chapter2.高校最後の夏が来て
そしてまた、なつ
いくらエアコンがフル稼働だって言ったって、真夏の体育館に全校生徒が集まったら、暑いものは暑い。
例年通り、三回戦で敗退した野球部の健闘を称える校長先生の話。続く生徒指導の先生のそれはそれは長い話を、私は体育座りでぼんやりと聞いていた。
一学期の終業式。これを数年前は外でやってたとか、体育館にはエアコンがなかったとか、ちょっとゾッとする。
「あっ……つ……」
「毎年同じ話なんだから、参加すんの一年だけでいいよなあ」
「そう言うなよ、吹奏楽部以外は高校最後の夏終わるんだから」
「いいよな、野球部ばっかさ」
駄弁りながらようやく戻ってきた教室の中は、日光で温められてサウナみたいになっていた。窓際の席の子が、あわててカーテンを閉める。焼け石に水だけど、そのままよりはマシだろう。
いったい誰だ、今年は冷夏になるでしょうとか言ってたのは。そりゃまあ、おとといぐらいまでは雨ばっかりで涼しかったけど。
「あーあ、受験かあ……」
誰かが呟いたその言葉に、みんな妙にしんみりしてしまう。もちろん、夏休みも文化祭もまだ残っているけれど……この教室でこうして過ごす時間は、もうあんまり長くはないんだ。
梅雨も、そろそろ明けてしまうらしい。今日は今年初の真夏日になるって、朝お天気お姉さんが言ってたっけ。
「おらお前ら席座れー。ホームルーム、まだ残ってんだからな」
カーテンの隙間から、まぶしい光が差し込む。光の帯の向こうで、五十嵐真澄は……担任が垂れ流すさっきの生活指導と似たような話をBGMに、空を見上げていた。
雨の季節が終わり、また夏が来る。
星の降る夜、彼女とファーストキスをした、夏が。
◆ ◆ ◆
この夏が、来年の君たちを左右する……とかなんとかが、今年の教師陣のスローガンらしい。当然生徒である私たちも、夏休みだからって去年までほど浮かれ気分ではいられない。
最後に配られた夏期講習の日程表を見て、各々憂鬱な気持ちを抱きながら、でもなんだかんだ夏の予定を立てながら、教室を出ていく。ほとんどのクラスメートとは、休み中ここで何度も会うことになるんだろう……と思うと、夏休みってなんだっけ、みたいな考えが頭をよぎる。いやまあ、去年は去年で休み中は部活で学校に来てたんだけど。
「らっ……篠原さん、帰ろ?」
「ん、そだね」
真澄は……大学に進学しないこともあり、三年になってもその「ふんわり」とした空気はそのままだった。
私としては別に、今更妙に取り繕って名字で呼ぼうとしなくたっていいんだけど……学校の中ではどうしても、あだ名で呼ぶのは気が引けるらしい。らっこちゃん、って呼ばれるの、結構気に入ってるんだけどな。
「あのね、篠原さん」
「んー?」
昇降口でローファーに履き替えながら、真澄は話しかけてくる。つま先をとんとんと軽く床に当てて、先に外に出たのは私の方だった。日差しが強い。もう少ししたら、セミも鳴き始めるんだろう。
「来週の土曜日って、ひま?」
「うん? えーっと……特に予定はない、かな」
その次の週は荒木さんたちにプールに誘われてるけど、来週はこれという予定は今のところなかったはずだ。
どっか行く? と私が口を開く前に、真澄はとてとてと小走りで校門を通り抜けた。そのまま横断歩道を渡った彼女が止まったのは、公園の木陰に入ったところだった。涼む人の姿もなく、生温かい風だけが辺りを通っていく。
たっぷり一分ほどそこで俯いたあと、真澄はようやく、意を決したように切り出した。
「らっこちゃん。私と、デートしませんか」
「……や、別にいいけど。何? 急に改まって」
「え? え、っと……その、なんとなく……?」
何の疑問形だ。
そもそも、デートっぽいもの自体はこれまでだって結構してる。カラオケとか、映画とか、ショッピングモールとか……ただ、そういう時はだいたい私から誘うか、真澄からにしても「行きたいお店がある」ぐらいで、わざわざ「デート」なんて表現をしたことはない、と思う。傍から見ればれっきとしたデートだっただろうし、なんでわざわざ今更……
「なーんかさ……真澄、隠しごとしてるでしょ?」
「えぇ、え、そ……そんなことないよぉ……?」
わかりやすすぎる。
「私が怒るようなこと?」
「らっこちゃんは、怒らない……と思う」
「……私が悲しむこと?」
「そ、それはない、よ……たぶん、絶対」
絶対、なんて言い切るときの真澄の言葉は、信頼していいと思ってる。だから本当に、私にとって都合の悪い隠しごとではないんだろう。
「そ。ならいいんだけど」
「いいの?」
「何? 問い詰めて欲しかったの?」
「ううん、そういうわけじゃ、ないけど……」
「……?」
普段からそうと言えばそうなんだけど、いつも以上に歯切れが悪い。けど、まあ、うん。
「真澄が、そこまでして隠したいことなんでしょ? いいよ、言いたくなった時に言ってくれれば」
「うん……ありがと、らっこちゃん」
「いえいえ、どういたしまして」
今はただ……大学に進むまでの間、真澄が隣にいてくれるなら、それで十分すぎるくらいだから。
「それじゃ……土曜日にね、らっこちゃん。また、電話するから」
「うん。次の朝講習がある時は、あんまり夜更かしできないかもだけど」
「えへへ。講習中に居眠りしたら、らっこちゃん怒られちゃうもんね……」
大きく手を振る真澄に手を振り返し、私たちは公園の出口で別れる。真澄は夏期講習に参加しないから、次に会うのは来週の土曜……デートの日になるだろう。
土曜。土曜……か。
「……来週の土曜、って」
気づいてしまった。思い出してしまったけれど、私は忘れている振りをすることにした。そうか、そうだった……去年の今頃はまだ私が真澄を避けていたから、高校に入ってからは初めて、か。
「ふふっ……デート、かぁ……オシャレ、していかなきゃ」
来週の土曜日……私は、十八歳になる。
十八歳最初の日、私は五十嵐真澄とデートをする。
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