うみをくぐって

 チョコレートも人もコンクリートも、デロデロに溶けそうな、そんな暑い日が続いていた。

 正直、特別用がなければ外には出たくない。なんならこの暑い中、わざわざ夏季講習受けに行くのも遠慮したい。

 そんな私が、クローゼットの中身をひっくり返してまで着る服を考えてるのは……特別な用事が、あるからだった。

 今日、私は真澄とデートをする。


「あっつ……」


 玄関を出るなり、太陽の熱が外にいる気力を根こそぎ奪ってくる。これがスーパーへのおつかいだったら、諦めて引き返してるところだ。

 さんざん悩んだのはいいけれど、実際のところ真澄と会う時にオシャレをするのはあんまり張り合いがない、というのが本音だった。あの子、何着てきても「わ、今日もかわいいねらっこちゃん」みたいな反応だし。どちらかといえば服の趣味がいいのは真澄の方で、私は動きやすさを重視するタイプなのもあるけど……自分よりかわいい子にかわいいって言われてもな、とは思う。

 踏切を越えて角を曲がれば、待ち合わせ場所の駅前広場だった。バスを待つ人も人を待つ人も、みんな木陰や屋根の下に避難して太陽から隠れている。

 花柄のワンピースを着た真澄は、大きめのトートバッグを両手でぶら下げて、そわそわと辺りを見回していた。


「真澄」


 小声で呼びかけながら近づく。私の声に反応した真澄はぱあっと笑顔になって、とてとて、とこちらに近づいてきた。それを私はあわてて引き返させる。わざわざ日差しの強い下でおしゃべりとか、真澄がよくても私が無理だった。


「らっこちゃん、今日もかわいいね」

「はいはい、真澄のがかわいいよ」


 ダメだ、溶ける。麦茶のペットボトルをバッグから取り出して、口をつけた。

 体を潤してフタをしめると、真澄と目が合う。もしかして、ずっとこっち見てた?


「……飲む?」

「え、いやいやいや、大丈夫だよ、あの、自分のあるから」


 そんなにあわてることある? そう思いながら真澄が自分のトートから取り出したペットボトルを見ると、中身が半分くらい減っていた。


「え、もしかして結構待ってた?」

「…………今来たとこだよ……?」


 わかりやすいウソをつくな、とは思ったけれど、本人の名誉のために黙っていることにした。

 真澄はこの炎天下で、汗一つかいてないみたいだった。そういう体質なんだよね、という説明をしてきたので、あまり私から聞かないようにはしてるけど……制汗剤がいらないのは、正直かなり羨ましい。たぶん、日焼け止めも使ってないんだろうな。


「で、どこ連れてってくれるの?」

「えへへ……ご案内しまーす」


 スマホで時刻表を確認したらしい真澄が、目当てのバス停へと私をつれていく。いつものショッピングモールなのかと思っていたけど、行先は違うみたいだった。

 楽しそうな真澄の隣で揺られながら、一時間ちょっと。ボタンを押した真澄と一緒に降りたバス停は、水族館前、と名前がついていた。うっすらと見覚えのあるコンクリートの建物は確か、保育園の時に両親と来たような記憶がある。

 それにしても、まあ。


「らっこちゃん?」

「や、ちゃんとデートスポットに連れてきたの、意外だなって」

「え……どこに連れてかれると思ってたの……?」

「……廃墟?」

「もー、らっこちゃん私が怖いのダメなの知ってるでしょ……!」


 マンガならプンスカ、みたいな擬音がつきそうな、かわいらしい怒り方だった。

 真澄をなだめて中に入ると、よく効いた冷房の空気が私たちを包んだ。寒暖差にびっくりしそうな体を空調に慣らして、受付で入場料を支払う。真澄は私の分まで払う気だったらしいけど、私が押し切って割り勘にした。

 夏休みだからか、水族館の中はそれなりに家族連れやカップルで混み合っていた。この辺で涼める場所なんてそんなに候補はないし、当然といえば当然か。


「真澄」

「ふぇ、わっ……」


 勝手にふらふらどっか行ってはぐれないように、私は真澄の手をとった。


「えと……人前だとちょっと、恥ずかしいかも……」

「文句言わない。こないだ店内放送で呼び出されたの、私は忘れてないからね」


 館内の全員に呼び出し聞かれる方が、よっぽど恥ずかしい。

 そもそも真澄は勝手に私の前から消えた前科があるんだから、つなぎ止めておきたいこっちの気持ちもちょっとは分かってほしい。これを言うと真澄は落ち込むし私も根に持ってると思われるのもイヤだから、伝えないようにはしてるけど。

 というか、今更手つなぐくらいで照れるな思春期か。


「真澄がデートに誘ったんだから、ちゃんとエスコートしてよね」

「う、うん……わかった」


 納得したらしい真澄が、手を握り返す。感触を確かめるように、指先でなでて、にぎにぎと。


「あったかいね、らっこちゃんの手」


 ……人前じゃ恥ずかしい、はなんだったの。


「じゃ、行こうか」


 動線に沿って、ふらふらと水槽の間を並んで歩く。

 真澄は水族館に来るのが初めてだったらしく、時々足を止めて興味津々な様子で水槽を見つめていた。

 イラスト付きの手書きで書かれた解説が所々に貼られていて、私がそれを読み上げると真澄は物知りだね、と笑う。物知りなのは私じゃなくて、水族館の人。


「真澄、もしかしてからかってる?」

「そんなことないよ? らっこちゃんの声聞くの、気持ちよくって」

「へえ、そう。水族館まで解説させに、私のこと連れてきたんだ」

「ち、違うくて……!」

「……本気で言ってないから、大声出さないの」


 何人かが真澄の声に反応して、だいぶ気まずい。いや、違うから。別に痴話喧嘩とかじゃないから、どうか魚の方に集中しててほしい。

 いたたまれなくなって、熱帯魚とクラゲの水槽の間を通り抜ける。真澄は見たいらしかったけど、とりあえず今いるお客さんたちがいなくなるまでは距離を置きたい。また回るから、と言ったらしぶしぶ納得してくれたみたいだった。


「ほら、アザラシとか見れるみたいだし、先にそっち行こ」

「……解説……」

「ああもう、わかった、ちゃんと読み上げるってば」

「ふふっ……じゃあ、行こ?」


 ……かなわないな、この子には。

 海獣エリアは、私たちが岩場や水場を見下ろす構造になっていた。ちょうど餌やりの時間だったみたいで、ペンギンがお姉さんから小魚をもらっていた。

 真澄はその様子を見てひとしきりはしゃいだあと、やがて何かを探すようにキョロキョロと周囲を見渡した。お目当てのものが見つからなかったのか、私の方を見つめてくる。


「らっこちゃん、いないね?」


 いや目の前にいるけど。

 喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、どうにか真澄の言いたかったことを理解する。海獣エリアで探すらっこだ、浮かんで貝を叩くアレのことだろう……紛らわしいからそっちをちゃん付けで呼ぶのはやめてほしいけど。

 けれど確かに、この辺りにラッコの展示スペースは無いみたいだった。アザラシとラッコを離して展示する理由も思い浮かばないし、ここにはいないのかもしれない。試しに、「ラッコ 水族館」で検索をしてみた。


「……日本だと、飼育してるとこ五ヶ所ぐらいしかないんだって」

「そっか、じゃあなかなか生で見れないね……残念」

「なに、そんなに見たかったの?」

「えっと……実はね? らっこちゃんって呼んでるけど、本物のラッコって見たことなくって……」


 そんなに気落ちすることなの……とは思ったけど、たぶん真澄の中では大事なことなんだろう。名付け親ですみたいな雰囲気出してるのはどうかと思うけど、それだけ私の愛称のこと、大切に思ってくれてるんだろうし。


「じゃ、来年は二人でラッコ見に行こっか」

「わ、ほんと? ふふ、またらっこちゃんと行く予定増えちゃった」

「え、あれ、そんな予定入れてたっけ?」

「入ってるよ。登山でしょ、バーベキューに、スカイツリー、あとらっこちゃんの家にお泊りと……」


 軽率に、軽口で。真澄相手に、口約束で来年の予定を決めることが増えた……そんな自覚はあった。来年私がどうなってるかなんてわからないし、そんなに旅行の計画立てたってお金を用意できるわけでもない。

 だから、これは……来年の夏もちゃんと真澄と会えますようにという、おまじないみたいなものだった。


 ◆


 お昼には遅すぎる時間だからか、館内のカフェには並ばず座ることができた。醤油ラーメンと讃岐うどんがテーブルに運ばれてくると、真澄がそれを私も映るようにスマホで撮影する。別にどっかにアップしてるとかではないらしいけど、今年に入ってから真澄はよく私を撮るようになった。まあ、真澄のことだから悪用することはないと思う。ツーショとかも撮るし。

 早々にうどんを食べ終えた真澄は、露骨にそわそわしながら私が食べ終わるのを待っていた。いや、本人はそれを隠しているつもりらしかったけど、どうも麺がのびないよう話を切り出すのをまっているみたいで。

 なるほど、と思いながらも、それほど食べるのが早くない私はちまちまと麺を食べ進めた。味はまあ、そこそこ。最後に残してた味玉を飲み込んで、グラスの水を一口。

 さて、と顔を上げると、真澄は意を決したように切り出した。


「ここでらっこちゃんに問題です。今日は何の日でしょーか!」

「急だなあ」


 話の流れも何もないけど、それも真澄らしいなと思う。

 今日が何の日か。デートに誘われたその日に思い出してたけど、なんなら今日日が変わってからクラスメート数人からメッセージで祝ってもらったけど、私は気づいてないふりをした。


「なんだっけ。ラムネの日とか?」

「ら……ラムネの日、かどうかはわからないけどっ」


 それはそうだろう。私だってそんな日があるのか知らないし。


「正解はー……らっこちゃんの誕生日でした、ぱちぱちー」


 私だけに聞こえるような小さな声でそう言って、真澄は音の鳴らないよう手を叩く。


「お誕生日おめでとう、らっこちゃん」

「ん、ありがと」


 お祝いしてくれるのはわかってたけど、こうして実際に好きな子におめでとうって言われるのは、やっぱりうれしかった。胸の奥の方がなんだかむず痒い。


「実はね、今日はらっこちゃんにプレゼントを用意してるんだ」


 祝ってもらう側の私より楽しそうな顔で、真澄は自分のトートバッグを膝の上に置く。


「すっごくかわいくてね、らっこちゃんに、絶対似合うと……思って……」


 バッグの中をのぞき込んだ真澄は固まって、きょとんとした顔になって、バッグの中に腕を入れる。そうして今度は、明日には世界が滅ぶんじゃないかって顔になった。


「そんな……なんで……」


 真澄の表情がころころと変わっていく。助け舟を出してもよかったけど、やらかしたのは事実だしもう少し見てたくなった。


「そっかあ。実は結構楽しみにしてたのにな、真澄からのプレゼントは無しか」

「え……ぁ……」


 うん、やりすぎた。五分後に私が死ぬみたいな顔でこっちを見つめる真澄の瞳は、潤んでしまっていた。


「ごめんごめん、大丈夫だって気にしてないから。どうせ絶対忘れないようにって玄関に別で置いて、出る時そのまま置きっぱなしとかでしょ。真澄今日、お茶とサイフ以外バッグから出してないし」

「……怒ってない?」

「心配性だな……そりゃ、せっかくサプライズするなら成功してほしかったけど。真澄が私の誕生日に水族館連れてってくれただけでこんなに嬉しいんだもん、怒んないよ」


 だから、私の前でそんなに思いつめた顔をするのはやめてほしい。

 どうしたって、こっちは……思い出してしまうんだから。


「また今度会った時、渡してよ。なんだったら、学校でもいいし」

「で、でも……らっこちゃんの誕生日は今日だけだし……何もしないのは……」


 さて、どうしようかな。こうなった時の真澄は、私から何か「おしおき」をしないとぐるぐるループしてしまうし。本当に怒ってないんだけど、私が真澄に似たようなことしたら真澄が許しても凹むのはわかるし、難しい。


「そうだなあ……あ。じゃあ真澄、帰るまで私のこと下の名前で読んでよ」

「えっ……名前で……!?」


 うん、いい感じじゃないだろうか。罰としてはそんな重くないし、真澄が恥ずかしがってるってことは罰ゲームとしてちゃんと成立してるし。

 そうと決まれば、静かなカフェよりは多少混み合った水槽の前の方がいいだろう。慌てた様子の真澄をつれて会計を済ませて、展示コーナーへと戻る。


「ほ、本当に……ここで言うの……?」

「別に、真澄がバスの中の方がいいならそれでもいいけど」


 どっちがいいか考えて、館内の方を選んだらしい真澄は、通路の端で立ち止まる。一面ガラスの大水槽の前ではちびっこたちがはしゃいでいて、真澄の声が悪目立ちすることもないだろう。手を握って水槽を見ながら、隣に立つ真澄が呼んでくれるのを待っていた。


「こ……ことか……ちゃん……すきです」


 ……ダメだ、なんかくすぐったい。っていうか待って、なんで今ついでで愛を囁かれたの。


「あー、えっと、うん。やっぱいつも通りでいいや」

「えぇ!? せっかく言ったのに……」

「いや、うれしいのはうれしかったけどさ。ごめん、これ私の方が恥ずかしくてダメだ」


 なんか、頭の中がぞわぞわする。嫌じゃないんだけど、耳にそっと息吹きかけられたような、そんな感じ。


「けど、それじゃお詫びにならないよ……?」

「うーん……そう言われてもなあ……」


 実際、そんな気にしてないし。


「夏休みの間に、また二人でどっか行こうよ。それまでに、何か考えとくからさ」


 そうして私は、珍しく自分から、今年の夏の予定を口にした。


「花火大会とかさ。去年は大雨で中止なっちゃったけど、今年も降らなきゃやるみたいだし」

「……うん。行こうね、らっこちゃん」


 うん。花火大会くらいなら、いいだろう。

 高校最後の夏。それはわかってるけれど、それでも……あれこれと真澄との予定を詰め込みすぎるのは、嫌だった。

 ……来年以降の分まで、無理して必死で思い出作りをしてるみたいで。来年だってその次の夏だって絶対に会いに来るのに、この夏が終われば疎遠になっていくんだって心のどこかで思ってしまっているようで……それを、否定したかった。


 ◆


 出口へと向かうルートは、水槽を半円にくり抜いたようなトンネルになっていた。自分の頭の上を魚が泳いでいるのは、なんだか不思議な感じ。

 アーチ型の水槽を、二人で手を繋いで通る。トンネルの途中で見上げた景色は、まるで水底から空を見上げるようで。

 気づけば真澄の代わりに私が、足を止めてしまっていた。


「……らっこちゃん?」

「んーん。なんでもない」


 そう、なんでもないのだ。

 あの星の降る夜を思い出してしまったことも。これが真澄に攫われた先で見る光景なのかな、なんて感傷も。

 全部真澄が知る必要のない、くだらないことだった。

 真澄の手を強く握る。真澄が私の手のひらを握り返してくれる。

 幻想的な空間の中で、真澄の体温は確かに本物だと思えた。

 何よりも安心する、誕生日プレゼントだった。

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