとは思わなかったのだけれど……」

わたしを差し置いて、、、、、、、、、イチャイチャした後にホテルに直行しそうですから」

「なっ……!?」


 驚きを露わにする雫に対して、『当然だ』と伝わるような真顔で言葉を続ける凛花。


「可能性は十分ありますよ? しずく姉さんはスイッチが入ったら誰にも止められないですし、望んでいないわけじゃないですよね?」

「わ、わわわわ私はそんなこと……」


 否定的な言葉とは裏腹に、顔を真っ赤にしながらモジモジモジモジと、人の数倍以上落ち着きを失っている雫。

 肯定を示しているのは誰がどうみても分かる。


「あ、あの……。しずく姉さん。ほぼ冗談のつもりでだったんですよ? わたし……」

「も、もぉ……っ!」

 ここまでくれば取り返しがつくはずもない……。雫は枕を利き手に持ち、凛花目掛けて勢い投げ付ける。


「あ、あぶっ!? で、ですから、存分にイチャイチャした後にわたしを誘ってくださいね!」

「んんんーっ!」


 二投目の枕を投げたと同時に、凛花は危険を察知して雫の自室からそそくさと撤退する。雫の力はそれほど強いわけでもなく、命中率もあるわけではない。ーー逃げるだけなら簡単なのだ。


『…………』

 騒がしかった空間に静寂が訪れ……少しの時間が経った後だった。


「しずく姉さん、一つだけ聞いてください」

「……な、なによ」

 凛花は扉越しに声を掛けてきた。その声音は真剣味を帯びており、聴き逃せるようなものではなかった。


「……数日後、お母様とお父様が帰ってくるそうです。アレ、、の弁論を考えておいたほうが良いかと」

「…………」

 その発言の後、雫から返事は戻ってくることはなかったのだ……。


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