その15:王女様は悪巧みがお得意?
慌ただしく動き回っていると、あっという間に夜になる。
夜が更けるにつれ、酔っ払っいも増えてくるので困りものだが、そのあたりを対処するのは男性騎士に任せていた。もちろん腕っ節で負けるほど女性騎士たちも弱くはないが、相手が男性であることも多ければ、貴族相手なら腕力に訴えて昏倒させることも問題になる。面倒な世の中だ。
ベルナデットが自室に戻る頃にはアンリエットもすっかり疲れきっていた。体力的にというより、気力が削られていく警備だった。
(とはいえ、気を抜くわけにはいかないんだけど)
アンリエットにとっては明日も本番だ。
ベルナデットも寝支度を始めたところで、今日のアンリエットの仕事は終わりになる。あとは侍女たちに任せて、このあとの護衛に引き継げばいい。
「今日はお疲れ様」
ベルナデットの結い上げていた髪を侍女がほどいていく。鏡越しにベルナデットがアンリエットを見て微笑んだ。
その笑みに含まれた意味を考えながらアンリエットは笑う。
「ベルナデット様もお疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね」
ベルナデットにとっても明日はのんびりと休息をとれる日ではない。一日中警護にあたっていたアンリエットとは別の意味でも、今日の主役であったベルナデットはより忙しかったはずだ。
「心配しなくても今日はすぐに休むわ。くたくただもの」
そうですね、とアンリエットは微笑み、退室する。
すぐに休むと言っても、これからベルナデットは化粧を落とし、湯浴みをして、その後もしっかり肌や髪を手入れしてようやく眠れるのだ。少しくらいサボってしまえと怠惰になれるアンリエットとは違う。
(こういうときお姫様はたいへんだなって思っちゃうなぁ)
アンリエットは部屋に戻ったらシャワーを浴びてお肌の手入れもそこそこに寝る予定だ。
「しっかり準備して、しっかり寝ておかないとね!」
小さく意気込みながら小走りで寮の部屋へと急ぐのだった。
ベルナデットの誕生日の翌日。今日ばかりは親衛隊の隊員も休みを与えられている者が多い。
「昨日の疲れが残っているから今日は部屋でゆっくり休むわ。午前中は寝ているから起こさないでね?」
まだ寝巻き姿のベルナデットが騎士たちに告げる。にっこりとアンリエットに微笑みかけてきたので、これはベルナデットなりの作戦への協力と考えていいのだろう。
(連れ出すまでが一番大変そうだったから、正直とても助かりますベルナデット様……!)
隙を見てこっそりと持ち込んでおいた古着のワンピースに着替えてもらって、人目を避けて城外へ出る。これがなかなか難しい。失敗するとしたらこの過程のどこかだろうと思っていた。
(あとはうまくベルナデット様と二人になれば……)
「アンリ。寝るまで話し相手になってちょうだい」
「あ、はい」
タイミングを伺って、と考えていたアンリエットは、ベルナデットのたった一言でこうも簡単に目的を達成した。
ベルナデットの命令となれば親衛隊の隊員は誰も逆らえないし、ベルナデットがアンリエットを『友人』としていることも周知の事実だ。話し相手にしたところで違和感はない。
もしかしたら、ベルナデットのほうが悪巧みは上手いのではないだろうか。
寝室で二人になると、ベルナデットは目をキラキラとさせていた。
「それで? ここからどうしたらいいのかしら?」
ベルナデットに出来ることはここまで。身一つで城外へ出たことなどない彼女はこの先どうすればいいのかわからないのだろう。
「こちらに着替えていただけますか? ベルナデット様のドレスじゃ目立ちますから」
アンリエットが用意しておいたワンピースを差し出す。ベルナデットは素直に受け取った。
「可愛いワンピースね?」
「あ、あたしのお古なんですけど……すみません、新しいものを用意する暇はなくて」
「あら、十分よ。でもこういう服は着たことがないからドキドキするわね」
着替えを手伝いましょうか、とアンリエットが問うとベルナデットは首を横に振った。いつも侍女たちの手を借りて着替える王女様も、一人で何も出来ないわけではないのだ。
アンリエットも着替える前に寝室から出て、外で待機している侍女に声をかける。
「ベルナデット様が喉が渇いたとおっしゃっているので、お茶を用意していただけますか? あたしが淹れるので、準備だけでよいので」
「ええ、すぐお持ちしますね」
侍女たちは優秀なのでそう待たずともお茶を持ってきてくれるだろう。
いつもならベルナデットから細かい指示があるが、アンリエットのお願いだけならレモンやミルクなどあれこれと一緒に運んでくるはず。
(……と、なればきっとティーワゴンで持ってくるはずよね)
むしろワゴンで運んでくれなければ困るのだが。
「着替えたわ、似合うかしら?」
寝室に戻るとベルナデットは準備を終えていた。くるりと回ってみせるベルナデットは、たいへん可愛らしい。昨日のドレスももちろん似合っていたが、ただのワンピースでさえベルナデットが着るとちょっといいものに見える。
「とても似合ってます! あとは髪も結びましょうね」
侍女のように綺麗に結い上げることはできないが、三つ編みならアンリエットでもできる。
(と、とはいえ……まさかあたしがベルナデット様の髪を編むことになるとは……)
痛いとか下手だとか言われたらどうしようか。人生でこんな機会が巡ってくるとは露ほども思わなかった。こんなことならもうちょっと手先が器用になるように練習を積んでおくんだった、と少しだけ思う。
おそるおそるベルナデットの髪に触れようと櫛を片手に手を伸ばしたところで、ノックの音がした。
お茶を運んできた侍女だろう。
「ベルナデット様、ベッドに潜ってください」
小声でそう告げると、ベルナデットはこくりと小さく頷いてベッドに入る。ワンピース姿を見られてしまったら計画はここでおしまいだ。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとうございます」
扉を開けると、ワゴンにはティーポットやカップだけでなく、シュガーポットやミルク、それにお茶請けのお菓子まで並んである。さすがの仕事ぶりだ。
ワゴンを入れるために扉を大きく開ける。ベルナデットはベッドから頭だけを出して、ふぁ、と欠伸をしていた。演技だとしたらなんと名演技なのだろうか。
「アンリ、ミルクとお砂糖たっぷり入れてくれる?」
「はい、かしこまりました」
指名されたことでアンリエットはごくごく自然にティーポットを手に取る。侍女は一礼し静かに部屋を出て行った。
「せっかくだからお茶を頂きましょうか」
「そうですね、あまりゆっくりは出来ませんけど」
アンリエットが必要としていたのはこのティーワゴンだ。白い布がかけられたワゴンの下は空洞になっていて、ベルナデットくらい小柄な少女なら隠れることができる。
甘いミルクティーを飲みながら、ベルナデットがにっこりと笑う。
「わたくしはこれに隠れればいいのかしら?」
「ご理解が早くて助かります……」
嫌だと言われたらどうしようかと思ったが、ベルナデットは相変わらず楽しげで、不満を口にするような素振りはない。
「それじゃあ、髪を早く結んでちょうだいな?」
「あ、はい、失礼しますね」
そっと触れたベルナデットの髪は、絹糸のように滑らかだった。思わずうっとりするほどの手触りだ。
慎重にベルナデットの白銀の髪を編んで、ひとつのお下げにした。
「ねぇ、このリボンを使って?」
そう言ってベルナデットが差し出したのは、アンリエットがプレゼントしたリボンだ。アンリエットの瞳と同じ緑色のリボンは、思ったよりもベルナデットの髪に似合っている。
「今日、絶対に使おうと思っていたのよ」
ふふ、と楽しそうに笑うベルナデットは、どこにでもいる年頃の少女だった。
ああ、昨日ニノンに髪を編んでもらった時みたいだ、とアンリエットは思った。
今この時だけは、少なくとも今日これからの、ほんのわずかな時間だけは。ベルナデットは王女ではなく、ただのアンリエットの友人なのだ。
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