第29話 膝まくら(2)

「お、俺が先にこんなことして言うのもアレなんだが、な、何か喋ってくれないか……?」

 ーー生徒会室。二人っきりの空間には何度もの無言があった。

 それは陸の出す話題に対して無視をする……してしまう雫が原因だったのだ。


「貴方が心の準備をさせないからじゃない……。バカ……」

 そう、雫を責めることは出来ない。責めるならむしろ陸を責めるべきだろう。雫の言い分通り、心の準備をさせなかったが故に起こっていることなのだから。


 ただでさえいっぱいいっぱいの雫は、話を続けたくても続けられない。そんな状態だった。


「そ、それについては謝るけど、俺だって緊張してないわけじゃないんだぞ……?」

「う、嘘付き。手慣れてたじゃない……」

「それは気のせいだって。い、今までに膝枕をしたことがあるのは雫だけだし……」


「……そ、それは本当ことでしょうね」

「こ、こんなことで嘘ついても意味ないだろ……。俺だって恋愛経験があるわけじゃないんだ……」


 雫は今もなお、陸に顔を合わせたりはしていない。いや、羞恥で顔を合わせられないというのが正しいだろう。雫は陸に背を向け身体を丸めたような体勢で膝枕をされている。


「……」

「……」

 そしてーー再び襲ってくる無言。


「え、えっと……そろそろやめるか? ほ、ほら……雫も嫉妬が治っただろ?」

「治るわけ……ないじゃない」

「え、えっと……。そ、それじゃ、どうすれば治るんだ……?」

「……昔してた膝まくら」


 雫は少しの間を空けてボソッと呟く。その声は一瞬で霧散するほどの小ささ。しかし、物音一つないこの空間にはきちんと届きゆる。


「あの時は膝まくらと一緒に、私の頭を撫でてくれていた……」

「……ご、ごほっ!」

『あ、あれは昔のことだろ!?』


 そんなツッコミを咳払いでどうにか我慢する。

 ……陸はもう逃げるわけにはいかないのだ。アタックをかけなければならないのだ。


「…………」

「な、なにか言いなさいよ……」

「雫が俺の方を見なければいい……」


 結構な時間を使い、陸は精一杯の答えを出す。……陸だって雫同様、付き合ったこともない。さらには異性にアタックをかけたこともない。既に限界の域に達しつつあるのだ。


「み、見られないわよ……っ。わ、私だってこんなことを言うのは恥ずかしーーッッ!?」

「……こ、これで良いんだろ?」


 陸は雫が良い終わるのを待つことをせず、その木綿もめんのような肌触りのよい銀髪に優しく触れた……。


 限界に達したからこそ、時間が過ぎれば過ぎるだけ覚悟が鈍る。ーーそれを未然に防いだ結果がこれなのだ。


「ぁ……っ、ぁ……〜〜〜〜っっっ!」

「雫……?」


 しかし、これは雫にとって大きな不意打ち……。

 今度は『心の余裕』なんて口にする暇もなく、一瞬の覚悟をする暇もなく、陸が動いてきたのだから……。

 そんな雫は、陸の膝枕の上で銃弾を受けたように身体をくねらせる。


「え、えっと……。もしかして嫌だったか?」

「…………や……こ……い」

「え?」


「い、嫌なら……こ、こんなこと頼まない……わよ」

「それなら良いんだけど、嫌がるように身体が動いたからさ……」

「た、ただ……気持ちよかっただけ……」

「そ、そっか……」


 陸の手は自然と動く。雫の銀髪を毛並みに沿ってゆっくりと撫でていた。わたのように柔らかいその髪は、きちんと手入れされている証拠でもある。


「……雫って、昔と変わったようで変わってなかったんだな」

「な、なによそれ……」

「……甘えん坊だった性格、治ってなかったんだなって……。今の雫を誰も想像出来ないと思うぞ?」


 これは昔から関わってる者……陸だから言えることでもある。今の雫は確かに甘えている。生徒会長としての雫しか知らない生徒ならばーー

 クールで何事も一人で解決する。

 甘えることは決してしない。

 人とある程度の壁を作る。


 そんなイメージを持っている。つまり、今の雫を絶対に想像するのはなかなか難しいことである。


「こ、こんな姿……りく君以外に見せないんだから……」

それなら良いんだけどさ、、、、、、、、、、、

 陸は無意識にそんな返しをしていた……。それは、少なからず友達以上の関係として見ていること。

 心が動いている証明的なものだった。


「り、りく君こそ……、こ、こんなことをするのは私だけにしてほしい……」

「……そう言われても、俺は雫みたいにモテるわけじゃないんだし、気にする必要はないんじゃないか?」

「……約束、して」


 自己評価が低い陸はそんな返事をするが、雫に安心の気持ちはない。危機感がまさっているからこそ、こんな約束をするのだ。


「分かった。もし約束を破ったら、雫の言うことなんでも聞くよ」

「……な、なんでも?」

「ああ。だって破る気もないし、破ろうとしても破れないだろうし」

「な、なんでも私の言うことを聞いてくれるなら、一回だけ大目に見てあげる……」

「もうそれ、約束の意味ないだろ……」


 陸は知らないだろう。好きな人に“なんでも”言うことを聞いてくれることは、雫が一番手に入れたいものであるということに……。


 ただ、それを実際に考えるのはまだまだ早い。陸が約束を破ってから始まることなのだから。


「りく君……。手、止まってる……」

「それなんだが……そろそろやめないか? 昼休みもあと少しで終わるし」

「……」

「本当、変わってないな……」


 唐突に無視してくるのは、『まだ物足りない。もっとしてほしい』とアピールである。

 この流れだと雫の気持ちを理解するのは簡単なこと。陸は再び雫の柔らかい髪をゆっくりと撫でていく。


「りく君……。こんな私が嫌だったら早く言ってね……。もし、貴方の彼女になったらこんなものじゃおさまらないないと思うから。……今のうちに治しておきたいの」

「そ、そんなことは気にしないで良いって。……そうやって甘えてくる雫が嫌なわけじゃないからさ」

「うん……。ありがとう……」


 雫はその後……何も喋ることなく目を瞑り、数年ぶりの頭撫でを噛み締めていた。

 そしてさらに数分が立った頃ーー雫は陸の太ももに両手を当て、ゆっくりと起き上がり脱いでいたローファーを履く。


「も、もう良いのか……?」

「ええ……。だって、これ以上私が陸くんに甘えたら、貴方のお昼ご飯を食べる時間が無くなるもの……」


 昔していた膝枕に満足したのか、頰を赤らめながら雫は小さな笑みを見せている。

 だがしかし……雫の表情を見ればどこか名残惜しそうにしている……。雫は陸を思って我慢していのだ。


「雫。……今日一緒に帰らないか?」

 そんな表情を見た瞬間、陸は考える間もなくこの言葉を出していた。


「い、良いの……?」

「いきなりで悪いけどさ」

「あ……。で、でも今日は生徒会の用事で遅れるからーー」

「そのくらい待ってるよ」

「う、うん。ありがとう。そ、それじゃあ正門で待ち合わせを……」

「分かった」


 そうして、陸は初めて自らの口で雫と一緒に帰ることを約束したのだ……。


 この時、陸には確かな嬉しさがあった……。その思いと同時に、ある気持ちも悟った……。


『雫のことを好きなのかもしれない』……と。

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