第32話 近付く危機と近付く距離

「ただいま、リン。遅くなってごめんなさい」

 帰宅した際、雫はすぐに謝った。今、この広い家に居る者はお手伝いさん数人を含め凛花だけ。父親と母親は仕事の都合で家に戻っていないのだ。


「大丈夫ですよ。それより……陸さんと手を繋いで、、、、、のご帰宅だったんですね、しずく姉さん?」

「……っ!?」

 一人で雫の帰宅を待っていた凛花は、ソファーに座ったままニンマリとした笑みを見せてくる。


「しずく姉さんの帰りが遅いので外を見ていれば、これですから……。わたしの心配を返して欲しいです」

「心配をかけさせたことは謝るけれど、覗き見はしちゃダメよ……」

「しずく姉さんが家の前まで送ってもらっていたことが悪いと思います。それでは『見てください』と言っているようなものじゃないですか」


 確信を突かれただけでなく、全ての現場を見ている凛花。これを誤魔化す手段はなく、雫は未だ気持ちがたかぶぶっていた……。

 それはそうだ、好きな人と今までずっと手を繋いでいたのだから。


「りく君と長く手を繋ぎたかったから……」

「しずく姉さん。ノロケるのは良いんですけど、一人の時にお願いします……。わ、わたしが恥ずかしくなってきますので……」


 普段は絶対に出さない惚気。それが妹の凛花に出てしまう。


「リンがそんなこと言うからじゃない……」

「も、もう分かったからいいです……。それより、しずく姉さんには悪いですけど、帰宅した際には手を洗ってください。家のルールですから」

「……(イヤ)」


 家のルールを盾にしてくる凛花に、雫は無言の抵抗を見せる。雫にとって今はまだ絶対に手を洗いたくないなのだ。

 まだご飯を食べるわけでもなく、手を洗う理由が対して見つからない。

 そして一番の理由は、陸の手の温もりが残っていたから……だった。


「……分かりました。今は見逃しますので、お風呂には入ってくださいね?」

「お風呂には入るわよ……」

「しずく姉さんのことですから、陸さんと繋いだ手を水で洗い落としたくない。そんな感情はあるはずですので」


 自分の発言は間違っていない。というように自信満々に言う凛花は小首を傾げる。

 それが本当に間違っていないのだから大したもの。姉のことを良く分かっている証拠だった。


「そ、それでも入るわよ……。りく君には清潔な私を見せたいもの……」

「……熱いですね、ほんと。応援してますよ、しずく姉さん」

「ありがとう、リン。……最近だけれど、りく君が私の気持ちと向き合ってくれるようになったの」


 雫は少し照れながらも今の現状を凛花に報告した。それは応援してくれる者に対しての礼儀でもある……。

 そして、一番に信頼してくれているからこそ言うことでもあった。


「向かい合ってですか。……うふふっ、それは良かったです」

「……リン? も、もしかしてりく君に何か言ったわけじゃないでしょうね?」


 凛花が雫を理解している反面、雫も凛花を理解している部分は多い。不敵な笑みを浮かべた凛花を見て、なんとなくそう思ってたのだ。


「そんな記憶はないですけど、もしかしたらなにかを言ったかもしれないですね」

「……だ、ダメよ。陸くんにそんなこと促しちゃ……」

「しずく姉さんは嬉しくなかったんですか? 陸さんが攻めに出るようなことは」


「う、嬉しいに決まってるじゃない……。で、でも、それとこれは話がーー」

「陸さんが不良だというの噂……ほとんど消えましたよ、中等部では」

「えっ……」


 凛花は雫の声に被せて続きの言葉を絶たせた。絶たせるには十分の内容だった。

 それを証明するように雫の瞳は大きく見開かれ、丸く口が開けていた。


「今日、しずく姉さんは陸さんを正門で待たせましたよね?」

「……え、ええ。私の生徒会の仕事が終わるまでそこで待っててもらったわ。でも、どうしてそれを……?」


「その正門で陸さんと少しお話をしたんです。……その間、何人の女子が陸さんに話し掛け、一緒に帰ろうとのお誘いがあったと思いますか?」

 あえて質問形式するということは、予想以上の数ということになる。


「……3人、かしら」

 雫は予想より数を上げて言う。……『凛花と話している間』に話し掛けた女子の数。この3の数字は普通に考えて多い。


「……陸さんに話しかけた女子が4名。陸さんにそんな誘いをした女子が1人。全員が中等部の女子です」

「……っ!?」

「一つ気がかりなのは、陸さんに一緒に帰ろうとのお誘いをした相手が、たちばな財閥のあの人だと言うことです」

「橘……財閥」


凛花からの報告に、雫は何か心当たりがあるように顔を歪ませた。


「あので橘財閥の者は、わたし達を恨んでいてもおかしくありません。一応報告しておきます。しずく姉さんも気を付けておいてください」

「わ、分かったわ……」


 ただ、凛花は雫を不安にさせるためにこんなことを言うわけではない。自分の観点からフォローを入れるのは当然のことだった。


「……一つだけ安心出来ることは、皆好意的に話しかけているというのはまた別だと言うことです。『不良ではない。なら実際はどうなのか』そんな好奇心に動かされたとの方が正しいです」

「りく君はそんな話をしてこなかったわよ……?」

「陸さんは鈍感ですからね。ついでに話しかけられたなんて思ってるかもしれません」

「そ、そうね……」


 この『鈍感』だけで説明が付いてしまうのは、なんとも悲しいものである。雫もそれを身をもって体験しているからこそ、反論が出なかった。


「あ、しずく姉さんは陸さんの連絡先持っていますよね?」

「…………」

「え……」

 無視をするような無言。それでいて視線を逸らした雫を見て凛花は全てを察した。


「持ってないんですか……!?」

「一年前、携帯の機種変更でデータを全てリセットしたもの……」

「それでも、アタックする相手の連絡先を持っておくのは普通だと思うんですけど……。少し待ってください」


 そんな言葉をかけた凛花は、ソファーから立ち上がり机上にあるスマホに手をかけ、迷いなく指を動かした。

 その数秒後……『ピロン』と雫のスマホに通知音が鳴る。


「……通知?」

 雫は床に置いた荷物入れからスマホを取り出し、急いで内容を確認しようと画面を開くーーその瞬間、動きが固まった。


「良い反応ですね、それは陸さんの連絡先です」

「な、なんでリンがりく君の連絡先を持ってるの……っ!? リンもわたしと一緒に機種を変えたはずじゃ……」

「今日、連絡先を交換したんですよ。まさかこんなところで役に立つとは思わなかったですけど」


「……あ、ありがとうリン。連絡先を追加しても迷惑じゃないかしら……」

「もし心配なら、わたしが陸さんに一言かけますよ?」

「お、お願いしてもいい?」

「分かりました。……そのついでに一つ教えてください」

「な、なにかしら……」


 凛花の視線は雫ではなく、その先のスマホ画面に向けられていた。凛花にはどうしても気になることがあったのだ。


「……チラッとしか見えなかったんですけど、携帯のロック画面に設定されている写真、陸さんですよね?」

「……っっ! み、見たのっ!?」

「横顔でしたし……盗撮じゃ」

「す、隙を見せるりく君が悪いわ。私はただ、からかおうとしただけだもの……っ」


 からかおうとしたにしろ、盗撮まがいなことをしたのは間違いない。

 姉がこんなことをしていたのなら、止めなければならない。しかし、凛花には雫の気持ちを理解していた。……理解していたからこそ強く言うことは出来なかったのだ。


「結果、気付かれずに写真が撮れ、ロック画面に設定したわけですか……。早く変えとかないと陸さんに見つかりますよ?」

「か、変えたくない……」

「……はあ、こんな時だけ頑固になるんですから、しずく姉さんは……」


 凛花は呆れた表情を見せつつ、再びスマホを操作し陸にメールを送信した。


『しずく姉さんが、陸さんの連絡先をどうしてもどうしても教えてほしいそうです』ーーと。


 数分後……陸から返信のメールが届いた。

 その内容は『どうしてもどうしても』に対してのツッコミと、当然の了承だった。



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