第12話 押し倒した後……

「お、おい……」

「……っ」

 倒れた拍子に陸の背中はに当たっている。雫が退かない限り距離を開けられない状況。

 陸は上体を逸らす以外になかった。


「と、とりあえず退いてくれ……。つ、躓いて俺の方にコケてきたのは分かってるから」

「……そ、そう」

「そう、ってなんだよ!? こんなところを誰かに見られたらマズイだろ!」

「……その時は、私がりく君を押し倒したって伝えるわ」


 恥ずかしさを抑える気持ち……そして、想い人にもっと触れていたいという気持ちが混合する。

 雫は陸の胸板に置いている手にキュッと力を入れ、感情に身を任せるように逃げ道を防いだ。


「いやいや、今退けば問題ないだろ!?」

「……私的問題があるのよ」

「な、なんだそれ!?」


 顔を朱にする陸を他所よそに、雫はどうにか冷静を偽る。平常心を保てなければ、自分がこの状況にやられそうだったのだ。

 今、この瞬間……想い人を意識させられる絶好のチャンス。羞恥で無駄にするわけにはいかなかった。


「い、今の体勢がどうなってるのか分かってんのか!?」

「……もちろんよ」

「いやいや、分かってないだろ!」

「そんなに慌てて、鼓動を早くして……どうしたの? もしかして私を意識、、してくれてるのかしら?」


 胸板に当てている手を心臓の鼓動が伝う部分に移す雫は、嬉しさを含ませた蠱惑的な笑みを見せて陸に追求する。


 もちろん、雫にとってこれが人生で初のアタック……。キスが出来るほどの距離まで陸と接近し、押し倒し……穴があったら入りたいほどの恥を感じている。

 だが、に勝る思いがあるからこそ、こうも冷静に立ち回れるのだ。ーーそれは『意識させたい』という思いだけ……。


「……し、正気になれって」

「私は正気。だからこんなにも冷静に話せているの」

「じゃあ、退いてくれよ……。普通は退くもんだろ……」


 陸の言い分は真っ当なもの……。普通ならば即退くべき体勢だろう。そのことを理解している雫は、あえてこんな切り返しを見せる。


「りく君が私を退かす選択肢はないのかしら? 男性と女性の筋力は全く違う。退かせないことはないわよね」

「そ、そんなことして、雫が怪我したらシャレになんないだろ……」

「……この状況で私の心配をしてくれるなんて、ほんと優しいわね、りく君は」


 胸が熱くなる……。頭が何かにやられたようなふわふわとした感覚に陥る……。こうなってしまうのも、全て陸のせいだ。


「それなら早く退いてくれ……。この体勢、恥ずかしいんだ」

「……私も恥ずかしいわよ。こんなこと、初めてなんだから」

「そ、それじゃあなんで退かないんだよ……」

「……腰が抜けているの」

「はぁ!?」


『腰が抜けている』これは瞬時に考えた雫のウソ。この体勢を長く維持させるための口実である。


 雫は恋愛アドバイス本に書かれていたことを実行したのだ。


『アタックを掛けた場合、出来るだけ長い時間維持させるようにしましょう。維持させることによって、あなたのことを意識してくれる可能性が高まります』


 つまずいたことでアタックする順序が狂ってしまった。……押し倒すなんて最上位のアタックをしてしまった。

 この失態を取り戻すには、もう押しに押すしかないのだ。


「大声出さないの。誰かに聞かれたらマズいわ」

 人差し指を陸の口元まで近付けて、小声で注意する。


 雫にとっての最終手段はどうにかこの体勢を維持させること。

 それ以外に意識させられる道は無い……。それと同時にある不安が脳裏に過ぎった。


「りく君……」

「な、なんだよ……」

「退け、退けって言うけれど……り、りく君は私に近付かれることがイヤなのかしら……」

「ッ!」


 これが雫の不安でありーー陸は見た。数年振りに見ていた。


 眉尻を下げ、目を伏せた雫の姿を。

 それは雫がイジメられていた時に見せていた表情……。不安になった時に現れるもの。そのことを陸は知っている。


「は、恥ずかしいだけだよ……。嫌なわけじゃない」

 こんな表情を見せられたなら、陸は観念する他ない。


「ほ、本当かしら?」

「ああ……。本当だ」

「ウソ、付いてないわよね……?」

「この状況で嘘なんか付けるかって」


 気持ちが昂ぶっているのは互いに同じ。ただ、雫には『意識させる』という思いがある分、この状態、この状況に強く出れるのだ。


 ーーしかし、次の発言で全てが崩れ落ちた。


「よ、良かった……」

 胸中で発したつもり、、、の言葉。その言葉は声として陸に届いていた……。


「よ、良かった……?」

「あっ……」

「良かったってなんだよ、良かったって……」

「〜〜〜〜っ、っっ……!」


 安心から生まれた二度目の油断で、偽りの仮面はガラスのように割れていく。


「あ、あの……そそそれは……」

「お、おい……。いきなり顔赤くしてどうしたんだよ……」

「りく君の方が……赤い……わよ」

「絶対雫の方が赤いって」


 茹でだこのように赤く染まる雫。今の雫は陸の2倍……いや、3倍にも赤くなっていることだろう。


 偽っていた分の反動はこれほどまでに大きかった。


「ぁ……あ……っ」

 陸の胸板の感触……。脚に絡んでいる陸の感触……。瞳に映る陸の顔……。

 我に帰れば帰るだけ、雫は一瞬で限界を迎えていた。頭がいっぱいになり言葉が出てこなかった。


 雫にとってこれが初めてのアタック。それ以前に異性に触れた経験は数えるほど……。こうなるのは仕方がない。


 そしてーー最悪が訪れた。


「あ、あなた達っ!?」

「……っ!」

「やっ……これは……」

 この図書室を管理する司書さんが目の前に現れたのだ。


「お、大きな音がしたから近付いてみれば……し、神聖なる図書室で、なんてハレンチな行為をっ!?」

「……りく君」

「こ、これは違うんです!」


 あわあわと口を震わせる女性の司書さんの顔は、雫同様に真っ赤だった。


「そ、そういう行為は図書室でするものじゃありません! じ、自宅とか……ホ、ホテルでヤるものでしょう!?」

「りく君……は、恥ずかしい……」


 仮面が外れた雫は、剣を失った剣士も同然。……この状況から逃げるように陸の胸元に顔を近付けていく。


「って、何やってんだよ雫!? 誤解を解かないとだろ!?」

「ワ、ワタシが見てるのに、続けようっていうの!? そ、そんなプレイを学生のうちから……!?」

「どうにかして、りく君……」


「ど、どどどうすれば良いんだよこれ!?」

 そうして……司書さんの誤解を解く戦いは長時間続くことになる。


 その後、陸と雫は高校で初めて一緒に下校することになる……。


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