アンリエット・ファビウスの訳アリお見合い事情

青柳朔

その1:逃げるが勝ち

 父は騎士。兄も騎士。

 先祖代々騎士をやってきたファビウス家において、その娘が騎士をやることは何一つおかしいことではなかった。

 このエヴラール王国には古くから女性の騎士が存在する。建国した初代国王の正妃が騎士で、建国の際も傍らで支えていたとされるくらいだ。今でもエヴラール王国では女性王族の警護には女性の騎士がかなり重宝されている。

 だから、ファビウス家のたった一人の娘であるアンリエット・ファビウスも例に漏れず、第二王女の親衛隊を務めていた。


 今日はそんなアンリエットの、貴重な休日。いつもなら騎士団の宿舎でのんびりと過ごしたり、買い物に出かけたりと休みを満喫しているはずなのだが、アンリエットは珍しく華やかなドレスを着て、実家である屋敷に連れ戻されていた。

 何の為に?

 それはそう――お見合いのために。

 アンリエットは先日十八歳になったばかりだ。由緒正しい貴族のご令嬢ならば婚約者がいておかしくない年齢だが、騎士として働き始めてまだ一年半ほどしか経っていないアンリエットにはまったく、これっぽっちも興味のない話だった。

 まだまだ仕事が楽しいこの時期に、何が悲しくてお見合いなんてものに時間を費やさなくてはならないのか!

「今日は一日宿舎の自分の部屋で寝て過ごそうと思ったのに! 久々の休みだったのに! 兄様あにさまの限定ケーキを奢ってくれるなんて言葉を信じなければ良かった!」

 ドレスを強く握りしめながらアンリエットは叫んだ。白に近い薄いブルーのドレスはアンリエットには少し甘すぎる。と、本人は思っているので気分はより塞いでいく。似合わない服を着せられることほど苦痛なことはない。

(そりゃ、いずれは結婚しなきゃいけないと思ってるし、今はちょうどいい機会なのかもしれないけど……)

 アンリエットが仕えるベルナデット王女が隣国ロンゴリアへ嫁ぐ日取りも決まり、アンリエットの次の配属先は空白のまま。それならばと両親が結婚話を持ってきたのは、あまり不思議な話ではなかった。

 だからといって。


「筋肉隆々の男が好きだなんてひとっことも言ってなーい!!」


 恋愛ごとに興味の欠片も示さない娘に、両親は強硬手段に出た。騙し討ちだった。

 兄を使って実家に呼び、人気店新作の限定ケーキと浮かれるアンリエットを捕獲すると瞬く間にドレスに着替えさせて、呆然とするアンリエットにしっかり化粧まで施した。

 これは一体どういうつもりだと両親に食ってかかると、二人は「会わせたい人がいるんだ」とにこにこと楽しげに言い放ったのだ。

『大丈夫よ、とっても強くて素敵な方だからあなたも気に入るわアンリ』

『そうだな、とても将来有望な青年だ。いい話だぞ』

 たいへん上機嫌で両親は写真を見せてきたが、アンリエットは頑なに見合い相手の顔を確かめなかった。

 あの筋肉馬鹿の両親が認める男なんて、筋肉ダルマに違いない! そうでないわけがないのだ!

「あたしはどちらかというと細身で中性的な人が好きなのに……! うちじゃまったく理解されない! じじ様も父様も兄様も筋肉! もう筋肉なんて見飽きてるのよ!!」

 アンリエットは過去にも両親から騙されてお見合いしたことがあった。それはまだ記憶にも新しい半年ほど前の話だ。

 その時はアンリエットも素直に写真を見た。顔がアップになっている写真を疑うこともなく、写真の中で笑っているのは人懐こそうな、なかなか好青年で、アンリエットもわりと乗り気だった。

 しかしお見合い当日。

 アンリエットの前に現れたのは、筋肉の壁だった。

 つまり、写真では見えなかった首から下はびっくりするほど鍛え上げられていて、かつ背が高かったのでアンリエットの目線には、服を着ても隠し切れないほどのたくましい胸筋しか目に入らなかった。

 アンリエットはその場で気絶して、結局そのお見合い話は流れていった。会って一秒で気を失ってしまったのだから仕方ない。

「今度はもう騙されない! あの親が見つけてきたお見合い相手になんて絶対に会うもんですか!」

 そもそも、アンリエットはまだ騎士を辞める気はない。このままでは遠くない未来に無職確定なのだが、その前にどうにか次の配属先を決めてみせる。

 残念なことに他の王女の親衛隊には空きがないが、下っ端でもいいから第二、あるいは第三騎士団の一員として働くことができたら、と思っていた。

 女性の騎士が多いために、結婚退職もごく当たり前に受け入れられている。女性の既婚者が騎士を続けているというのは珍しく、結婚とはつまり騎士を辞めることを意味していた。建国の母が国王との結婚ののちはすっぱりと騎士を辞めて、正妃としての務めをしっかりと果たしていたことも要因のひとつだろう。

 女性騎士は結婚が決まればすぐ辞める。エヴラール王国ではそういう考えが主流で、近頃では女性騎士たちを侮る男も少なくはない。

 アンリエットは部屋の壁掛け時計を見た。アンリエットが騒いでいるうちに半刻ほどが経っていた。見合い相手はもうすぐやってくるらしい。いや、もしかしたらもう到着してしまったかもしれない。

 お見合いが始まれば最後、どんどん外堀を埋められて気づけば結婚式の日取りだって決められてしまうかもしれない。そんなのはごめんだ。

「こんなときは……逃げるに限る!」

 幸い、慣れた実家ともなれば脱出経路はいくつも頭に浮かぶ。両親はもちろん、グルになっている兄からも使用人からも見つからず、アンリエットは最短ルートで逃げなければならない。

 ならば方法は簡単だ。

 アンリエットは窓を開けると、ドレスをたくしあげて窓枠に足をかけた。機動力を考えればこんなドレスは脱ぎたいけれど、動きやすい服はすべて隠されてしまったし時間もない。

 アンリエットの部屋は二階の端だ。すぐ下は庭で、植木や芝生もあるし、そばの木に飛び移れば身軽なアンリエットは比較的安全に外に出られる。

 ぽん、と窓枠を軽快に蹴り、手を伸ばして木の枝を掴む。

 そのまま木の枝にぶら下がって勢いを弱めようとしていると、着地地点に人影を見つけてアンリエットは青ざめた。

 飛び移ったときの勢いはそう簡単に殺せない。しかもその人はアンリエットの存在に気づいていないようでとても無防備だ。このままでは受け身もとれない。


「あ、危ないよけてーーーー!!」


 悲鳴まじりの叫び声に、その人は顔を上げる。紫水晶みたいな目が、アンリエットをとらえた。

 ぶつかる、とアンリエットは目をぎゅっと閉じた。案の定ぶつかって地面に倒れる衝撃がやってきて、けれど思ったよりも痛みがないことにアンリエットは驚いた。


「……まさか人が降ってくるとは思わなかった」


 低い声が耳に届いて、アンリエットはがばりと身体を起こす。着地地点にいた青年をすっかり下敷きにしていた。おかげでアンリエットには怪我がない。

「ご、ごめんなさい! 怪我は――」

 慌てて青年の上から飛び退いて、アンリエットはざっと青年の様子を確認する。騎士としての癖のようなものだ。血が出ているような場所はなく、服に土埃がついた程度で痛めたようなところはなさそうだ。

 足元から順に怪我の有無を確認して、そしてアンリエットは最後に顔を見た。そして、思わず息を飲み込んで言葉を失う。

(う……っわぁ……すごい綺麗な男の人……!)

 さらさらの白銀の髪。涼やかで色気のある紫色の瞳。一見細く見えたが、アンリエットと衝突しても無事なのだからそれなりに鍛えられているということだろう。

 綺麗。男の人にこんな言葉を使うのも失礼かもしれないが、それ以外にアンリエットは言葉が浮かばなかった。

(天使様はきっとこんなお姿をしてるんでしょうね……あれ? てことはあたし、もしかして死んだ?)

 痛くなかったのではなく、死んだので痛覚がなくなったのだろうか?


「あれ!? お嬢様!? どこですかお嬢様!? た、たいへんです旦那様ー! お嬢様に逃げられました!」


 屋敷の方から聞こえた使用人の声に、アンリエットは現実に引き戻された。

 使用人の声が聞こえるということは、どうやら死んでいなかったらしい。先程のアンリエットの叫び声で、脱走がバレてしまったのだろう。

 ここで捕まっては意味がない。逃げなければ筋肉ダルマとお見合い、ゆくゆくは結婚なんてことになってしまう!

「け、怪我はないですよね!? 大丈夫ですよね!? あたしはちょっと行かなきゃいけないんで何かあればうちの人間に言ってください! それじゃあ!」

 口早にそう告げると、アンリエットは大急ぎで走って逃げた。ドレスがどれだけ乱れようが汚れようが知ったことではない。もとよりこんな可愛らしいドレスはアンリエットには不要のものだ。


(筋肉ダルマと結婚なんて、絶対絶対ごめんなんだからーーーー!)

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