その13:ドレスとお化粧は女の武器
ベルナデットの誕生日当日、アンリエットは目元のクマも無事に消えて、正装に袖を通していた。
赤い髪をいつものようにポニーテールにしようとしていたところで、今朝も日課のように眺めていたリボンに目を落とす。
紫色のリボン。
未だに一度も使わないままだ。
(せっかくだし、つけてみようかな……でも)
似合わないよね、とアンリエットは苦笑する。
リボンを引き出しの中へしまおうとしたところで、突然寮の部屋のドアが開く。
「おはよー! 勝手に入るよ!」
ニノンが化粧道具を抱えながらノックもなしに飛び込んでくる。
「さすがにノックはしようよ……」
「アンリはけっこう往生際が悪いから、下手したら逃げたり居留守を使うじゃない?」
「ニノン相手にそんなことしないよ」
(逃げるのは得意だけど)
なんせお見合いからも散々逃げてきているアンリエットだ。今回だって相手がニノンだから我慢するだけで、基本的に嫌だと思ったことは全力拒否だし全力で逃げる。
(そういえば最近は両親も静かだなぁ。ベルナデット様のお名前を出したからかな?)
セルジュのアドバイスが効いたみたいだ、とアンリエットは笑う。
「あ、今日は髪もいじるから。アンリ、いつもポニーテールなんだもん」
おろしたままの赤い髪に触れてニノンが目を輝かせている。
「動きやすいのが一番でしょ」
「動きやすくても可愛い髪型ってもんがあるんですー! 今日は全部まるっとニノンさんに任せちゃいなさい!」
「派手にはしないでよ……」
ただでさえ目立つ赤い髪だ、奇抜な髪型になんてされたら注目の的だろう。アンリエットが笑い者になるだけならいいが、そもそも今日の主役はベルナデットなのだ。
「大丈夫、可愛くするだけだから」
ニノンは器用にアンリエットの髪を編み込んで、シニョンにする。いつもは走る度に揺れていた髪がまとめられて、動きやすさは増したかもしれない。
(でもこれ、自分では出来ないなぁ)
ただのシニョンなら練習すれば出来るようになるだろうか、と思いながらするすると動くニノンの指先を鏡越しに見つめる。
「髪飾りが欲しいところだね……っと、そのリボン、アンリの? 使っていい?」
「え」
ニノンが見つけたのは、例のセルジュがくれたリボンである。
どうしよう、と悩んでいるうちにニノンがリボンを手に取った。
「ほら、アンリの髪に似合うよ」
鏡越しに、リボンを髪に近づけて見せられる。濃い赤に、薄紫色のリボンはよく映える、ように見えた。可憐なリボンもアンリエットの髪と合わせると少し落ち着いた印象になる。
(ど、どうしようかな。使わないままなのも、もったいないし……)
今日は特別な日だから、いつもと違うことをしても許されるような気もする。
他人からすればただのリボンだ。けれどアンリエットにとっては、なぜかお化粧よりもどきどきと落ち着かなくさせられるものだった。
「うん、じゃあ……」
「よしきた!」
アンリエットが頷くと、ニノンはにこにことシニョンの周りにリボンを巻き、まとめた髪の下で結ぶ。なんだかそれだけで良い家のお嬢さんのように見える。
「さて、続きましてはお化粧です」
化粧水の瓶を持ち上げたニノンに、アンリエットは顔を引き攣らせた。髪を結ってもらうだけでだいぶ疲れたのだ。
「も、もうこれでよくない……?」
「いやいや、まだまだですよアンリさん」
顔に化粧水を塗られ、アンリエットはわぷ、と目を閉じる。すっかりニノンのペースになってしまって、アンリエットには抵抗の余地がない。
「どんな美形でも思わず見惚れちゃうくらい可愛くしてあげる」
ニヤリと笑うニノンに「いえだからそれは誤解なんだけど」とは言いにくかった。
(セルジュ様が見惚れるっていうのは無理があると思うけど)
卑屈にもそんなことを考えながら、アンリエットに出来ることと言えば大人しく化粧をされながら早く終わるようにと願うことだけだった。
たっぷりと時間をかけて化粧を施され、余裕を持って起きたはずなのにいつの間にかギリギリになっていた。
そもそもベルナデットの誕生日、あれこれと予定の詰まっている今日は出勤も早い。
「おはようございます」
先にベルナデットの部屋で警護に入っていた隊長に挨拶しながら入室する。ちょうど、ベルナデットの準備も終わったらしい。
ベルナデットの衣装は、胸元から裾に向かって徐々に白から薄碧へと変わっていく清楚で凛々しいドレスだった。ベルナデットが動くたびに裾のレースがまるで波打ち際のように揺れる。
「たいへんお似合いです、ベルナデット様」
ほう、とため息を零しながらアンリエットはベルナデットの可憐な姿に魅入っていた。
「ありがとう。アンリも今日はいつもよりずっと可愛いわ」
「あ、はは……」
結局しっかりお化粧されたアンリエットは、普段よりずっと華やかだ。アンリエットの注文通り派手にはなりすぎていない、絶妙な具合にニノンの腕を褒めたい。
ベルナデットの白銀の髪には
「これならロンゴリア国王も籠絡できるかしら?」
くるりと回ってみせながら、冗談めかして笑うベルナデットにアンリエットは大きく頷いた。
「それはもちろん! こんなに綺麗なベルナデット様にくらっとこない男の人はいませんよ!」
「あら。じゃあ、セルジュも?」
「え」
唐突に出てきたセルジュの名前にアンリエットは言葉に詰まった。
(セ、セルジュ様……?)
確かに目の前で首を傾げながらアンリエットの返答を待つベルナデットはとても綺麗で可憐で愛らしい。アンリエットが男だったら間違いなく、すっかり見惚れて骨抜きになっているだろう。
だがしかし、セルジュだとどうだろうか?彼のそんな姿を想像してみて、アンリエットは自身の想像力の限界を知った。
「セルジュ様はどうでしょうね……? その、意外と頭が固いところもありますし、仕事第一な方ですから、王女様相手っていうのは」
ちょっと無理かもしれない。いや、かなり無理だと思う。セルジュがベルナデット相手にくらっときたりメロメロになったりなんて、たぶんありえない。王女相手でなくても想像できないくらいだ。
「あらやだ、冗談で言ったのに」
「じょ、冗談……」
どうにも最近ベルナデットにもからかわれているようで、アンリエットは気が抜けない。馬鹿正直なアンリエットはからかわれているとすぐに気づけないのだ。
(兄様の腹黒さを一割でいいからわけてほしい……)
くすくすと笑うベルナデットに、真剣に頭を悩ませたアンリエットは肩を落とした。
「それにセルジュには心に決めた方がいるみたいだから、わたくしに籠絡されることはないでしょうね」
「え」
ベルナデットの言葉に、アンリエットは言葉を失った。
(心に、決めた人?)
いたのか。
いたのか、というのは失礼かもしれない。けれどアンリエットは、そんな可能性をまったく考えてもいなかったのだ。どちらかというと仕事に忙しく恋愛事にかまけている暇はないようで、仕事が恋人ですと言われたほうが納得できる。
セルジュには心に決めた人がいる。
ベルナデットがこうもはっきりと言うのだから、間違いない。憶測やただの噂話ではないのだと思う。彼女はそんな不確かなことを軽率に口にする人ではない。
「今日はきっと、その人に見惚れて他の女性なんて目に入らないんじゃないかしら」
(そんなに綺麗な人なんだ……)
あのセルジュが見惚れるなんて、よほどの美人なんだろう。
もやもやと胸の奥で炎が燻る。胸焼けするような息苦しさに、アンリエットは俯いて細く息を吐いた。
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