第13話 雫との帰り道

「さ、さっきはごめんなさい……。本当に……」

 図書室であった事件を思い返し、雫は陸に向かって頭を下げていた。

 司書さんに押し倒した後のことを見られた事実。それは雫にとって予想外の出来事だった。


「謝って済まされることじゃないと思うんだが。だいたい、あの体勢からどうして退こうとしないのか。雫の意図が分からん……」

「そ、それが分かったら困るわよ……」


 あの時、雫は正真正銘のアタックを掛けていたのだ。順序を飛ばした、ミスをしてしまったアタックをバレるわけにはいかなかった。


「なんだよそれ……。まぁ、司書さんの誤解も解けたし、在学生にも見られてなかったから良いんだけどさ。からかうのは程々にしてくれよ」

 雫がすぐに退かなかった理由はからかうためだと、自己解釈する陸。雫の好意に気付いていない陸なら、その解釈は妥当な線だろう。


「ふぅ……。それより、数年振りだな。一緒に帰るのって」

「そう言えば……中学生以来ね」

 図書室の話題を変えたいのは両者同じ。陸は先手を打って話しかける。


「えっと、これって雫の家まで送っていった方がいいのか?」

「どうしてそんなことを聞くのかしら……?」

「中学生の頃は雫を家まで送って行ってたが、今でもそれをして良いのかな……って」


 陸と雫には二年間の空白、関わっていなかった時間がある。最初に距離感を掴めなかったのもこのせいだ。


「りく君はどう思っているのか聞いても良い?」

「俺? 俺は雫次第だけど。送って欲しければ送るし、迷惑ならそこまで別れる」

「……りく君。貴方って恋愛経験が無いでしょう?」


「な、なんで分かるんだよ」

「この場合、送る以外に選択肢はないからよ。しっかりと覚えておくことね」

「わ、分かったよ……」


 恋愛経験が無いことは決して悪いことではない。だが、この歳になれば一度くらいはしておくべきもの。そうでなければ恥ずかしい。

 そんな空気が、在学している学園には流れている。


「ふふっ、私が中学を卒業してからの一年間、そして高校に上がってから、誰からも告白されなかったのかしら」

「告白もされてなければ、付き合ったこともない。高校じゃすぐに不良の噂が出たし」

「えっ……。こ、告白も……?」


 この言葉にぱっちりと目を開けて、意外そうな表情を見せる雫。


「おいおい、雫と一緒にしないでくれ。……俺は雫みたいに恋愛経験があるわけじゃないんだから」

「……」

「な、なんでそこで黙ってるんだよ」

「あのね、りく君。……『恋愛経験が無いでしょう』って言ってた私だけれど、アナタと同じで付き合ったことは一度も無いわよ?」

「へえ…………はぁ!?」

「ふふっ、随分な時間差ね。そこまで驚かなくていいじゃない」


 おかしな反応を見せる陸を尻目に見る雫は、クスクスと小さな笑声しょうせいを上げている。

 ただ、陸が仰け反るように驚くのも無理はない。学園の皆は口を揃えてこう言っているのだから。


『生徒会長、雫さんは恋愛経験が豊富である』ーーと。

『生徒会長、雫さんが目を付けた相手はそのテクニックにより必ず落ちる』ーーと。


 その言葉が全てひっくり返った瞬間だったのだ。


「い、いや……だっておかしいだろ? 告白された回数も桁外れてるわけだし……」

「見合う相手がいないのか? なんて言いたそうな顔をしてるわね。……そう思われても仕方がないけれど、断る理由があるのよ」

「……想い人がいるから……?」

「その通り。正解よ」

 陸は唯一の友達である健太からこの情報を得ていた。もし、健太と友達になっていなければ答えられなかったものだろう。


「もしかして、初恋か?」

「……ええ、初恋ね。だからこそ諦められないの」

「ほお……」


「私の気持ちは本気よ? (りく君を想って)お母様とお父様から持ち出されるお見合いの話も全て断っているのだから」

「それを俺に言う意味は分からないが……お見合いだなんて、流石はお嬢様だな」


 陸に当てた、さり気ないメッセージ……。これに気付くなら雫は苦労しないだろう。


「あら? お嬢様って呼び方はしない約束をしていなかったかしら、りく君」

「悪い悪い……。ただ、すげぇなって思って」

「凄い……?」


 商売人や会社経営の社長の娘なんかは、ほとんどの確率でお見合いがかけられると聞いている。中にはお見合いがしきたりいう家系もあるほどだ。

 その理由を大まかに言えば、育ってきた環境が一般人レベルとは違う。同レベルの人同士じゃないと色々と価値観も合わない。とのことらしい。


 ……ただ、それは全てに当たるわけではない。雫やその妹の凛花のような一般人に溶け込んでいるお嬢様も当然ながらいる。


「お見合いの相手ってのは、金持ちとかルックスの良い坊ちゃん達だろ?」

「極論を言えばそうね」

「そんなステータスを持ってる坊ちゃん達を振ってまで、一人を追いかける気持ちってやつ? 恋にしろなんにしろ、それは凄いことだと思って。……まぁ、雫が好きな相手が坊ちゃんの可能性はあるけど」


 自分の未来は自分で決める。そのような決断をしている雫はカッコイイものだ。


「私の想い人は坊ちゃんなんかと比べたら失礼よ。そんなステータスに負けない素敵な心と優しい性格を持っているの。……私にとって、お金よりも容姿よりもそれが一番なの」

「外見よりも中身ってことか。雫らしいな」


「でも……想い人の容姿は今までのお見合い相手に勝っているわよ? ふふっ、惚れた弱みとでも言うのかしら」

「どんなイケメンだよ、そいつ……」

 雫の口からそんな言葉が出たことによってーーこの時、モヤっとした気持ちが生まれる。

 陸がこの気持ちに理解するのは、まだ時間がかかること……。


「……誰のことを言っているのかに気付けないなんて、りく君らしいわね……本当」

「俺らしいってなんだよ。会ったこともないのにそんなこと分かるはずないだろ?」

「ふふふっ、そうね」


 とぼけたような回答を何度も見せる陸だが、これは本気で言っていること。そのことを理解している雫だからこそ、怒りや不満が沸かないのだ。


「……りく君。いきなりだけど、私のお願いを一つだけ聞いてくれないかしら? 今さっき約束を破った罰として」

「……内容によるけど」

「それなら大丈夫ね。……これから、私と一緒に帰る日を作ってもらうだけだから」

「は?」


 雫には、二人っきりの時間をどうしても作りたかったのだ。それも、固定されたものを。日常になるべきものを。

 それが距離を陸との縮めるキッカケになり、アタックを掛けやすい展開に持ち込める。雫なりに考えた作戦だったのだ。


「もちろん、りく君にも用事があるでしょうし、毎日だなんてことは言わないわ。……ただ、週に1日でも良いから私と一緒に帰ってほしいの」

「えっと、そんなことしたら学園で変な噂が出るぞ?」

「それは?」

「生徒会長が不良を手下にした。みたいな」

「て、手下……?」


顎先に手を当てて、難しそうに小首を傾げる雫に、陸は逆に質問を促す。


「逆に雫はどんな噂が出ると思ってんだよ。その感じだと、俺とは別の考えを持ってんだろ?」

「わ、私は……、彼氏彼女の仲になった噂だけれど……」


「ハハハッ、何言ってんだよ。雫が俺のことを好きになるわけがないって、間違いなく。第一俺が釣り合うはずないし」

「……りく君失格」

「な、なにがだよ!?」


 陸の発言は決して言ってはいけないもの。そっぽを向く雫は、早足で歩みを進める。


(や、やっぱり、段階を踏んだアタックじゃないとダメなのね……。つ、次こそはもっと意識させてあげる……。私の想いにも気付かせてあげるんだから……)

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