第36話 その時へ……

「……ダメですよ、陸さんにそんな手の出し方をしては」

 ーーその直ぐのことだった。

 校庭から一人教室に向かっている萌を、ある者は呼び止めた。


「……はぁ。凛花さんですか。やっぱり、、、、萌をマークしていたのですね」

 萌は立ち止まり、ある者の声源に目を向ける……。そこには壁に寄りかかった凛花が不敵に微笑んでいた。


「もちろんですよ。昨日、陸さんにお誘いしていた時点で。それに、萌さんは警戒しておかなければならない人物の一人ですから」

「……これだから九条家は嫌いです。姉妹揃って優秀で」

「わたしも嫌いですよ。萌さんはライバル企業の娘さんでもありますし」


 仲が悪くも、話し相手としては悪くない。そんな二人の関係は小学生の頃から続いている。

 お互いの家柄がを似た者同士、分かり合えるところは多岐にあるのだ。


「萌を待ち伏せしていたとなると、さっきの会話をどこかで聞いていた。もしくは観察していたわけですね」

「うふふっ、それはご想像にお任せします」

「相変わらず曖昧な返事をするんですから、貴女は」

「ズルい女の常套じょうとう手段ですよ?」


 探りを入れる萌に、探りの手を上手に躱す凛花。お互いの話術は中学生の比を超えている。

 この二人はれっきとしたお嬢様。このくらいの技術は自然に身につくものであり、身に付かせておくべきもの。


 財閥の中での集まりでは、何かしらの一言がトラブルを招く恐れがあるのだから。


「……誤解を招くのは嫌なのでこれだけは言っておきます。萌はこれ以上せんぱいに手を出しません。嘘ではないので安心してください」

「何故……と聞いても?」

「萌がしてたのは九条雫への逆恨み……。これを認め、辞めた結果です。貴女にこんなことを言うのはどうかと思いますけどね」


 ふっと口から息を吐き出した萌は、罪悪感を抱いたような顔付きで視線を下に向けた。

 今までの行為を反省している……そんな様子だった。


「では、これからどうするおつもりで?」

「……そうですね、九条せんぱい、、、、を越える生徒会長にでもなってみようかと。まだ先の話ですが」

「しずく姉さんを越える……? それはまた随分と大きく出ましたね」


 容姿端麗、博学はくがく多才。

 周りからの絶対的な信用、信頼があり、歴代最高の生徒会長と呼ばれる雫。

 この文字だけで越えることの難しさを物語っている。

 当然、萌にはそれくらい分かっていること。


「困難なこと分かってますよ。あの人は嫌いですが、とても優秀なのは認めてますので」

「妹としては誇らしい言葉ですね、ふふっ」

「裏から手を回して心汚い女になるより、九条せんぱいを越える努力をして自分のプラスに変えた方が良いですから。越えられればそれが萌の復讐になります。さりげないものですが」


 このような思考が出来るようになったのは、核心をついた陸の説教ーー及び萌の素直さがあったからだ。

 そもそも、素直さがなければライバル企業の娘ーー凛花と仲良く出来るはずがない。


「あの、心汚い女とは、もしかしてわたし達姉妹のことを言ってます?」

「そう思うなら、そうかもしれないですね」


 萌はお返しをするように、微笑を浮かべて凛花に顔を合わせる。


「……折角ですし、凛花さん。せんぱいのことについて少し教えてほしいんですが」

「わたしが答えられる範囲でなら良いですよ」

「では、せんぱいが何者なのかを答えてほしいです」

「それは?」


「……も、萌はせんぱいと付き合うために大金や高級品を対価としました。萌と付き合うだけでお金や高級品をもらえるなら、欲望のために付き合うはずなんです。……でも、あのせんぱいは即答するように断り、萌を怒った。……学生じゃありえない対応なんです……」


 萌にとって衝撃的な体験がさっきの出来事だった。これは生涯忘れることはないと自信を持って言える……。

 名家でもない一般人の相手がこの条件を断り、説教までする。

 普通に考えて想像すら出来ない話なのだ。


「ああ、それなら簡単です。それが陸さんですから」

「……?」

「どんな欲よりも一人の友達を大切にする。他人にも優しくする。簡単なようでこれはとても難しいことを陸さんはしているんです。しずく姉さんが惚れる理由の一つかもしれませんね」

「そう言うことですか……」


 数分前の陸との会話を思い返す萌は、『なるほど』と胸に収まったように首を縦に振る。反論する余地もなかったのだ。


「はい。陸さんのようなお方をお目にかかることはもう無いと思います。もし、しずく姉さんが陸さんと付き合ってくれたのなら、わたしの鼻も高いものですよ」

「凛花さんがそこまで人を褒めるなんて……。貴女もよほどお気に入りの人物なんですね」


「うふふっ。しずく姉さんを救ってくれた唯一の男性ですから」

「そういう関係でもあったわけですか……。どうやら萌は茨の道に足を踏み入れてしまったようですね」


『それをもっと早く教えて欲しかった』なんて言いたげに肩を落とす萌だが……間を空けて真剣な表情に切り替わる。

 話はもう終盤、凛花も居住まいを正して耳を傾けた。


「すみません、九条せんぱいに一言伝えてもらってもよろしいですか?」

「はい、なんでしょう」

「……ごめんなさい。やっぱり今はまだやめておきます」

「なんですかそれ……と言いたいところですが、『良かったですね』との伝言ですか?」


 ニヤリと一本を取ったように片側の口角を上げる凛花。それは的を得た答えだったのだろう、萌はふんっ、とそっぽ向いた。


「心を読んでくる相手は本当に厄介です……。せんぱいの態度を見て分かったんですよ。あの人のことを想っているんだなって」

「失礼ですが、萌さんにそんなことを言われても困ると思いますよ? しずく姉さんは」


「だからやめておくと言ったんです」

「……でも、その言葉を掛けるなら今日中の方が良いかもですね」

「どう言う意味ですか?」


 薄ら笑いを浮かべて紫色の瞳を細める凛花は、言葉を繋げてこう言った。


「陸さんはやるときにはやるということですよ」

「……ですか。では言葉を変えることにします」

 

 その一言で全てを察せるもの。

 萌は頰をゆっくり掻きながら、とある言葉を凛花に掛けるーーその瞬間、強風が吹き荒れた。

 その声は風に攫われたように目の前に居る一人の相手にしか聞こえないものとなる。


「分かりました。そう伝えておきます。それでは、わたしはこれで」

 萌の言葉をしっかり聞き入れた凛花は大きく頷き、髪を揺らしながら去っていく。

 その後ろ姿を見届ける萌は、どこか羨ましがる視線を送っていたのだ……。



 ーー同時刻、とある女子のスマホが振動する。


『雫、今日大事な話があるんだ。もし良ければ一緒に帰らないか?』


 それは、誰かが雫に送信した一通のメールの通知であった……。

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