第20話 雫と凛花……相合傘の後

「ふぅ……。良い湯だったわ。お風呂を貯めておいてくれてありがとう、リン」

「気にしないでください。わたしが好きでしたことですから」

「本当、気が利く妹ね」


 雫が家に帰宅した頃には、凛花の手によってお風呂が貯まっていた。

 凛花は雫が歩いて帰ることを知り、濡れることを考慮して貯めてくれたのだろう。ここまで気が回る妹はそうそういないだろう。


「そうそう、どうして車を使わなかったのか疑問でしたけど、ようやくその理由が分かりましたよ。しずく姉さん?」

「……な、何のことかしら」

 ニヤリ、と口角を上げる凛花を見た瞬間に、嫌な予感が襲いかかってくる。


「うふふっ、ほんとに心当たりがないですか?」

「……ええ、ないわね」


 さっきまで雫は陸と一緒に帰っていたのだから、車で帰宅することを断った理由に、心当たりがないわけがない。

 ……恐らく、凛花もその事を言っているのだろう。


 証拠を掴んでいるからこそ、こうも強気でいるのか……。はたまたそう予想して、喋らせるためのフェイクか……。

 逡巡させる雫を他所に、凛花は表情を崩さないまま、ある言葉を発す。


「陸さんと相合傘をしながら帰ったでしょう?」

「……」

「ちゃんと証拠を掴んでるんですから。……流石はしずく姉さんです。皆さんに見せつけつつ帰るなんて」


『皆さんに見せつけつつ帰る』これを知っている事こそが、証拠を提示したといっても良いだろう。


「見せつけたつもりはないわよ。ただ、そんな流れになっただけで。元はと言えば、りく君から誘ってきたのだから」

「そ、そうなんですか? てっきりわたしは、しずく姉さんから誘ったものだと思ってました」


「私が傘を持ってきていれば、自分から誘っていたかもしれないけど」

 雫には、陸を落として付き合う……と明確な思いがある。そのためには自らが動かなければならないのだ。


「しずく姉さん。好きな人との相合傘、どうでした?」

「……良かったわよ。何度もしたいくらいに」

 お風呂上がりで火照っていた頰が、さらに赤みを帯びる。


「しずく姉さんがそういうなんて珍しいですね。その感じだと……雨に濡れないように抱き寄せてもらったりしました?」

「こればっかりは教えるわけにはいかないわよ。りく君が関わってくることだし」


 勘の良い凛花は、表情、声音、態度からも情報を得ようとしてくる。油断も隙もない妹を相手にする雫は、どうにか守りに徹する。


「詮索するのは辞めにします。……陸さんに影響を与えるのはわたしも嫌ですから」

 ふっと、詮索のスイッチを切ったように一息つく凛花は再び雫に向かい合う。


「……でも、ようやくしずく姉さんにスイッチが入ったんですね」

「リンにあんな手紙を残されたらなら、スイッチも入るわよ。……ありがたいことにね」


『頑張って想いを伝えてね、しずく姉さん』

 あの手紙で励まされ……応援され、姉である雫が頑張らないわけがない。


「うふふっ、それは良かったです。……でも」

 してやったりとでも言うような笑みを浮かべる凛花だが、意味深に言葉を切った矢先ーー声音と表情が変わる。


「でも……もう少し人目に付かないところで、そういうコトをしないとお父様にバレますよ」

 普段から柔らかい口調を使う凛花だが、ここだけは違かった。

 それは重大度を示すような真顔で……。


「……忠告ありがとう、大胆な行動だったことは承知しているわ」

 凛花がなにが言いたいのか分かっていたからこそ、雫は小さく頷くだけ。

 このことを伝えたいばかりに、凛花はこの話題をしてきたのだろう。


 ピリッとした雰囲気が二人がいる部屋を包み……その中で凛花は再び口を開く。


「しずく姉さん、次のお見合いはどうするんです? お話はもう来てますよね」

「……断るわ。面会時間を取らずにね」

「だ、大丈夫なの? それって……」

まだ、、大丈夫よ。それに私は決めたの。りく君にアタックをかけるって……。その心構えは見せなければいけないわ」


 雫の覚悟はもう決まっていた。

 一人の男に決めたからこそ、変なトラブルを避けるためにお見合いを断るーーと。

 縁があると思わせないために、面会時間すら作らずに。


 ーーただ、こんなことをすれば問題になるのは想像するまでもない。


「問題は出てくることも、迷惑をかけることも分かっている。でも……私はやりたいことをするだけ。人生の伴侶を決めるのだから、引くことはしないわ。この家と対立することになっても、ね」

「強いよね、しずく姉さんは」


「私はわがままなだけよ。……でも、お見合いでしか結婚出来ないなんて“しきたり”、絶対に許さないんだから」

「……」


 しきたりというものは、そうそう消えるものでもない。そうそう打ち破れるものでもない。

 そのことを理解している凛花だからこそ、不安を吐露するように面様を歪ませたのである。



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「りく君……」

 雫は自室に戻り、隅にあるベットに身体を預けていた。

 綺麗に畳まれた羽毛の布団は身体の形にへこみ、ワタのように柔らかく、上質さを物語っている。


「さっきまで抱き寄せられたのね、私って……。あのりく君に」

 ベットに横になって、あの時を思い出してしまう。冷静に考えれば考えるだけ面映ゆい気持ちが襲ってくる……。


「恋人でもないのに、私ったら……。アタックするどころか、私がしてほしいことをりく君にさせてるだけよね……これじゃあ」

 アタックすることを忘れているわけではない雫だが、好きだからこそ恋人らしいことをしたくなってくる。私欲が勝ってしまう。


「でも、恋人になれば……あんなことが毎日出来るようになる。……もっと進展したなら、あんなことや、こんなことも」

 雫にだって欲はある。ただ、その欲は一途なもので……一人の男性である『陸』に向けられた想い。


 年頃の雫には、お付き合いという関係にも、その先にある行為にも興味がある。

 しかし、お付き合いの関係も、その先にある行為も、好きな人でなければ、、、、、、、、、、興味の一欠片ひとかけらもなくなる。


 企業先の発展、家のために身体を結ぶなんてのは御免であり、吐き気がしてくる……。


「私が一般の家系に生まれてきたのなら……って、こう思うのは産んでくれたお母様に申し訳がないわね」

 謝罪の言葉を出した雫は、ふかふかの枕を抱き寄せ……顔を埋めた。


「……もう私は言ったりく君を狙っていることを」

 最後の別れ際ーー『その唇も、その心も、一番に奪うのは私だから』あの言葉は夢でも幻想でもない。

 間違いなく私の口から出た発言。


「いつ私の想いに気付いてくれるのかしらね、全くもぅ……、りく君らしいんだから」

呆れながらも、どこか嬉しい気持ちが芽生えてくる……。


そんな雫の中には一つだけ、後悔があった。ーーもう少し早く行動していれば……と。


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