その3:情報収集は重要です
いつもと違った少し騒々しい昼の休憩も終わり、アンリエットはセルジュとの会話を思い返しながら王女のもとに戻った。
(よくよく考えると友人っていうのも変じゃない? あ、社交辞令ってやつかな。セルジュ様があたしと親しくなりたいなんて思う理由はないもんね?)
兄のディオンがいたから角を立てないようにああ言ったのだろう。
アンリエット自身はセルジュに言ったように男女の友情を否定しないが、今まで男友達がいたことはない。
(男の人と友達になっても、何をしたらいいのかわからないし)
社交辞令だったのなら、今後セルジュと会うこともそうそうないだろう。
「あら、おかえりなさい。アンリ。どうしたの? 変な顔をしているわよ?」
ベルナデットも今は休息をとっていたところらしい。部屋の中には紅茶のよい香りが漂っている。
「いえ、なんというか、男の人ってよくわからないなって」
家族や親戚は筋肉ですべてを解決したがる馬鹿正直で単純な思考の持ち主ばかりだったせいか、セルジュのような人はアンリエットには馴染みがない。
困ったように頬をかくアンリエットを見つめ、ふぅん、とベルナデットは目を細めた。
「男の人。……男の人と言ったわね? アンリ、あなたやっぱりお見合いするの?」
アンリエットのお見合い逃走の件は当然彼女の主であるベルナデットも知っている。
アンリエットはぎょっとしてすぐさま否定した。
「しませんよ! 断固拒否します!」
とんでもない! と言いたげなアンリエットの様子に、ベルナデットは「あら、そうなの?」と目を丸くする。その姿は年下だというのにほのかな色気すらあって、アンリエットはいつもどきどきしてしまうのだ。
「でも今の話し方だと、男の人と会っていたんでしょう? 騎士団の方?」
「騎士団の人といえばそうですけど……」
言葉を濁すアンリエットに、ベルナデットは目を輝かせてじりじりと詰め寄ってくる。
「あらアンリ。わたくしに話せないようなことなのかしら?」
王女であるわたくしに? とにっこりと問いかけてくるベルナデットに、アンリエットはぶんぶんと激しく首を横に振った。
「いえ、決してそんなことは!」
「では話してちょうだい? ちょうどドレスの採寸の時間まで暇なの」
ゆったりとソファに身を預け、すっかり聞く体勢になったベルナデットを前に、アンリエットは肩を落とした。
ベルナデットがこうなったら逃げられないことをアンリエットは知っている。零れかけたため息を飲み込んで、アンリエットは観念して口を開いた。
「……特に面白いことはないですよ? 兄に会いに行ったら、第一騎士団の方と知り合いになったというか」
(よくわからないうちに丸め込まれて友人になっていたというか)
順序立てて話そうにも、アンリエット本人ですら思い返すとあれはなんだったんだろう、と思ってしまう。
初対面で自分を蹴って下敷きにした女と友人に、なんて。セルジュは相当変わり者だ。
「第一騎士団? わたくしの知っている騎士かしら」
「セルジュ・ヴァレリー様です」
「って、あのセルジュ様ぁ!?」
アンリエットがセルジュの名を出すと、それまで静かにしていた同僚のニノンが驚いて声を上げた。
「知ってるの? ニノン」
じろり、と隊長が一瞬こちらを見てきたがベルナデットが楽しんでいる上に彼女から始めた会話なのでやめさせることもできないのだろう。隊長からの注意もないので、調子に乗ったニノンがずずいっと身を寄せてきた。
「あの美形を知らない人間がいるはずないじゃない」
「そうね、セルジュならわたくしも知っているわ」
とても綺麗な人よね、とベルナデットは微笑む。噂好きのニノンならまだしも、ベルナデットまで顔と名前を覚えているということはそれだけ有名なのだろう。
「……あたしは知らなかったんだけど」
うーん、とアンリエットが首を傾げる。
セルジュのあの見た目なら目立つのは当然だ。むしろアンリエットが今まで目にしたことがなかったという方が珍しいのかもしれない。
(仕事で忙しいから夜会には全然出てないし、あたしが男の人と知り合う機会ってあんまりないんだよね)
「アンリは食堂とか避けてるしね。女性騎士の間じゃ目の保養として人気だよ」
「え? 目の保養だけなんだ?」
あんなに綺麗な人で、かつあの若さで第一騎士団というエリートだ。眉目秀麗、将来有望、モテる要素は十分すぎるほど揃っている。
「だってなんか、近寄り難いじゃない?」
冷たくあしらわれそうだし、とニノンが言うものだから、アンリエットは疑問符を浮かべながら曖昧に相槌を打った。
(そうかな……? いい人そうだったけどなぁ……)
アンリエットの印象は悪くない。確かに冷たいイメージを持たれそうな外見ではあるが、話してみるとなかなか気さくな人だった。
「それに自分より綺麗な人を恋人にはしたくないわ」
「ああ、なるほど……」
それはアンリエットも同意できる。いくら女性騎士といっても、女を捨てたわけじゃない。ごく普通の女性と変わらず、誰もが美容には気を使っている。
自分とセルジュが並んだとき、どちらが綺麗かなんて誰かに聞かなくてもわかる。美に力を入れている女性としての矜恃はズタボロだろう。
「そのセルジュ様とお近づきになったなんてねぇ。アンリも隅に置けないわ」
ニノンはにやにやと笑いながらそう言うし、ベルナデットも意味ありげに微笑んでいて、アンリエットは居心地が悪い。
「いやそんな意味深なものじゃなくて……なんかお友達になったみたいで?」
つい疑問形になってしまうのはアンリエット自身もまだ信じられないからだ。
「あら、本当にそれだけなの?」
つまらないわ、とベルナデットは頬を膨らませる。
「それだけですよ」
(セルジュ様がものすごくあたしの好みのタイプだったってことは黙っていよう……)
年相応に恋バナが好きなベルナデットやニノンにそんなことまで話したら盛り上がるだけではすまないだろう。
ちょうど侍女がベルナデットに採寸のお時間です、と声をかけてきた。時間潰しの恋バナもどきはここまで。
「なぁんだ。でも何か進展があったら必ず教えてね? 約束よ、アンリ」
ベルナデットはすっと立ち上がり、十四歳とは思えぬ艶やかな笑みを浮かべた。すっかり『ベルナデット王女』の顔である。
お針子たちが部屋の中に入ってきて、アンリエットはそっと部屋の外で待機することにした。採寸やドレス選びのときはいつもそうしている。
アンリエットも華やかな装いに興味がないわけではないけれど、そこまで強いこだわりがあるわけでもなく。
こういうときの身近な警護は、知識がある者のほうが参考になるだろう。騎士に意見を求めることがそうそうあるわけではないとしてもだ。
「アンリ」
扉の前で警護しているアンリエットのもとにニノンもやってくる。
「あたしだけでも良かったのに」
ニノンはアンリエットとは違ってドレスのような華やかなものは大好きなのだから、きっと部屋の中に残りたかっただろう。
「警護は二人一組が基本でしょ」
何かあっても片方が知らせに走ったり待機したりできるように、基本的に親衛隊であろうと騎士団であろうと二人以上で組まされる。
「ベルナデット様って、アンリには素を見せてるっていうか……けっこう仲良いよね」
「……まぁ、そうだね」
ニノンの目から見てそう見えているというのなら、アンリエットもわざわざ否定はしない。
「アンリと私、親衛隊に入ったのは同じ時期なのになぁって思うわけよ。参考までになんか秘訣でもあるの? 私さ、次は妹姫の親衛隊に行くことになってるし」
「え。何それ羨ましい聞いてない」
アンリエットは他の王女の親衛隊には空きがないと聞いていたのに。他の同僚も次の配属が決まっていたり、結婚することになっていたりと、今後があやふやなのはアンリエットだけになっていた。
「恥ずかしい話なんだけど、ちょっとしたコネでね。でも、アンリは無理でしょ、ベルナデット様のお気に入りだった子が他の王女様のとこ行けると思う?」
「う……」
返す言葉もなくてアンリエットは口籠もった。実力を評価されているならばいざ知らず、アンリエットはただベルナデットに個人的に気に入られているだけだ。
前の主に贔屓にされていた騎士がすんなり他の主を持って誠心誠意仕えることができるのか。
もちろん、アンリエットは騎士としての仕事で手を抜いたりなどしないが、アンリエットを迎え入れる側の印象の問題だろう。
「主に信頼されるって、騎士としてはこれ以上ない名誉だけど」
こういう時はちょっと困るね、とニノンが小さな声で呟き苦笑する。
誇らしい気持ちは確かにあるから、ベルナデットに泣きつくつもりもない。
これまで、ベルナデットが素を見せるのは、長年共に過ごした乳母と乳兄弟である侍女くらいのものだった。ベルナデットはとても王女らしい王女で、まだ若いながらも主従の壁を明確にしていたのだ。
だからこそ、アンリエットは少しだけ特別だった。
きっかけは、たぶんベルナデットに仕えるようになって少しの頃、彼女の誕生日だったと思う。
親衛隊からお祝いのものは贈ったが、初めてできた主に、アンリエットは個人的にも何かプレゼントしたかった。
とはいえ、仕え始めて日の浅いアンリエットにはベルナデットの好みなどわからなかったし、まして彼女が欲しがるものをプレゼントできるほどの財力もなかった。
悩みに悩んで、何を血迷ったのか――そう、今のアンリエットなら血迷ったと思う――アンリエットはベルナデットに『なんでもひとつ願いを叶える券』をプレゼントした。おまけ程度のお菓子を添えて。
怒りを買う可能性も考えなかったわけではない。こんな粗末なものを渡すなんて、と。けれど下手にいらないものをもらうよりも、本人に直接欲しいものしてほしいことを訊ねるほうが早いと思ったのだ。
結果として、ベルナデットは今までもらったことがないその幼稚なプレゼントを大いに喜んだ。
王女として欲しいものはなんでも手に入るかもしれない。けれど同時に、王女であるがゆえに諦めなければならないものも多い。
だから、ベルナデットはアンリエットに願ったのだ。
『それならば、わたくしの友人になりなさい』
それ以降ベルナデットはアンリエットを愛称で呼び、親衛隊の一人として、そして友人として接するようになった。
歳の近い、気の置けない友人というものを、ベルナデットはもっていなかったのだ。
(……きっと、ベルナデット様はごく普通の女の子が持っている、当たり前のものが欲しかったんだ)
その一つが、友人だった。
政治だとか身分だとか関係ない、ベルナデット個人としての友人が欲しかったのだろう。きっと、欲しかったということにそれまで自分でも気づかないほど、ささやかな願いだった。
「……特別なことは、何にもしてないんだよ」
アンリエットがやったことは、たいしたことではない。秘訣なんて聞かれたところで、何も教えてあげることはできないのだ。
「でもベルナデット様には響くことだったってことでしょ」
「……そうなのかな」
アンリエット本人はたまたまだとしか思えないのだが、ニノンはそうだよ、と笑って妙に納得してるようだった。
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