その4:悩むことだってあります

 アンリエットの両親も一度や二度の失敗で諦めたわけではなかった。

 娘の将来がかかっているのだから、親として手を抜くわけがない。重すぎる親からの愛情に、アンリエットは頭が痛くなるばかりだ。

 アンリエットのためだと思っての行動だとわかっているからこそ、邪険にもできない。ふがいない娘である自覚は大いにあった。

 騎士見習いをして二年、正式に騎士となって親衛隊に入ってからはまだ二年も経っていない。アンリエットはまだまだ騎士として働きたいし、だからこそまだ結婚する意志はない。

(結婚する気がないのにお見合いっていうのも、そもそも不誠実な話でしょ)

 生真面目なアンリエットはそう思って、すっかり実家に近寄らなくなったが、それでも両親はしつこく手紙を送ってきた。


『せめて一度、会ってみるだけでもいいでしょう?』

『次の配属先も決まっていないのにどうするつもりだ』


 親として娘を心配してくれているのだとわかっていても、無遠慮な言葉はアンリエットの心を突き刺した。

 仕事で忙しいから、という理由で実家には当分帰らないし、お見合いなんてしている暇もないと両親には返信をしておいたが、果たしてどれほど効果があるだろうか。

 ふぅ、とため息を吐き出してアンリエットは昼食のサンドイッチを口元へ運ぶ。騎士団の食堂はこの時間帯は筋肉で溢れかえっているのでアンリエットはいつも昼食を持参して一人で食べていた。

 アンリエットが昼食をとるのは薬草園にほど近い王城の端っこの東屋あずまやだ。人があまりこないのでアンリエットにとっては落ち着ける貴重な場所なのだ。

(どうしようかなぁ……)

 ベルナデットが嫁ぎ、この国を去る日は刻一刻と迫ってきている。それは同時にアンリエットが無職になるまでのカウンドダウンでもあった。ベルナデットに泣きつけばあるいは……なんて甘い考えも浮かんだが、それを断ったのはアンリエットのほうだ。

 もともと、アンリエットはベルナデットの紹介で王妃の親衛隊の下っ端として働けるはずだった。自分が嫁いだあと解隊されてしまう親衛隊のその後について、ベルナデットが無関心でいるはずもなかったのだ。

 けれどアンリエットの父親がそれを聞きつけて先回りした。『娘には縁談がきておりまして』などと王妃に告げたせいで、アンリエットが挨拶へ行ったときには『あらあら、縁談があるそうね。おめでとう。え? 既に他の方が来ていただくことになっているけど?』なんて向こうの隊長に告げられたときは本気で親子の縁を切ることも考えたのだ。

 すぐにベルナデットが他の配属先を探すと言ってくれたが、そこまで甘えることはできないと断った。その時はどうにかなると思ったのだ。


「――こんにちは、アンリエット」


 はぁ、とため息を吐き出しながら昼食を食べていたアンリエットの前に、突如現れたその人に、咥えたサンドイッチを思わず落としそうになった。

 慌ててもぐもぐと飲み込んで、喉に詰まりそうになったのはどうにか紅茶で流し込む。

「セ、セルジュ様……!? どうしてここに!?」

「ディオン殿が、アンリエットはいつもここで昼食をとっていると言っていたので」

 にっこりと微笑みながらセルジュは持参してきたらしい昼食を掲げてみせた。紙袋に入っているのは、おそらくアンリエットと同じくサンドイッチだろう。

(……そ、それだけで足りるのかなぁ)

 アンリエットはこのあと訓練があるわけでもなく、ベルナデット王女の身辺警護につくだけだからいいのだが、多忙なセルジュにとっては量がまったく足りない気がする。

 成人男性に必要な摂取カロリーは女性に比べて多かったはずだし、セルジュは騎士なのだからよりエネルギーは必要になるはずだ。

「実は昼前に軽く食べてるのでこれで十分なんですよ」

「んぐっ」

 まるでアンリエットの心の中を見透かしたようなセルジュのセリフに、今度はばっちりサンドイッチが喉に詰まった。

「顔に出やすいんですね」

 くすくすと楽しげに笑いながらセルジュが差し出してくれる紅茶を受け取る。

「だって、その、兄様はものすごい量を食べるので」

「もちろん女性に比べれば食べる量は多いでしょうが、ディオン殿あたりは規格外でしょう」

(あ、やっぱりあれはおかしかったのかぁ……)

 なんせアンリエットの父親もたくさん食べる人だったし、親戚もそうだし、周りにいる男性はアンリエットの三倍から五倍は軽くぺろりと平らげていたのだ。つい男の人はそういうものなのだと思い込んでいた。

「それにしても、また浮かない顔をしていましたね」

「う……そんなに顔に出てましたか?」

 沈黙、そしてやわらかな微笑みは間違いなく肯定だろう。

 食べかけのサンドイッチを見下ろしながら、アンリエットは小さくため息を吐き出した。

「両親に見合いをしろってせっつかれてまして……」

 それはもう、毎日のように催促の手紙が届くほどだ。もとより乗り気でない話をここまで押し付けられるとどうにも気分も塞ぐ。

「そんなに嫌がることですか? 会ってみるなら別に……」

「あの両親が褒め称えるってことは筋肉隆々の人ってことですよ!? 無理です! 苦手なんですあの筋肉の塊!! なんか筋肉そのものが生き物みたいで!」

 アンリエットの必死の拒絶に、セルジュはぷっと吹き出した。

「もおおお! 笑い事じゃないんですー!!」

 こちらは大真面目なのだ。笑わせようと思って話しているんじゃない。しかしセルジュは堪えきれないのか、笑うのをやめようとしても上手くいかずにせっかく綺麗な顔がおかしなことになっている。

「き、筋肉が生き物みたいとは」

「だってぴくぴく動いたりするじゃないですか!」

 アンリエットが苦手だと知っていながら、兄が面白がって筋肉を見せつけてきたりしたときは最悪だった。

 兄本人にとっては自慢の胸筋も上腕二頭筋も、アンリエットには気持ち悪いものにしか見えない。見せつけられるたびに本気で殴るのだが、悲しきかな、筋肉を前にアンリエットの拳は無力だった。

 まだくすくすと笑うセルジュを放ってアンリエットは最後のサンドイッチを食べる。

「そんなに苦手なんですか?」

 筋肉が、と問いかけてくるセルジュに、アンリエットはサンドイッチを飲み込んでからこくりと頷いた。

「以前にも親に騙されてお見合いしたことありますけど、顔を合わせて一秒で倒れましたもん」

 散々お転婆と呼ばれてばかりのアンリエットが、まさか繊細な少女のように気を失うなんて、本人だって思いもしなかった。

「まぁ、その時は不意打ちの筋肉だったのもあるんですけど……」

 どちらにせよ、苦手なものは苦手だ。身体が勝手に拒否反応を示すのだからどうしようもない。

「そのときのこともあるから、お見合いなんてしたくないんです。でも親もしつこいので、逃げる理由がなかなか……」

 どっと疲れたように肩を落とすアンリエットに、なるほど、とセルジュは微笑みかける。

「それなら……ほら、権力にすがるという手もありますよ?」

「……権力?」

 セルジュの助言に、アンリエットは首を傾げる。現状、忙しいからと逃げるしか手はなく、両親が納得する秘策があるならぜひとも教えてほしい。

「ベルナデット王女の名をかりて、嫁ぐ日までは婚約をせず尽くしてほしいと言われた……とか。さすがにそれならご両親も強くは言えないでしょう?」

 つまりベルナデットに命じられたのでアンリエットは仕方なく見合いができないのだ、と両親に伝えればいいのだ。

 馬鹿正直なアンリエットはそんな手をさっぱり思いつかなかった。

「それは確かに……! あ、でもベルナデット様の名前を勝手にお借りするわけには」

「相談すれば許可していただけるのでは? あなたは随分と王女に信頼されていると聞きましたが」

 セルジュの言うとおり、ベルナデットなら理由を話せば快く許してくれるだろう。

 ベルナデットに泣きついて次の配属先を見つけるよりは、こちらのほうが試してみる価値は大いにある。これならしばらくは両親も大人しくなるだろう。

「とはいえ、苦手といっても、いずれ少しは慣れるんでしょう? ディオン殿とも仲が良いですし」

 セルジュの呟きに、アンリエットは苦笑した。

 筋肉嫌いと言っても仕事の関係上、苦手な筋肉騎士に近寄らずにすむわけではないし、何より父や兄はアンリエットの大嫌いな筋肉ダルマだ。

 過ごす時間が長くなればなるほど、慣れるものは慣れる。だがそれは慣れただけで、苦手でなくなったわけではないのだ。

「それはそうなんですけど……でもやっぱり苦手意識が強いので、慣れるまでびくびくしていたら相手に申し訳ないじゃないですか」

 曲がりなりにも結婚を前提として会うのに、向こうもそれを期待しているだろうに、相手の娘が顔色悪く自分に怯えていたら悲しいだろう。

(そんなあたしの見合いが、そもそも上手くいくとは限らないけど……うちの両親も諦めないよなぁ……)

 今回の相手はそれほど気に入っているのだろうか。

「顔も知らない相手にそこまで気を遣うんですか?」

「顔を知らない人でも、それがたとえ筋肉ダルマでも、人としての礼儀は忘れませんよ」

 最初の見合い相手だって、後日きちんと謝罪の手紙を送ったのだ。

「あたしが勝手に苦手でぎゃーぎゃー騒いでいるだけですもん。相手を不快にさせたいわけじゃありません」

「アンリエットは、やさしいんですね」

 くすりと微笑むセルジュがあまりに綺麗だったので、アンリエットの心臓は大きく跳ねる。

「そ、そんなことないですよ」

「褒め言葉は素直に受け取っておくべきですよ。……時間、大丈夫ですか?」

 セルジュが見せてきた時計が示す時間は、もうすぐ昼の休憩が終わる頃だと教えている。

 騎士団の食堂を避けてわざわざこの遠い東屋で昼食を食べていたアンリエットにとっては、急がねば午後の仕事に間に合わなくなる時間だ。

「え、わぁ!? あたし戻りますね!」

「はい。それじゃあまた」

 大慌てで走り出すアンリエットに、セルジュがくすくすと笑って手を振る。遅れてきた彼はまだ時間に余裕があるのだろう。


(またって……またあるの?)


 友人になろうという話すら社交辞令のひとつと考えていたアンリエットにとっては、今日わざわざセルジュが会いに来たことすら驚きなのだが、一度きりの気まぐれでもないらしい。

(まぁ、いいか。セルジュ様は苦手じゃないし。早速アドバイス通りベルナデット様の名前を借りていいか聞いてみないと!)

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