その14:筋肉に慣れましょう

 薄紫のリボンをつけた姿を、なぜ見て欲しいと思ったのだろう。


「あれ、アンリ。リボンはどうしたの?」

 ベルナデットの誕生日を祝うために招待客も集まり、会場は随分と賑わっている。その隅で警備についていたアンリエットと交代するためにやってきたニノンは、アンリエットの赤い髪からリボンが消えていることに気づいた。

「もしかしてなくしちゃった?」

 心配そうなニノンに、アンリエットは首を横に振る。

「ううん、なくしたんじゃなくて、さっき外したの」

「え。なんで?」

「汚しちゃいそうだし、それこそなくしたくないし」

(……やっぱり、似合わないし)

 褒めてくれたニノンには本音を言うことはできないが、嘘でもない。大切なリボンであることは変わらないから、汚したくないしなくすのも嫌だ。

「……そう」

 ニノンは釈然としない顔はしているものの、それ以上は何も言わなかった。無駄話をしているほど暇でもない。

「会場内に不審者はなし。ベルナデット様もまだお疲れではないみたい」

「了解。では警備を引き継ぎます。アンリも早く休んできな。今日はまだまだ長いからねぇ」

 王女の親衛隊とはいえアンリエットやニノンのような下っ端はベルナデット本人の警護につくわけではない。それは隊長や副隊長の仕事だ。もっぱら会場内の異変に気を配るばかりだが、これも丸一日ともなれば辛い。

 交代で休憩はとるものの、長時間は休めない。アンリエットはニノンに引き継いで騎士たちのために用意された休憩所へ向かう。会場からそれなりに離れているので急がなければ休む時間さえなくなってしまう。

(……う)

 休憩所の扉を開けて、アンリエットは硬直した。

 そこには既に数名の騎士が休憩をとっていた。おそらく会場外の警備にあたっている第二、第三騎士団の者だろう。

(き、きんにく……)

 それはそれはたくましい筋肉だった。思わずアンリエットが後退りするほどの。

 談笑している彼らに害はない。もちろんそんなことはアンリエットだって分かっているのだ。だが頭で理解していても、身体では拒否反応が出る。

(でも、少しは慣れないと……ダメ、だよね)

 今のままではいけないということも、苦しいほどに実感している。

 アンリエットの筋肉嫌いは女性騎士の間では有名だし、隊長クラスの人間にも知れ渡っている。だからこそアンリエットを引き取ろうというところはなかなか出てこないのだ。実力不足とか、そういうレベルではない。そもそもアンリエットの体質はどこの隊でも持て余してしまう。

(よし! 隅っこで同じ空気を吸うくらいは平気だし! ……たぶん!)

 ぐっと顔をあげてアンリエットが部屋へ入ろうとしたときだった。

「アンリエット?」

 低く涼やかな声がアンリエットの名前を呼ぶ。

 その声だけで、いつの間にかすぐに誰だかわかるようになってしまった。

「……セルジュ様」

 振り返ると、正装姿のセルジュがいる。彼も休憩なのだろうか。

(なんでだろう、今日はあんまり会いたくなかったな……)

 今までなら、セルジュに会えると楽しい気分でいっぱいになっていたはずなのに。

「髪型が違うので、一瞬わかりませんでした。休憩ですか?」

 セルジュは穏やかな表情でアンリエットの隣に並ぶ。ああそうだ、髪型も違ったんだなとアンリエットは思い出して、いつものように揺れない髪に手を伸ばす。きっちりと結われていて、綻ぶような様子もない。

「同僚がやってくれたんです」

「とても似合ってます」

「……ありがとうございます」

 こういう大人っぽい髪型のほうがいいんだろうか。いつものポニーテールは、子どもっぽいかもしれない。

「いつまでも立ち話では休憩になりませんね。……入りますか?」

 慎重に確認するような響きに、アンリエットは再び室内に目をやる。

 筋肉騎士たちはアンリエットたちに気づいたのか声量を控えめにしながら会話していた。目が合うと目礼する。

「ちょうど入ろうとしていたところなんです」

 アンリエットが答えると、セルジュは目を丸くした。

(そんなに驚くことかなぁ)

 セルジュが驚く顔は、少し幼い。そのことにふふ、と笑いながらアンリエットが先に入室する。

「少しは慣れようかなと思いまして」

 セルジュがいるからだろうか、不思議と一人の時よりも緊張感が湧いてこない。意識がセルジュに向いていて、背後の筋肉なんて気にしている暇はないのかもしれない。

「……そうですね、慣れた方がいいでしょうね」

 言っていることとは裏腹に、セルジュの声音はどこか固い。アンリエットは用意されている水差しからコップに水を注ぎながら首を傾げる。

「ほんとにそう思ってます?」

「思ってますよ」

「声も表情もちょっと固いです」

 アンリエットが遠慮なく指摘すると、セルジュは自分の頬に触れながらむむむ、と眉を寄せた。美形というのは顰めっ面すら絵になる。

「……いいことだとは思いますが、そうしたらアンリエットはモテそうだなと思いまして」

 唐突なセルジュの言葉に、アンリエットは思わず飲んでいる水を吹き出しそうになった。水にはレモンやハーブが入っていたので、ほのかに味がする。すっきりと爽やかな気分になっていたところだったのに。

(セルジュ様もそんな俗な事を考えるの……!?)

「モテませんよ!」

 即座に否定するが、思わず声が大きくなってしまった。筋肉騎士たちがこちらを向いて、目が合ってしまったので愛想笑いで誤魔化す。

「モテますよきっと」

「な、何を根拠に……」

 セルジュも水を一口飲んでから、再び口を開く。眉間の皺はそのままだ。

「今は親衛隊所属なので多くの騎士とは接点がありませんが、今後はどうなるかわかりませんし、アンリエットのように明るくていい子になんとも思わない男はいないと思いますけど」

「セルジュ様ったらあたしを買いかぶりすぎですよ……!?」

 美人でもないし、色気もない。顔立ちは誰が見たって十人並だ。アンリエットのどこを買えばそんな評価になるのか。

「モテるっていうのはルイーズ様みたいな方のことを言うんです」

「彼女はモテませんよ。いつも酒の席では散々飲んで愚痴ってますから。先日も振られたようで」

 しれっとした顔でセルジュがルイーズのプライベートを暴露するので、アンリエットはため息を吐き出す。

「そういうことをほいほい話しちゃダメですよセルジュ様……」

 ルイーズだって言いふらされて気分がいいものでもないだろう。あんな美人を振る男の人がいることにも驚きだが。

(それにしても、酒の席ではなんて、けっこう仲がいいんだなぁ……)

 もしかして、とアンリエットは思う。

 ベルナデットの言っていた『セルジュの心に決めた人』とは、ルイーズのことではないだろうか。

 美人で、実力もあって、同僚だし、どうやら仲も悪くないらしい。この間だってルイーズがセルジュを呼びに来ていたではないか。

 モテないなんて意地悪を言うのも、もしかしたらそう思いたくない心の表れなのかもしれない。考えてみると合点がいく。

 チクリ、と胸が痛む。

「アンリエット?」

 自分の胸元に触れながら顔を顰めるアンリエットに、セルジュが首を傾げながら声をかける。

「どうかしましたか?」

 ちらりと筋肉騎士たちに一度目を向けながらセルジュが問いかけてきた。慣れようと筋肉に接近していることでアンリエットが体調でも崩したのかと思ったのだろうか。

(心配しすぎだと言いたいところだけど、筋肉を目の当たりにして倒れた話をしたことあるしなぁ)

 だが今はそれほど筋肉騎士たちを意識していないし、彼らに背を向けて座っているアンリエットには、幸いにしてそのたくましい肉体は目に入っていなかった。

「なんでもないです。そろそろあたしは戻りますね」

 心配をかけないように、とアンリエットは微笑みながら立ち上がる。

「それなら一緒に戻りましょうか。会場の警備ですよね?」

「あ、はい」

 アンリエットに合わせ立ち上がったセルジュは、エスコートするように扉を開けた。




 会場は相変わらず華やかで賑わっている。

「それじゃあ」

 ついまたあとで、と言いそうになったが、あとの休憩が一緒になるとは限らない。アンリエットは言葉を濁して頭を下げる。

「ええ」

 セルジュも無駄話をするわけにはいかないのだろう。手短に挨拶をして離れる。


「……なかなか進展していないみたいね」


 そんな二人を見た王女は、ふぅ、と静かにため息を吐き出していた。

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