第8章 遭遇

「かわいいでしょう、トマホーくん。ネーミングはもちろん、デザインしたのも私なんですよ」


 我が子を見るような目で、怪獣――じゃなかった、マスコットの〈トマホーくん〉に視線を送るとまの言葉に私は、


「あっ、はい」


 と答えるしかなかった。どこの請負か知らないが、これを手掛けたデザイナーは世間を舐めているなと憤慨していたのだが、社長自らのデザインだったとは。発しかけた言葉を飲み込んで、本当によかった。だが見ると、試食会場に突如出現した怪獣――じゃなかった、マスコット、トマホーくんは意外なほど人気で、四方八方から携帯電話のカメラレンズを向けられている。並んで一緒の写真に収まる人までいる。もしかして、ずれているのは私のほうで、世間的にトマホーくんは十分「かわいい」部類に入るのか? ちょっと私も、もっと頭を柔軟にして世間に臨まなければいけないのかもしれない。


「すごいですね」


 と理真が呟いた。え? ひどいですね? 言っちゃったのかよ! すぐ隣に苫社長がいるんだぞ。……いや、違う「すごい」と言ったのか。いったい何がすごいのかと思ったが、彼女がそう評した理由が私にも分かった。トマホーくんは、その歩みや立ち姿にまったくぶれたところがない。それどころか、観客の声に手(正確には翼)を振り、華麗なステップまで披露している。両手(正確には翼)を振りながら小首を傾げる仕草など、私にもかわいく見えてきたほどだ。すごいのは〈中の人〉である上坂うえさかだ。


「上坂さんは、昔ああいったキャラクターショーのバイトを結構やっていたそうですよ」


 苫の言葉に私も理真も頷いた。どうりで。いかな学生時代に体操部で鳴らしていたとはいえ、あの動きは完全にプロのそれだ。


「私も驚きました」と苫は続けて、「開店に当たって何かいいアピール方法はないかとみんなで会議をしていた席で、着ぐるみキャラクターを作るというのはどうかと上坂さんがアイデアを出したんです。自分はそういう着ぐるみに入るバイトの経験値が豊富だから役に立てると。そのアイデアを採用して、私がキャラクターをデザインし、着ぐるみを即発注したんです。彼女は事務員として雇ったのですが、嬉しい誤算でしたよ」


 そのトマホーくんは、こちらを向いたときに体を傾げて片方の翼を振ってくれた。上坂が私と理真に気付いたのだろう。私たちも笑顔で手を振り返した。と、そこへ、


「盛況ですね、社長」


 聞き知った声が掛けられた。振り向くと、そこに立っていたのは木出崎きでさきだった。


「おかえりなさい、木出崎さん」


 苫は笑顔で、外回りから帰ってきた専務を迎えた。ちょうどその頃、用意したチキンを全て配り終えたようで、試食会の終了が林山はやしやまの口から告げられた。試食会が終わると、帰路に就くお客に手を振り続けるトマホーくんひとり(一羽?)を残し、私と理真は店舗内でお茶を振る舞われることになった。



 トマホークチキンの店内は、テーブル席がいくつかしつらえられ、カウンターが一列並んでいる、そう広くない間取りだった。ファストフード店ということで、利用者の半数程度をテイクアウト客として見込んでいるためかもしれない。敷地内は店舗面積に比べて駐車場のほうが圧倒的に広く取られているが、車社会の新潟でこの対応は正解だ。


「いかがですか、捜査のほうは」


 カウンター席に座る私と理真に、厨房側に立つ苫がコーヒーの入ったグラスを出しながら訊いてきた。


「すみません。捜査自体、始まったばかりですので、何もお話できるようなことは」


 理真は質問にお茶を濁して答えた。


「まあ、そうですよね」と苫は納得したような口ぶりをしながらも、「容疑者たちの前で無闇に捜査情報を漏らすわけにもいきませんよね」


 その言葉に、同じ厨房内にいる木出崎と林山は一瞬動きを止めた。理真は、それを見ない振りをしてコーヒーをひと口飲むと、


「試食会、大盛況でしたね。みなさん、美味しい美味しいと言って喜んでフライドチキンを食べていましたよ」

「ええ。オープンに向けて励みになります」

「社長、予定時間よりもずっと早くチキンがけちゃって、もっとたくさん用意しておけばよかったですね」

「取引先に伺ってきましたが、万代ばんだいシティのイベントに来てくれた方もいらして、そちらからも好評の声を頂戴しました」


 苫、林山、木出崎の三人は、そろって嬉しそうに笑顔を見せた。重苦しい空気になるのは避けられたようだ。理真はさらに、


「私もいただきましたが、お世辞抜きで大変おいしかったです。あの味はやっぱり、調理担当の林山さんの腕のなせる業ですか?」

「もちろん、そのとおり」林山は胸を張ったが、「と言いたいところなんですけれど、実は違います。僕はマニュアルどおりに作っているだけです。社長がお母さんの残したレシピを研究して、材料さえ揃えられれば誰にでもあの味が出せるよう、徹底してマニュアル化したんです」

「そうだったんですか」

「ええ」と今度は苫が、「職人の腕任せにしてしまうと、その人に何かあったときに同じ味を提供できなくなってしまいますからね。アルバイトも何人か雇いますが、彼らにも林山くんが指導をします」

「そうなれば、いつでも僕をお払い箱にできるというわけです」

「何を言い出すんだ林山くん。私がそんなことするわけがないだろう」

「いやだな社長、冗談ですって」


 ことさら真剣な表情になった苫がおかしかったのか、林山は笑い声を上げた。木出崎も笑みを浮かべている。とても和やかな雰囲気だ。社長である苫の人柄がこの雰囲気を作り出しているのだと思う。殺された矢石やいしがいた頃はどうだったのだろうか。想像するしかないのだが、こうはなっていなかっただろう。仕事は出来たのかもしれないが、従業員たちの和を乱す明らかな不穏分子。言い方は悪いが、私にはそんな感じに受け取られる。そこに殺害の動機があるのだろうか? そんなことを考えていると、


「おつかれさまでしたー」


 くぐもった女性の声が聞こえてきた。見ると、


「おわっ!」


 思わず大声を上げてしまった。店舗出入り口から怪獣――じゃなかった、みんな大好きトマホーくんが入店してくるところだった。両開きのドアは片側しか開かれていないが、トマホーくんは器用に翼を前側に畳むようにして横幅を調整し、するりと出入り口を抜けてきた。上坂はパフォーマンスだけでなく、こういった実用的な動きにも長けているらしい。トマホーくんが室内中央の広いスペースで停止すると、両翼が動きを止め、ジーという、ジッパーを開くような音が聞こえてきた。すると、トマホーくんの頭部が徐々に前方にだらりと倒れてきて、


「ふわー」


 トマホーくんの背中が割れて、スポーツシャツ姿の上坂が顔を覗かせた。まるで脱皮だ。


「おつかれさま、上坂さん」

「社長ー、今日もトマホーくん、大人気でした」


 上坂は上機嫌のようだ。林山が投げ寄越したタオルで汗ばんだ顔を拭いながら、嬉しそうに言った。


「相変わらず見事なパフォーマンスでしたね、上坂さん」


 木出崎も感心したように声を掛けた。


「ええ。そりゃもう。私、この中に入っているときは、トマホーくんになりきってますから」

「今見ていて思ったのですが」と興味深げに理真が、「トマホーくんは上坂さん、に限らずなのでしょうが、入っている人ひとりだけで着ぐるみを脱ぐことが出来るのですね」

「ええ。そうなんです。この背中のファスナーに秘密がありまして」


 と上坂が言うので、理真と私は椅子から立ち、トマホーくんの背後に回り込んだ。


「このファスナー、スライダー(ファスナーの開け閉めをするための金具)のつまみが表裏の両側にあるんですよ。ほら」


 どれどれ、と見ると、確かにトマホーくんの背中を縦に分断しているファスナー(当然、ファスナー自体は外から見えないように表皮が被さるようになっている)のスライダーには、長めのつまみが表裏両側に付いている。なるほど、この構造であれば、内外どちらからもファスナーの開け閉めが出来るということか。近くで見て、トマホーくんの表皮(?)にメッシュ状になっている部分があるのを見つけた。これが通気孔か。頭部のすぐ裏と足の付け根に空いており、着ぐるみの中を空気が通り抜けるような位置に配されていることが分かる。


「うちは少ない人員でやっているので、着ぐるみの脱着をするたびに補助が必要だと大変ですから、私が改造したんです。その前は、背中を向けて体を左右に二回揺するのを『ファスナーを下ろしてくれ』のサインにしていたんですよ。着ぐるみの中からだと、昨日みたいなイベントのときは声が伝わりづらいですから」

「色々と考えられているんですね」

「ですが、今でも、近くに誰かがいれば外からファスナーを開けてもらいますよ。やっぱり内側から明けるよりも、そっちのほうがずっと楽ですから」

「なるほど」


 それはそうかもしれない。内側からファスナーを開けるとなると、中の人は必然、自分の背中側に腕を回すことになり、窮屈な体勢を余儀なくされるだろうから。


「ちなみに、上坂さん以外の方がトマホーくんの中に入ることはないのですか?」


 理真の質問に上坂は、はい、と即答し、続けて苫が、


「そもそも、この着ぐるみに入って満足にパフォーマンスすることが可能なのが上坂さんしかいませんから。トマホーくんが上坂さん専用ということは、社内の全員が承知していましたよ」

「そうでしょう、そうでしょう」


 上坂は満足そうに目を閉じて頷いた。そのやりとりを見ていた木出崎が笑みを浮かべ、


「そういえば、着ぐるみが納品されたとき、林山くんが一度着てみたことがありましたね」


 それを聞くと上坂は笑いだして、


「ありました。林山くん、調子に乗ってダンスしようとして、回転しながら盛大に転んでましたよね。あれ面白かった-。動画に撮っておけばよかった」

「もうあの話はやめてくださいよー」


 林山は口をとがらせた。そこに着信音が鳴った。懐から携帯電話を取りだしたのは理真だった。ディスプレイに表示された発信者名を確認すると、失礼、と言い残し屋外に出て通話を始める。苫をはじめ、トマホークチキンの従業員全員がその背中を黙って見つめていた。事件のことで警察から探偵に何か連絡が入ったと思っているのだろうか。もしそうであるなら正解だ。理真が携帯電話を取りだしたとき、私にもディスプレイに表示された名前が確認できた。丸柴まるしば刑事だった。

 二、三分ほどで戻ってきた理真は、


「すみません。私と由宇ゆうは用事が入ったので、これで失礼します」


 と会釈をした。私も残っていたコーヒーを飲み干すと、頭を下げて出入り口に向かう。店内に残った四人が口々に掛けてくれた、お疲れ様です、を背中に聞きながら、私と理真は店を出た。


「丸姉からだった」車の運転席に座った理真が、「トマホークチキンの従業員について、色々と調べが付いたって。こんな話、あの場で電話で済ますわけにいかないもんね」


 確かにそうだ。


「それと、犯行当日に現場にいたお客さんから変な情報が入手できたらしいの」

「変な情報?」


 私も助手席に座り、シートベルトを引きながら聞き返す。理真は、うん、と頷いて、


「トマホーくんが歩いてるのを目撃したって」

「上坂さんとあの着ぐるみは、昨日のイベントにも出てたんだから、そりゃ歩きもするし、目撃もされるでしょ」

「それがね……」理真はシートベルトをつけてエンジンキーを差し込むと、「普通に歩いていたんじゃなくて、後ろ歩きをしていたんだって」

「……はあ?」

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