第35話 萌と気付く気持ちと
「この辺で大丈夫ですかね……」
「いやいや、隅っこに移動しなくても……。そんなに聞かれたくない話なのか?」
「はい。誰にも聞かれるわけにはいかないので」
萌が足を止めたのは、学園の隅にある木陰だった。
現在は昼休み。こんな場所に来る者は誰一人としていない。いるはずもない。
そんな場所に連れてきたからには、二人っきりでしか話せないことなのだろう。
「一つ確認をしたいんですが……良いですか?」
「別に良いが……、それはなんだ?」
「……九条雫と付き合っていないんですよね?」
「ああ。昔から付き合いがあるってだけ。……でも、どうしてそんなことを聞くんだ?」
「いえ。せんぱいが九条雫と付き合っていた場合、この話は進められなかったので」
ーー陸はこの時気付く。萌の声音に負の感情が宿ったことに。それも『九条雫』と、その名を呼んだ時に。
「では、単刀直入に言いますね。……せんぱい、萌と付き合ってほしいんですよ」
「……付き合う?」
それは何の前触れもなく、何の緊張も漂わせることなく言ってきたのだ。
「はい、男女交際のことです。もし無理ならば“形だけ”のお付き合いでも全然構いません」
「は、話に付いていけないんだが……。ど、どうしてそれを俺に頼むんだ? まだ関わって2日くらししか経ってないだろ」
好意を寄せられてるわけではない。それは陸にだって分かる。何かしらの目的があって言ってきているのは間違いないこと。
「せんぱいじゃないと意味が無いんですよ。意味が」
「意味……?」
「もちろん、タダで付き合ってくれだなんて言いません。萌と付き合ってくれるのなら、せんぱいの望むものをなんでも差し上げます。お金なら億単位で。お車なら高級車でもどうですか? 免許は後に取れば良い話ですし」
学生にそんなことが出来るはずがない。そんな陸の思考を読み取った萌は先手を打つようにこう言った……。
「萌にはそれが叶えられるんです。聞いたことはありませんか? 橘財閥、橘カンパニーの名を」
得意げに口角をあげる萌。ただ、その反応は正しくもある。現に陸はその名を聞いたことがあるのだから。
「橘……。え? もしかしてそこの娘……さん?」
「はい。ですから無理
軽い口調で話を進める萌だが、その目は本気だった。本気で交渉を進めているのだ。
「それに……萌のような可愛い年下の女と付き合えるんです。せんぱいにとって良いことだらけじゃないですか」
「……まぁ、否定はしないけど」
「そうですよね? お付き合いをするとなればそれなりのコトも当然して良いです。萌は拒むことをしません」
普通に考えるのなら断る理由など見つからないだろう。ただ付き合うだけで好きなことを叶えてくれる。恋人らしいことも出来る。
文句一つも出ない話……だが、甘い話には毒がある。それを証明しているものでもあった。
「なぁ、俺はまだ教えられてないんだが。……萌の目的を」
「なんでも良いじゃないですーー」
「……言ってくれ」
「……っ」
陸の口調、面様はこの瞬間変わった。それは紛れもない怒りから来ているものだ。
「そ、そんな怖い顔をしなくてもいいじゃないですかー」
「萌。お前……雫を
「……」
「大体、付き合うために俺の望みを叶えるとか、そんな条件を提示すること自体がおかしいんだよ」
話の主導権を握った陸は瞳を鋭くさせ、思ったままのことを述べていく。陸は引くことをせずに正面から向かい合う。
こんな重要なことをみすみす逃すわけにはいかない。今、ここでケリを付けなければならなかったのだ。
「もう一度だけ聞く。萌の目的はなんだ?」
ゆっくりと一歩進み、萌に接近する陸。その最中、無意識に睨みを利かせる。
だが、そんな陸を跳ね返すように、萌は感情に身を任せたままあの言葉を発した。
ーー今までに聞いたことのないくらいに声音を落として。
「憎くて、憎くて仕方がないんですよ……。九条雫が……」
「……は?」
「アイツだけは許せない……。一生懸命頑張って大きくした母様の会社を汚いやり方で買収して、彼氏のような男まで簡単に作って……。なにもかも上手くいかせて……」
声を震えさせ、両手には力をいれる萌。必死に怒りを堪えているのが目に見えて分かる態度だ。
「おいおい、それで雫を恨むのは間違ってるだろ。競争に負けた会社は買収される。それが社会の基本で買収した先がたまたま雫の会社だったってことだ。それに、買収したのは雫じゃなくて、その両親じゃないのか?」
「嫌がらせをするために、九条雫がわざと買収したんですよ。……アイツは簡単に買収が出来ます。だって、そのノウハウを得てるんですから……」
「……はぁ」
確証はない。でも信じきっている。そんな萌の物言いに呆れるほかない。
まだ萌の年は中学生……。精神的に幼いのは当たり前。高校生の陸でさえまだまだ幼いのだから。
「だから萌はせんぱいが欲しいんです。九条雫が狙ってる男を奪うだけでいい。そうすればあの時の屈辱を2倍にも3倍にもしてお返し出来る……」
「……その目的を聞いた今、俺が頷くと思うか?」
「せんぱいは九条雫と付き合ってるわけじゃないんですよね……? なのになんで? せんぱいはただ萌と付き合うだけで、いろいろなことを叶えられるんだよ?」
「ほんと、舐められたもんだ……。友達になんかの手が回る時点で、思い通りに動くつもりはない。どんな優遇があってもな」
陸にとって雫は掛け替えのない存在であり友達。小さき頃、自分の親を失ってぽっかりと空いた心の穴を埋めてくれた唯一の相手。
そんな者に対して陸が取れる行動は一つしかない。ーー雫を守ることだ。
「なんでそこまで肩入れするの……? アイツは汚い女……」
「おい。それ以上雫の悪口を言うのはやめろよ」
「っ!」
この瞬間ーー陸は溜め込んでいた怒りを露わにした。雫を理解せずにただ悪口を言われる。それが耐えられなかったのだ。
「萌がしてるのはただの
「……」
「買収されたなら買収仕返せばいい。競争に勝てばいい。簡単な話じゃないのは分かってるが、それで俺を操り人形にしても何もならんだろ」
「……わ、分かってるよ。そのくらい……。でも、これくらいしないと気が治らないんだよ……」
微かに漏れる萌の声。それでも陸は止まることをしなかった。
「萌は雫を知らないだけだ。雫は弱ってる人間に優しく手を貸してくれる。……そんなやつなんだ。これは自信を持って言える。責任を取ってもいい」
陸は萌にどうしてもこれだけは伝えたかった。雫がそんな人間でないことを。
仮に、雫が萌の会社の一つを買収をしていたとしても、それは萌に対して嫌がらせをしたわけではないということを。
「そりゃあ、憎くなる気持ちも分からないことはないぞ? でも、やり返すなら、見返すならもっと別のやり方がある。蹴落とすようなやり方は萌のためにもならない。それこそ、萌が心汚い女になるだけだ」
蹴落としあったらそれこそ本末転倒。お互いに良い学園生活など送れるはずもない。必ずどこかで取り返しのつかないトラブルが生まれるはずなのだ。
「……俺が言いたいのはこれだけ。何度言われようがその話には乗らない」
「……後悔しても知りませんよ」
「ああ。それが萌のためにもなるんだから、後悔なんてするかよ」
「馬鹿みたい……。こんな萌に優しくして……」
萌は分かっていたのだ。ただ自分が逆恨みしているだけだということに。……その感情をどこにも逃がせなかったからこそ、こんな立ち回りをするしかなかったのだろう。
「優しくしてるつもりはこれっぽっちもないけどな」
ーーと、言い終えた矢先だった。
『キーンコーンカーンコーン』
昼休み終了のチャイムが校庭に大きく鳴り響いた……。
「って、もうこんな時間か……。さっきは感情的になってごめん、萌」
「……き、気にしないでください」
「そう言ってもらえると助かる。……それじゃ、俺はこれで」
「…………はい。お時間をありがとうございました」
最後にそんな言葉を交わし、陸は萌と別れたのだ。
その際、一瞬見えた萌の横顔には、どこかスッキリしていたような表情が浮かんでいるような気がしたのである……。
そして、教室に向かっている陸は……萌との会話から自分の想いに確信付くことになった。
(あんだけ熱くなるなんて……。これが俺の気持ちの正体なんだろうな……)
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