また、またあした

 放課後の教室。机を壁に寄せてできたスペースで、私たちはダンボールを広げていた。一部の机は出入口近くに残し、受付用の装飾を施す。

 型紙に合わせて切ったパーツをつなげ、黒いガムテープで貼り合わせていく。ダンボールで作られた、天井近くまで届く大きな半円状のドーム。外面には、イラストの得意な子がそれっぽい塗装をしてくれていた。

 

「おつかれー! ことちゃん、いけそう?」


 会合が終わったみたいで、荒木さんが教室に戻ってきた。大きな紙袋を、重そうにぶら下げている。

 

「うん、青木くんたち設計班のおかげだよ。ぴったり形になってるから、細かい隙間黒テープで塞ぐだけでいいし……投影機は?」

「ばっちり! こないだももちーの家で見てきたけど、すっごいキレイだったよー」

「そっか、よかった……桃子に、お礼言わなきゃだね。荒木さんもいろいろありがと」

「いいっていいって。私は会議とかであんまり触れなかったからさ、ことちゃんがリーダーになってくれて助かったよ」


 必要以上にかさばらないよう、前日までダンボールはブロックごとに分かれた状態で倉庫に保管されていた。倉庫を借りられるよう交渉した、荒木さんの力も大きかった。

 ふう、と額の汗を拭う。文化祭前日。なぜか私を中心に、作業は急ピッチで進んでいた。

 でも、忙しくてよかった、と思う。

 慌ただしい日々のおかげで、私が五十嵐真澄について想う時間は、最小限になっていた。

 彼女が姿を消してから、約二週間。


 ◆ ◆ ◆


 しばらく、会えなくなる。

 真澄のそんな言葉をどんな表情で聞いたのか、思い出せない。

 満月の夜以降、主に私が原因で少しぎこちない状態だっただけに……はっきり言えば、私はそれなりに落ちこんだ。

 

「あっ、えっと、その、ずっとってわけじゃなくてね? 実家に呼ばれて、そっちに行かないといけなくなっちゃって……」

「……戻ってくる?」

「もちろん。それは、絶対に」


 珍しく絶対に、なんて言う真澄を、私はどうにか笑顔を作って送り出した、と思う。真澄も特に、不安そうな顔はしていなかったし。

 真澄が教室から姿を消しても、初めから五十嵐真澄なんて存在しなかったかのように世界は回っていた。

 それは別に比喩とかではなく……真澄の痕跡は、学校には残っていなかった。真澄を毛嫌いしていたグループも、隣の席の男の子も、担任ですらも、真澄が存在しないことに違和感を抱いていない様子だった。

 誰それ?と言われるのが怖くて、私は周囲に真澄のことを聞けなかった。ついこの間まで、確かに私は真澄の手を握っていたのに……アカウントも消えていて、この上学校の全員からノーを突きつけられたら、私自身も真澄の実在を疑ってしまいそうで。

 ホームルームで、文化祭の出し物についての学級会が開かれたのは。自販機のラインナップがアイスコーヒーからホットのほうじ茶なんかに移り変わっていく、そんな時期のことだった。

 

「……というわけで、みんな忘れてたかもしれないけど、うちは今年プラネタリウムをやるんですー」

「誰の提案だっけ?」

「あれ、誰が言い出したんだっけ、石川?」

「いや俺じゃねえよ、いいじゃんとは言ったかもだけどさあ」


 ……プラネタリウムを推したのが誰なのかを、おそらく私だけが覚えていた。

 

「あのね、誰が言い出したかとかは問題じゃーないの。実行委員会の認可は降りちゃってるから、あたしらはやんなきゃならんの!」


 暗幕を窓につけて機械を真ん中に置いて……でお手軽にできるんだろうと思っていたけど、そう簡単な話ではないらしかった。教室でできるプラネタリウムについて調べてきた荒木さんの説明に、喫茶店やお化け屋敷よりもオリジナリティを出せる、と乗り気だったグループもトーンダウンしてしまっていた。

 

「えーと……私、まとめ役やろうか?」


 私がそう提案したのは、だから、義憤……というか。真澄の提案を無駄にしたくない、という思いが強かった。

 実際、特に誰かから反対意見が出ることもなく。消極的な理由でプラネタリウムになった出し物の製作は、消極的に割と暇な私と実行委員の荒木さんが中心になることになった。

 どこかの研究所のホームページを参考にして、数学得意な子たちがドームの設計図を書いてくれた。ダンボールを各地のスーパーから集め、パーツを作成する。桃子がプラネタリウム本体を持っている、ということで、それを借りることで予算はかなり抑えることができた。

 部活の秋季大会が近い子たち以外で、参加したのはだいたいクラスの半数くらい。その他は「プラネタリウムなら文化祭中遊べる」という理由で反対しなかったような面子なので、最初からあてにはしていない。

 ドームは思っていたより大きくできた。放送部の秋吉さんにナレーションを録音してもらい、外の喧騒が聞こえないようにする。

 いろんな人に、いろんなお願いをして。この一週間は、忙しい毎日が続いた。真澄のこと、進路のこと……難しいことは、考えなくていいくらいに。


   ◆ ◆ ◆


 土日二日間の文化祭は、盛況のうちに終わった。

 プラネタリウムなんてこの辺りにはない珍しさもあって、星を見るのが好きな方とか、カップルとか、うちの生徒以外にも結構人気だった。

 

「じゃあ、明日は十時に集合で! ドーム片付けたら、そのままファミレスでお疲れ様会! よろしくねー!」


 荒木さんが音頭を取って、明日以降の話をして、今日は解散になった。

 秋晴れの夕焼け空。祭りのあとの余韻の匂い。

 各々帰っていくみんなに「また明日」と言って、私は一人教室に残った。自分たちで作ったドームに入り、プラネタリウムの電源をつける。カシオペア、アンドロメダ……この季節の、星空。

 ドームの壁に置いた椅子ではなく、私は床に直に寝ころんだ。

 

「あーあ。終わっちゃったな、文化祭」


 私が没頭できるものが、なくなってしまった。

 明日からまた、私は放課後、真澄のことを思い出しながら帰ることになる。いつ戻ってくるのかもわからない、大好きな子のことを。

 真澄はたぶん、星を見るのが好きだった。あの嵐の夜だって、私と星を見ようとしていたんだ。

 教室の床は、少し冷たくて……流星群なんて降るはずもない低い星空の下で、私は目を閉じた。

 真澄の顔が、浮かんだ。


   ◆ ◆ ◆


 怖い夢を見た。

 真っ暗な世界。広大な水面の上に、私は一人でぷかぷか浮いている。

 音のない空間。私を攫いに来たと言った人魚姫は、どこにもいない。名前を呼ぼうとしても、大好きな彼女の名は闇に吸い込まれていった。

 今更、私が後悔したって仕方ないって、本当はずっとわかっていた。あの子を一人にさせたのは私だし、疎遠になってから近づいてくれたのはあの子の方だ。

 また明日、なんて言える毎日は、ずっとそこにあったのに。手に入れてしまった幸せな時間が両手をすり抜けていって、私はもう待つことしかできない。見捨てられたって当然のことを、私は言ってしまった。

 でも……でも、相手が自分を忘れてもいいなんて。思い出があればそれで幸せだなんて、やっぱり私には思えないよ、真澄……!


   ◆ ◆ ◆


「らっこちゃん、らっこちゃん……」


 ぱちり、と目を開ける。暗闇の中、真澄と目が合った。

 

「おはよ、らっこちゃん。もう遅いよ……?」

「ん……」


 真澄の顔を認識して、私はなんだか泣きそうになった。

 

「らっこちゃん……?」


 気がつけば私は、ぎゅっと強く真澄の腕を握っていた。

 

「あ、ごめん……」

「ううん。大丈夫だよ、大丈夫……」


 私に手を握られたまま、真澄は隣に寝ころぶ。


「ただいま、らっこちゃん」

「うん……おかえり。思ってたより、早かった」


 もしかしたら、永遠に会えないと思っていたから。


「ホントは、もうちょっと向こうにいなきゃいけなかったんだけどね? 今夜は……十三夜だから」

「……じゅうさん、何?」

「えっ、あれ? らっこちゃん、知らない……?」


 横になったまま慌てる真澄。その姿がおかしくて……ああ、本当に真澄なんだ、って思えた。


「……いなくなったらどうなるかって、ちゃんと説明してよ。っていうか、今度そういうことがある時は私も連れてってよ」

「え……そ、それはだめだよ」

「ダメってことはないでしょ? 真澄本人はいなかったことにできるけど、私は無理とか、そういう話?」

「ううん……そういうのじゃないけど……」


 真澄はドームの天井を見上げた。きれいな横顔が、星空の明かりでぼんやりと輪郭を結んでいた。


「連れてったららっこちゃん……きっと、浦島太郎さんになっちゃう」

「……そっか」


 それでもいい、とは言わなかった。私が真澄を想うように……私の友人や両親との繋がりが維持されることを、真澄は願っているみたいだったから。


「……初めて見たけど綺麗だね、プラネタリウム。提案してみてよかったなあ」

「うん……桃子が、機械を持ってたんだ」

「小川さん? そうなんだ……ふふ、よかった。そのおかげで、らっこちゃんとこうして二人で見られるんだ」


 つられて、私も天井を見上げる。

 雲ひとつない、満天の星空。ドームの天井に映る星々は、あの夜見たそれよりもずっと近くて……手を伸ばしたら、届いてしまいそうだった。


「星……綺麗だね、真澄」

「本当に……まるで、星空が今にも落ちてきそう……」


 久しぶりに顔を見れたのに。これからずっと、会えなくなるわけじゃないって分かったのに……どうしてこんなに、胸が苦しいんだろう。

 星を見上げたまま、もう一度。ぎゅっと強く、真澄の手を握った。真澄の確かな体温。握り返してくれた熱。言わなきゃいけないこと。


「私ね、東京の大学に行こうと思う」

「……うん」

「やりたいことがさ。なんとなくだけど、見つかった、っぽくて……」


 真澄に依存して、しがみついて……そんな生き方は嫌だった。真澄の隣で、背が低いなりに、同じ景色を見ていたいから。


「また、急に連絡先消えても困るし、定期的に手紙書くよ。夏休みには、星を見に戻って来る。色んなこと向こうで勉強して、大人になって、卒業して。そしたら……」


 星が滲んでいく。きっと、悲しいからじゃなくて……溜まっていた好きって気持ちが、溢れてしまっているんだ。ちょうど、あの夜の真澄みたいに。


「そしたら今度は、私が真澄を攫いに来るよ」

「うん。らっこちゃんのこと、待ってるね。ずっと……ずーっと」


 大切な子の温度。消えてしまってもそれを忘れることのないように、強く強く、私たちはお互いの手を握った。


「おかしいね……プラネタリウムなのに、星の嵐が降ってる」

「変だよね……真澄が、帰ってきたからかな」

「ふふ、今回はなんにもしてないのに……らっこちゃんのおかげ、かな」


 月のない夜空。天井から降る流れ星が、私たちの瞳に落ちて頬を伝っていく。


「先生に見つかったら、怒られちゃうなあ。真澄……一緒に叱られてくれる?」

「うん。だから大丈夫だよ、らっこちゃん」

「そう……? じゃあ、もう少し……こうして……」


 どうか、どうかもう少しだけ、このまま。

 音のない世界で、私たちは二人きり、星の海に浮かんでいた。

 ぷかぷかと、らっこのように。

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