第2話 図書室で……

 その昼休み、陸は図書館で借りていた書籍の返却を図書委員にお願いしていた。


「これ、返却お願いします」

「分かりまし……ひぃっ!?」


 陸から手渡された一冊の書籍を手に取った図書委員だったが……返却相手を見た瞬間に一瞬で顔を青ざめてしまう。


「返却……」

「あ、あのっ! わたし、お金は持ってませんからぁっ!」

「分かったから……」

「が、頑張りますから! 急ぎますから! 殴らないでくださいぃぃ……」

「殴らないから……」


 身体を硬直させながら瞳に涙を溜める図書委員。何か一つでもミスをすれば涙が溢れ落ちるだろうと確信が出来るほどに、恐怖心に縛られていた。


 その後は話も聞いてくれず……陸は残りの作業を図書委員に任せる他なかった。


(はぁ、泣きたいのは俺の方だってのに……)

 陸が胸内でそう思うのは仕方がない。


 迷っているおじさんに道を教えただけなのに、『恐喝している』だなんて誤解を受け……こんな事態に陥っているのだから。


「はぁ……」

 ため息は止まらず、歴史本が並べられている本棚に向かった時だった。ーーその本棚前で立ち読みしている一人の女子生徒と目が合う。


 背中まで伸びた輝く銀髪。桜色をした大きな瞳をした女子生徒……。この学園に知らない者はいないほどの有名人。


「……あら」

「……どうも」

 その有名人に挨拶を交わした後に別の場所に移ろうとする陸だが……再び声を掛けられる。


「ふふっ、私から逃げなくても良いじゃありませんか。そこの貴方? 折角一対一で話せる機会ですし」

「……逃げようとしたわけじゃないですよ、九条先輩。立ち読みの邪魔になる可能性があったので」


「あら、気が利くところは変わってないのね。……こうやって貴方と会話をするのはいつ振りかしら?」

「中学以来ですし、今は後期に入ってるので一年と半年ですね」

「もうそんなに経つのね」



 読んでいた書籍をパタンと閉じた会長、、ーー雫は、不敵な笑みを見せ陸に向かって小さく手招きをする。


「……それより、こっちに来たらどうかしら? 貴方が気になる書籍はここにあるのでしょう」

「……なんで分かったんですか?」

「貴方の視線の先を追っただけです」

「なるほど……」


 こうも親しく話せるのは、小学の頃から関わりがあるからである。陸は雫の言葉に甘え、気になっていた歴史本を手に取ったところで再び声を掛けられる。


「……今更これを言うのはアレですが、私に声をかけてくるのが遅すぎやしませんか? 正直、私のことを忘れたのかと思いました」

「それは……長い間話してないわけですし、どのような距離を保てば良いのかも分からなかったんですよ」

「ふふっ、それだけではないのでしょう?」


 微笑を浮かべながら、他の理由があると確信付く雫に陸は素直に答えた。


「……九条先輩が予想以上に変わってたので、話そうにも話せなかったわけです。小学中学の頃はあんな引っ込み事案でしたのに、今じゃこの学園の生徒会長なんですから」

「それは褒めているのかしら?」

「もちろんですよ」


 小学生の頃の雫を陸は鮮明に覚えている。

 口調が大人びているから。とのイジメを受けていた雫を助けた時の記憶……。その後、いつも陸の後ろをついて来るようになったあの頃から。


「変わったというなら、貴方が一番変わったんじゃないかしら? 優しい心を持っていたにも関わらず、今やこの学園を代表する不良をしているんだもの。しかも、入学してすぐの出来事で」

「不良じゃありませんって。……みんながそう勘違いしてるだけで」


「ふふふっ、本当可哀想ね」

「なんか楽しそうですね……」


 白く細い指先を口元に当て、八重歯を見せながら楽しそうに微笑む雫。この時、陸は知らなかった。今の八重歯を見せる笑顔が作られた、、、、表情でないことに。

 その笑みは、一人にしか見せないものだと言うことに……。


「だって、貴方を勘違いしている生徒がたくさんいる中、私は勘違いしていませんもの」

「……?」

「私は知っているわ。貴方がそんな人間じゃないってことを。困った相手に救いの手を出せる立派な人だってことをね」

「……嬉しいこと言ってくれますね」


「貴方に助けられたこと、私が忘れるわけがないじゃない。……あの時は本当にありがとう」

 気持ちのこもった声音。目尻を下げて優しい表情を見せる雫。それは嘘偽りない言葉だった。


「俺が九条先輩を助けたことってありましたっけ? 逆に助けられた記憶ならありますけど」

「ええ。そうやって呆けるのが貴方のやり口よね。……昔っから」

「……分析してるんですか」

「人間観察ってなかなか面白いものなのよ」

「き、機会があればしてみますよ……」


 実際に雫の言うことは当たっている。これが人間観察でもあり……そうでもないことは分かっていた。

 嘘を見破られた、、、、、、、。なんて言い方の方が正しいだろうと。


「あ、あの……。一つだけ聞いておきたいのだけれど」

「はい?」

 と、ここで視線を泳がせながら前置きを作る会長は……ある事を聞いた。


「高校に入って仲の良い女子とか……出来ました?」

「いや、出来るはずないですよ。俺こそ一つ聞きますけど、暴力、恐喝、脅迫。この三拍子が揃った俺と仲良くしたいと思います?」

「思わないわね」

「バッサリですね……」

「実際そうだもの」

「……少しはフォローが欲しかったですよ」


 暴力、恐喝、脅迫。こんなことが出来る陸ではない。したこともない。

 しかし、そんな噂をされているせいで『実際の事』だとされている。こうなってしまえば、後はどうしようも出来ないのだ。


「……でも、勘違いしないで欲しいわね。貴方の本当の姿、、、、を知ってる人物は、今言ったことに当てはまらないってことを。……ふふっ、私のような人のことを言うのだけれど」

「それって告白してるんですかね?」

「あら、そんな思考に至るなんて困った不良さんね」


 雫は再び自然な笑みを浮かべていた。

 今、胸のうちで『嬉しさ』が溢れかえっている事など、陸は知らずに……。


「ほんの冗談ですよ」

「先輩をからかうなんて、良い度胸してるじゃない」

「次からは気を付けます。……では、俺はこの辺で失礼しますね」


 別れの頃合いだと図った陸は、雫に背を向けたその瞬間ーー

「も、もう行っちゃうの……かしら」


 その背後から、まだ言い足りていないような声音が飛ぶ。


「次に借りる本も決まりましたし、悪い噂をされてる俺が九条先輩と話してる所を見られて、変な厄介ごとが出てくる可能性もあるので」

「ま、待って」

「なんですか?」


 再び雫の方を振り向けば、二、三と歩みを進めてきた。そして、ボソッと呟いた後、

「こ、これ……してくれないかしら」

 雫はゆっくりと自らの手を差し出してくる。


「握手、ですか……?」

「に、一年振りの会話ということで……断る理由はないはずよ」

「別に大丈夫ですけど」


 その差し出された手を握り、握手を交わす。

 陸の手には、少しだけひんやりとした雫の細く柔らかい手の感触が……。雫の手には、暖かく、男らしいゴツゴツした手の感触が伝う。


「……っ」

「……」

 時が止まったかのような無言。その時間を雫は破った。


「あ、あの……貴方の手を両手で握っても良いかしら……」

「り、両手? 構いませんけど……」

「あ、ありがとう……」


 断る理由はない。と、要領の得ない雫の言い分に乗る陸。その陸の片手は雫の両手によって包まれていた。


「……」

「……」

「はぁぁ……」

 そしてーー突と出た雫の艶かしい声。


「え?」

「……な、何かしら?」

「今、変な声出さなかったですか?」

「空耳でしょう」


「それなら良いんですけど……そろそろ手、離しません?」

 握手をしている時間は数十秒だが、体感ではそれ以上の時間が掛かっているような錯覚に陥っている。


「……そ、そうね。これ以上続けると離せなくなりますから……」

「え?」

「ど、どうしました?」

「あ、いや……。俺の気のせいだと思うんで、気にしないでください」

「そ、そう」


 一度昂まった興奮はそう抑えられるものではない。次々に自爆していく雫だが、今までの作り上げた『クール』な印象が、カバーの働きををしてくれていた。


 そして……互いの手は離れる


「では、俺はこれで失礼しますね」

「え、ええ……」


 足早にその場から立ち去る陸は、背後を伺った後にゆっくりと深呼吸する。


(……握手、か)

 陸が見つめるその先には、さっきまで会長が両手で包むこむように握っていた右手があった……。



 ========



 陸と別れた後に、誰にも見られないように図書室の端っこに移動する雫。


「ど、どうしよう……。こ、こんなことするつもり無かったのに……。りく君に変な子だって思われてないかな……。もう、私ったら……っ」


 自分の両手を真っ赤になった頰に当てて、ふるふると首を振っている雫。こんな光景は誰も思い浮かべはしないだろう。

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