その2:慰謝料を請求します
アンリエットはどうにか無事に両親の騙し討ちから逃げ切ることができた。
やはりこういうときは一目散に逃げるに限る。なんせ多勢に無勢。これは戦略的撤退だ。
そしてお見合いから逃走した数日後、たまりにたまった文句を吐き出すためにアンリエットは兄のディオンのもとにやってきたのだ。元はと言えば兄に騙されたことが始まりだったのだから!
ずんずんと早足で歩いていると、ポニーテールにしたアンリエットの赤い髪が左右に揺れる。
「兄様、よくも騙してくれやがりましたね!」
騎士団の訓練場に向かうと、運良く休憩している兄のディオンを見つけた。時刻は昼時、たいていの騎士は昼休みに入っている。
アンリエットと同じ、燃えるような赤い髪は、遠くからでもすぐに見つけることができた。
「口が悪いぞアンリ」
「兄様相手だからいいんです!」
もともとアンリエットは上品な物言いは得意ではない。家族も親戚も血の気の多い者が多く、そんな環境で育ったアンリエットにお上品な言葉遣いが身につくはずもなかった。これでも普段は頑張って猫をかぶっているので、昔よりはマシになったのだ。
「約束のケーキは必ず奢ってもらいますからね!」
「なんでそうなる。おまえ、結局見合いから逃げただろうが」
「精神的苦痛に対する慰謝料です!」
まさか兄と両親にまた騙されるなんて思わないではないか。前回の見合いでアンリエットは倒れたというのに。安らげるはずの実家は敵だらけだったのだ!
「精神的苦痛って……アンリ、おまえ見合い写真は見たか?」
「見てません。興味ありませんから」
筋肉ダルマなんて写真でだって見たくない。暑苦しくて仕方ない。アンリエットはつん、と刺々しく答えた。
アンリエットの一族は代々騎士として王国のために剣をふるってきた。おかげで親戚一同、たいへんたくましい。
そしてもちろん、騎士団に所属している父や兄の知り合いも鍛えに鍛えた筋肉を自慢するように見せびらかしている人ばかりだ。
幼い頃、筋肉ダルマの父にぎゅうぎゅうに抱きしめられあやうく窒息死しかけたときから、アンリエットは筋肉が嫌いだ。大嫌いだ。
「……ふぅん」
呆れたようにディオンが零したところで、二人に歩み寄ってくる人物がひとり。
「ディオン殿」
声をかけられたディオンは顔を上げ、手を振った。つられるように振り返って、アンリエットは目を丸くする。
「ああ、この間は悪かったなセルジュ」
セルジュ、と呼ばれた青年は、つい先日実家から逃亡したときにアンリエットが下敷きにしてしまった青年だったのだ。
白銀の髪に紫の瞳。先日も思ったが、思わずどきりとするくらい綺麗な男の人だ。知らず知らずのうちにアンリエットの心拍数が跳ね上がる。
なるほど、ディオンの知り合いだからあの日アンリエットの実家に訪ねてきたのだ。
「いえ。そちらの方は……」
セルジュもアンリエットに気づいたらしい。
アンリエットは気まずさを堪えて、そっと礼をした。騎士たる者、礼節を軽んじてはならない。
「妹のアンリエットだ」
「先日はたいへん失礼しました。その……大丈夫でしたか?」
あの場では急いで逃げようとしていたものの、下敷きにした人を置き去りにするのはアンリエットの良心が傷んだのだ。
セルジュは先日の無礼を気にした素振りもなくやさしく微笑む。
「ええ、怪我ひとつしてませんよ」
「よかった」
ほ、と胸を撫で下ろしているとアンリエットの隣でディオンが首を傾げている。
「……先日? おまえら顔見知りだったのか?」
いいえ、とセルジュがやんわりと否定した。
それもそうだ。アンリエットは騎士として王城に勤めているし、普段の寝食は騎士団の宿舎だが、王女の親衛隊となると通常の騎士団とは生活のリズムが違う。あまり騎士団の人たちとは顔を合わせないのだ。
(それに、筋肉の多い騎士団の訓練場とかには、よほどのことがないとあたしも近寄らないし……)
「ディオン殿の家を訪ねたときに空から降ってきたんです」
「空から?」
彼の説明はまさにその通りなのだが、正直そんなロマンチックなものではない。
「その、木から降りるときにちょっと……」
下敷きにしました、とは素直に口にできなかった。しかし兄にはそれで通じたらしい。「ああ、おまえ窓から逃げたもんな」と納得している。
「自己紹介がまだでしたね。セルジュ・ヴァレリーと申します。第一騎士団所属です」
「えっ」
握手しながら、アンリエットは驚いて声をあげた。
(だ、第一騎士団って……すっごいエリートじゃない!)
少数精鋭の第一騎士団は、騎士たちの憧れだ。他の騎士団と違って人数はかなり限られていて、任務は多岐にわたるので一芸に秀でていても役に立たない。
(し、失礼だけど、そこまで強そうには見えなかったのに……)
先日、確かに鍛えている人なのだなという印象はあったものの、アンリエットは筋肉ダルマに見慣れているせいで、セルジュの身体の細さは少し心配になるほどだ。知らず知らずのうちにアンリエットには強さ=筋肉という図式が埋め込まれている。
「ベルナデット王女の親衛隊の方だったんですね」
「あ、はい」
アンリエットの所属は一目でわかる。騎士団の制服に、ベルナデット王女の紋章である白百合のブローチを胸につけているからだ。親衛隊はこうして主の紋章をつけている。
国王ならばこの王国の王花である赤い薔薇を。王妃や王子王女は国王が決める習わしだが、今の王妃は白木蓮だったはずだ。
もとより女性の騎士は王妃王女の護衛であることが多く、精鋭部隊である第一騎士団や王都の治安を守る第二騎士団や第三騎士団に所属する者は多くない。
「ベルナデット王女におかれましては、ご婚約おめでとうございます」
ここ最近は、会う度に人にそう言われるのでアンリエットも苦笑する他ない。
「……ありがとうございます」
めでたいことだ。もちろんアンリエットもベルナデット王女の婚約は良いことだと思う。
とはいえ、まだ年若い十四歳の王女が祖国を離れ他国に嫁ぐというのは、なんとも可哀想な話でもあった。なんせ立派な政略結婚だ。
(可哀想、なんてベルナデット様にも言えないけどね。……言ったところで、ベルナデット様は怒るでしょうし)
アンリエットが王女の親衛隊を務めるのも残りわずか。
嫁ぎ先に共に行くことはできないし、向こうへの道中も相手先の国であるロンゴリアから精鋭の騎士たちがわざわざ迎えに来てくれるらしい。
それだけロンゴリア王国でもベルナデット王女の輿入れは歓迎されているということだろう。喜ばしい話だ。
「どうかしましたか? 浮かない表情をされてますけど」
表情を曇らせたアンリエットに、セルジュが心配して声をかけてくれる。紳士的な人だ、とアンリエットは胸があたたかくなる。
「腹でも減ってるんじゃないか。アンリはいつもそうだ」
「ひ、人を年がら年中腹ぺこみたいに言わないでくれます!? あたしだってちょっとアンニュイになることだってありますから!」
確かに食い意地ははっているほうだし、何より甘い物に関しては目がないけれど!
何もそんなことを出会ったばかりの異性の前で言わなくてもいいだろう、とアンリエットは顔を真っ赤にして怒った。
「じゃあ限定ケーキはいらないのか?」
「いりますよ! それは慰謝料だって言ってるでしょ!」
それとこれとは話が別だ。もらえるものはもらっておくし、請求するものは忘れず請求するとも。
「でもさぁ……俺も両親からおまえの心配を散々聞かされてるんだよ。耳にタコができるくらいだ。もう十八歳だろ? 結婚はまだいいとしてもそろそろ相手決めたらどうだ?」
「なんでケーキからその話になるんですか!?」
恥ずかしさのあまりにアンリエットは声量を上げた。他人のいるところで話すことではない。
居合わせたのがセルジュのような素敵な人だからなおさら、アンリエットは話題を変えたくて仕方なかった。
「どうしても嫌だっていうなら、自分で相手見つけてこいよ。相手がいれば父さんたちだって見合い話なんて持ってこないだろ?」
「そうだけど……」
まったくその通りなのだが、それが出来たら苦労しない。
貴族も自由恋愛が認められている今、アンリエットに恋人がいたら両親だってあんな騙し討ちはしなかっただろう。
「いっそ嘘でも相手がいるって言えればなぁ……おまえ、恋人のフリをしてくれる男友達くらい、いないのか?」
「兄様、あたしが筋肉魔人が嫌いなの知ってますよね? 知ってますよね? うちの知り合いは皆、筋肉隆々の人ばっかりじゃないですか!」
そしてアンリエットは王女の親衛隊なので、職場も女性だらけだ。忙しいし、休みも少ないし、残念ながら男性と知り合うような機会には恵まれていない。
「筋肉はいいぞ」
ドヤっと鬱陶しい顔で筋肉を讃える兄にアンリエットは頭を抱えた。
「それが暑苦しいって言ってるんですよおおおお!」
「……んんっ」
笑いをこらえるような咳払いに、アンリエットはセルジュの存在を思い出した。いつものノリで兄に噛み付いてしまったが、ここにはセルジュもいたのだ。
「……仲がいいんですね」
「ち、ちが、これはその」
赤の他人にこんなところを見られてしまうとは、とアンリエットは真っ赤になる。
(すっかり兄様のテンションにつられちゃったー!!)
「そうだ、セルジュに協力してもらえばいいんじゃないか?」
「へ?」
突然ディオンが名案だと手を叩くのでアンリエットは訝しげな顔をして兄を睨んだ。
「ほら、この通りセルジュはめちゃくちゃ強いが筋肉はちょい足りないし」
「筋肉は十分にあります。体質的にディオン殿のようにはならないだけで」
まるで貧弱だと言われるのはさすがにセルジュも不本意らしい。すかさず割り込んできた訂正にディオンは笑った。
「……とのことだ。セルジュも恋人はいないだろ?」
トントン拍子で話を進めようとするディオンにアンリエットは青ざめた。
「いやいや兄様何を言ってるか分かってます!? そんなことにセルジュ様を巻き込むわけには……」
「恋人のフリというのはいささか気恥ずかしいですが、友人になるのはまったく構いませんよ」
巻き込むわけにはいかない、と言いかけたアンリエットに重ねてセルジュが微笑んだ。
(うわぁ、心臓に悪いわその顔は!)
綺麗な人に微笑みかけられてときめかないはずがない。正直、セルジュはアンリエットの好みをどストレートについてくるのだ。
「ほら。別におまえが勝手に友人といい感じなんだと親に嘘つくのは問題ないだろ?」
「嘘つくなら別にセルジュ様の協力がなくても……」
もごもごと口籠もるアンリエットにディオンは追い打ちをかける。良くも悪くも猪突猛進、馬鹿正直なアンリエットは嘘をつくのが得意ではない。
「おまえな、嘘をつくにはコツがいるんだ。全部嘘で塗り固めるより、ある程度真実を織り交ぜるのがいい」
「……兄様はそうやって嘘をついてきたんですね」
どうりで口が上手いわけだ、とアンリエットはため息を吐き出した。
う、とディオンは目をそらす。
「いかがですか、アンリエット嬢。異性を友人にはしない主義でもおありで?」
「いいえ、そんなことは」
「なら、これも何かの縁ですし」
にこ、と微笑みながらセルジュは手を差し出してくる。大きくてたくましい手だった。
「……では、あたしのことはアンリエットか、アンリと。お嬢様扱いは慣れていないんです」
本当は、アンリエットという名前も少し苦手なのだ。いかにも可愛らしいお嬢様といった名前で。もっとわかりやすく男勝りな名前にしてくれればよかったのに、と幼い頃は両親を恨んだ。
「それならば俺のこともセルジュと」
「いやいや! さすがにそれは! 誤解をされるかもしれませんし!」
精鋭を揃えた第一騎士団に所属しているようなセルジュを気安く呼び捨てになどできるはずがない。そうでなくても、突然お互い呼び捨てになんてしていたら邪推されても文句は言えない。
「友人でも?」
不服そうなセルジュが少し拗ねたような口調で言う。その仕草にきゅんと高鳴る胸を鎮めながら、アンリエットは極めて普通に答えた。
「親しき仲にも礼儀ありっていうじゃありませんか」
「なるほど?」
くすり、と笑みを零し、セルジュはひとまず納得したらしい。
セルジュは懐中時計を取り出すと「もうこんな時間なんですね」と名残惜しそうに告げる。時計の針は昼の休憩がそろそろ終わることを知らせていた。
「残念ですが、今日はここまでですね。今度ぜひゆっくりと話しましょう、アンリエット」
微笑む姿はまさに天使のようにうつくしく。
アンリエットは思わず見惚れながら何も考えずに頷いてしまった。
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