第39話 叶う……その瞬間

「…………」

「…………」

 陸の告白に数秒……数十秒の静寂が訪れる。その間、決して視線を逸らすことはせずに、視線を送り続ける陸は雫の返答をジッと待った。


「じ、冗談はやめなさいよ……。そ、それは良くないわ……。良くないわよ……」

「冗談でこんなこと言えるかよ……。俺は雫が本気で好きなんだ」


 陸の表情は真剣そのもの。好きだという感情に気付いたからこそ、陸は自信を持って『本気だ』と言える。……この気持ちを伝えた今、告白を冗談などと捉えられるわけにはいかないのだ。


「……だ、だっておかしいじゃない。いきなり……こんな……」

「ほ、本当はここに来るまでにいろいろと話すつもりだったんだよ……。でも、雫が先を急いでそうさせてくれなかったから」

「えっ……」

「だ、だから俺に悩みがあるわけじゃない。……ただ、告白をする場が欲しかったんだよ」

「っ……!?」


 そう伝えた上で陸は息を大きく吸い込む。身体をそわそわさせ、視線を彷徨さまよわせる雫に遠慮することなく気持ちをぶつける。


「だからもう一度だけ言う……。ーー俺は雫のことが好きだ」

「……っっ!」

 陸に逃げ道などない。想いを伝えた以上、あとは雫の返事を待つだけ……。

 告白した恥ずかしさ。返事を聞く恐怖。この二つの感情が混合し、頭が何一つ回らなかった……。


「り、りく君……。い、良いの……? 本当に……」

「……?」

 そんな告白をきちんと耳に入れた雫は、震えた声で目尻を下げながら意味深な言葉を発し……続けた。


「……も、もし、貴方と付き合ったなら、私は面倒くさい女になるから……。わ、私は独占欲もあるし、嫉妬もしてしまう……。お付き合いの関係になったらそれはさらに強まる……。そ、それでも、良いの……?」

「良いの? って、それは俺も同じだよ」


お付き合いの関係になった場合……友達とはまた別の特別な感情が生まれる。それは『取られたくない』『ずっと一緒に居たい』そんな独占欲。そして異性同士が仲良くしていることを見ての嫉妬。

誰にでも感じてしまう感情だ。


「私、わがままだから……、りく君と一緒にいられる時間を作ってくれないと機嫌が悪くなるわよ……」

「……そ、そりゃ一緒に居られる時間くらい作るって」

特別な関係になった以上、一緒に居られる時間を作るのは当然の役目。恋愛経験が何一つない雫だからこそ、当たり前のことを当たり前に捉えられないのだ。


「それに……。わ、私の言うお付き合いは、家柄のこともあって結婚を前提、、に。なのよ……?」

「ああ、知ってる。……でも、上手い関係が続けばいずれはそうなる」


 陸の言い分通り、もし雫と付き合ったとして、仲の良い関係を続けることが出来たなら、いつかは結婚を視野に入れることになる。

 だからこそ今はまだ深く考える必要はない。……いや、今の状況的に考える余裕がないと言った方が正しかった。


「正直、今の俺が雫に釣り合ってないことは分かってる。…………でも、いつかは必ず雫を引っ張れる男になるからさ」

「もぅ……。今以上に格好良くなってどうするつもりなのよ……」

 その声は誰もが聞き取れないほどの小ささ。


「え?」

「な、なんでもないわ……」

 雫は首を左右に振り、頰に溜まる熱をどうにか逃がそうとする……。しかし、陸に告白をされた事実がある以上……熱を逃したところで再び溜まってくる。キリがなかった……。


「……あ、あのさ、雫。こんなことをいきなり言うのもどうかと思うんだけど……」

「……な、なに?」

「今ここで、告白の返事を聞かせてほしい」

 陸はその場から動くことなく、ジッと雫を見つめる。緊張で足が竦むことをどうにか我慢しながら……。


「自分の時だけ……そんなの、ズルいわ」

「そ、それはごめん……」

「なら……、私のお願いを聞いてくれる……?」

「お、お願いって?」

「もう一度だけ、ここのベンチに座るだけでいいの……」


 そんな陸に対し……雫はこの条件を出した。誰にでも出来る簡単な願い。

 さっきまで陸が座っていたベンチをトントンと叩き、場所を示す。この瞬間……雫の顔はゆでダコのように真っ赤に染まる。


 陸は想像すら出来ないだろう……。雫がこの瞬間からあること、、、、をしようとしていることに。


「も、もしかして俺が座った時に逃げるつもりじゃないよな……?」

「そのつもりはないわよ……」

「本当だろうな……?」

「ええ……」

「そ、それなら良いけどさ……」


 雫のお願いを聞かないことには話は進まない。陸はその指示に従い、再度ベンチに腰を下ろす。

そうして、陸が雫の方に振り向こうとした瞬間だった……。


「ごめんなさい……強引で」

「ッ!?」

 ーー右手を陸の膝の上に、もう片方の手を肩に置き、逆に雫が立ち上がった。


「りく君……。動かないで、ね」

「ど、どういうことだよっ!?」

 さっきとは真逆の体勢……。それだけではない。ベンチに座る陸に雫は体重を乗せ、身動きを封じたのだ。

 お互いの距離は物差ものさしひとつ分……。火が出そうな顔色をしている雫だが、引く様子は全くなかった。


「お、おい!?」

「まだ、分からないのかしら……。私があの時、、、、りく君に言ったことを……」

「あ、あの時ってなんだよ!?」

「すぐに……分かるわよ」

「え、ちょっ……!?」


 もう雫を止められる者はいない……。身動きを封じている陸に向かって、自らの顔を近付けていく……。

 雫は前々から決めていたのだ。『あの時』に言ったことを行動に移すと……。


「あ……」

 雫がなにをしようとしているのか、気付いた時にはもう遅い……。

「ーーっ!」

「んんッ!?」


 ーー雫は勢いのままにピンク色の唇を陸に押し付けたのだ……。動揺から抵抗に走る陸に負けじと、出来る限りの体重をかけて……。声を出させないほどに強く……。


「んっ……ちゅっ」

「ッ、んんっ!?」

 陸の逃げ道を完全に封じた雫は……自分の意思で、息が続かなくなるまで長く深いキスを続ける……。もう逃がさない……そう伝えるように……。


「ちゅっ……。んっ……っ。ちゅ…………んぅ」

 何秒の接吻なのか、それは誰にも分からない……。ただ、雫は一度の機会を逃さないように陸の唇をむさぼるように押し付け続け……ゆっくりと離した。


「……りく……君」

「はぁ、はぁ……。お、おいっ! ほ、ほんとに何してんだよ!?」

 ずっと呼吸が止まっていた陸は息を途切れさせながら反抗する。それとは逆に……雫は顔をトロンとさせ高揚した表情をさせていた。


「これが、私の答え……。一番に奪うって言ったじゃない……」

「……っ!」

 その言葉を聞いた瞬間ーー陸の脳裏に『あの時』の光景が蘇った……。


『……その唇も、その心も、一番に奪うのは私だから。それだけは覚えておきなさい』

 彼女になる約束をした時に言った、雫の言葉を……。


「私のファーストキスなんだから、忘れないでよね……」

「え、あ……」

どもる陸に、雫はどんどんと本音を漏らしていく。まるで開かずの扉が口を開いたように。


「もっと早く告白して欲しかった……。私、ずっと待ってたんだから……」

「そ、それは……ごめん」

「私が許すと思ってるの……?」

「え……」

「ばか……」

「ーーッッ!?」


 雫の感情の高ぶりは今まで以上のもの……。勢いに任せたまま二度目の強いキスを交わしてくる……。

 だが、陸は一瞬驚いただけで抵抗をすることはなかった……。陸は雫のキスが終わるまで目を瞑り……陸は正面からその想いを受け止める。


『ちゅっ』

 と、キスが終わる証明……リップ音が小さく響き、陸が目を開けた矢先ーーそこには想像もしていなかった光景があった。


「……っ!? ど、どうして泣いてるんだ……よ」

「……りく、君……」


 陸の視界に入ったのは、嗚咽を漏らすことなく微笑みながら涙を流している雫だった……。

 その涙は頰を流れ、地面に落ちる。ポタポタと落ち続ける……。


「と、止まらないのよ……。ぐす……っ。う、嬉しくて……嬉しくて……」

「お、おい……」

「ぐすっ……。り、りく君……っ」


 雫が陸の名を、彼氏の名前を呼んだ瞬間……。雫は胸元に飛び付いてくるように、力強く抱きついてきた……。

 雫の細く柔らかい身体は、陸によって支えられ……甘い柑橘系の香りが二人を包む。


「ようやく、叶った……。ようやく……」

「雫……」

「ご、ごめんなさい……。ぐすっ、先輩の私が……こんなに……っ、甘えて……」

「あ、ああ」


 陸はこの言葉だけを伝え……ベンチから立ち上がり、ギュッと雫を抱き締め返す……。雫の首元と腰に腕を回し、優しく包みこむように……。


「……泣き止んだら、今日は帰ろうか」

「まだ……時間がかかるわよ……」

「だ、大丈夫……。今は俺も離れたくない……」

「うん……」

 陸と雫は互いの体温を分かち合うように抱き締めあったまま……時間に身を任せる……。


 相合傘をした時に一度だけ話したことがあった。ハグをするときの理想の身長差……20cmを。

 二人の身長差はその20cm。陸が雫を包み込み、雫が陸に包み込まれるようなハグが生まれる……。


 そして……数分、数十分が経った時だった。『離れる』そんな合図をするように雫は腕の力を弱めた。


「もう、いいのか?」

「……ええ。これ以上すると、りく君から離れられなくなるもの……」

「そっか……」

 雫の願いを聞き、陸もハグをやめる……。雫の目は少しだけ充血しているものの、涙は流れていない。陸の腕の中で泣き止んだのだ。


「って、もうこんな時間だったんだな……」

「そうね……」

 公園に設置されてある時計を見れば、もうすぐで17時40分を回ろうとしていた。お互いが帰宅するには十分な時間だ。


「それじゃ……帰ろうか」

「うん……」

 陸が差し出す手に……雫は頷いて手を握る。

 ーーお互いの指の隙間に指を絡め、離れないようにギュッと力が入る……。

 それは言うまでもなく、恋人繋ぎ……。


「本当に恋人になったんだな……」

「恋人……」

 互いの手を握り合い、二人で公園の外に足を運ぼうとした最中ーー雫は不意に立ち止まった。


「ど、どうしたんだ……?」

「りく君……。最後にもう一度、私のお願いを聞いてほしいの……」

 雫は眉尻を下げ、声を落としながら呟いた……。


「最後は……りく君からしてほしい」

主語がない言葉だが、その意味は簡単に分かるもの。雫が催促するようにつま先立ちして待っているのだから……。


「い、一回だけ……だからな。一回だけ……」

「うん……」


陸はその要望に応え、ゆっくりと腰を折る……。そして、雫の方は上目遣いを見せながら陸の首元に手を回した……。

次の瞬間から、月光から地面に映る二人の影がどんどんと縮まり……重なる。


 そこに小さなリップが一度……いや、数回に渡って鳴り響いた……。まるでこの日を忘れることは決して無い。そう暗示するように……。

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