まるいつきのよる。

 天気予報を、確認することが増えた。

 折り畳み傘を、新しく買った。

 雨の日が、前よりも憂鬱になったのは……おそらく、気圧が低いせい、だけではない。


   ◆ ◆ ◆


 記録的な猛暑、と言われていた時期から二週間ちょっとで、ここまで涼しくなるものなのか、と思う。

 あまりに急に気温が下がったものだから、我が家は衣替えが追いつかずに大変だった。エアコンがいらない分電気代が浮くから、と母さんは喜んでいたけれど。

 雑貨屋さんの店頭にはオレンジ色のかぼちゃのオバケが飾られたり、カラフルなチョコレートが売られていたり。来月の話なのに気が早いなあ、と思ったけど、バレンタインチョコだってお正月明けには売っているし、そんなものなのかもしれない。

 ……季節は、あっという間に過ぎ去っていく。あの夏の日の夜からも、気がつけば一ヶ月が経とうとしていた。


「らっこちゃん?」

「ん……なんでもない。ちょっと考えごと」


 こちらの顔を覗き込む真澄に、私は曖昧に答える。真澄は特に追及することもなく、そっかあ、と笑った。

 大丈夫。本当に、なんでもない……はずだ。


「真澄はハロウィン、なんか仮装とかするの?」

「えー……らっこちゃん、コスプレとか興味あるんだ」

「ないよ」


 即答した。


「耳ぐらいなら付けてもいいけど。お菓子もらうような人もいないし、仮装して外出歩いたら絶対目立つでしょ」

「私も別に、誰かに見せる予定とかないよぉ……恥ずかしいし」

「そう? ま、この辺でそんなことするのはよっぽどの物好きか」


 恥ずかしいと言いながら、真澄は頭の中で自分(と、おそらく私)の着せ替えを始めたらしかった。うまいこと話題が逸れてくれたみたいで、少しほっとする。

 

「……こ、コスプレかあ」

「この服止めて、なんかそれっぽいのでも買う?」

「だっ、ダメだよそんなの、せっかくらっこちゃんが選んでくれたのに」

「はいはい。じゃ、レジ行くよ」


 お互いに秋服の会計を済ませ、デパートを出る。

 私は真澄の、真澄は私の服を選んで、それが真澄にはうれしいみたいだった。私も普段は着ないような服を買えたし、真澄をかわいくコーディネートできたし、有意義な時間だったと思う。


「……はぁ、降ってきちゃった」


 駅前のアスファルトには、ところどころ水たまりができていた。急な雨で、傘を持ってない人たちがアーケードの下に避難している。

 停滞した秋雨前線。今日も朝は晴れていたけれど、今は厚い雲が空を覆っている。どんより、とした空気。気圧が低い。

 バッグから折り畳み傘を取り出して、真澄と一緒に中に入った。


「らっこちゃん、雨嫌い?」

「雨が好きって人、なかなかいないでしょ。ジメジメするし服は濡れるし、母さんの機嫌は悪くなるし」


 小さな傘は、密着して歩いても肩が濡れてしまう。買ったばかりの服が汚れてしまわないように、ショッパーを腕に抱えた。

 憂鬱な私とは対照的に、ぴったりとくっつく真澄は、なんだか楽しそうだった。


「私は好きだよ、雨の日。雨が落ちる音もそうだし、湿度の高い空気の匂いも好き。らっこちゃんとも、くっついて歩けるし」

「……そっか」


 そんなことを言われると、私は雨の日は嫌だなんて言えなくなってしまう。

 私が、雨を嫌いになった理由。真澄には言えない事情。

 雨の日……特に大雨が降る日は、真澄がまたどこかに消えてしまいそうで怖かった。


   ◆ ◆ ◆


 連休最終日の月曜も、朝から重たい雲が空にぶら下がっていた。

 宿題を片付けるために訪れた、市内の図書館。静かな空気の中、真澄の隣で私は、将来のことを考えていた。


「……真澄はさ」

「うん?」

「大学、どこ行くか決めてるの?」


 真澄のきれいな目が、じっと私を見つめる。


「……私は、進学はしないかなあ。ほら、家業を継がなきゃいけないし」


 ほら、と言われても、私は真澄の家のお仕事を知らなかった。神社の関係、だとは思うけど。


「らっこちゃんは、どこに行きたいの?」

「うん……ちょっと、考えててさ」


 聞く前から、真澄はたぶんここを出ないんだろう、という予感はあった。

 都内の大学には行きたかった。でもそれは、真澄の隣を離れる、ということになる。それがどうしても、私には気がかりだった。


「らっこちゃんの人生だもん。らっこちゃんの行きたいとこに、行った方がいいよ」

「……そっか」


 なんだか、突き放されたような……そんな気がした。


「……らっこちゃん、怒ってる?」

「別に、怒ってないよ」

「嘘。ちょっと嫌だなーって顔してるもん」


 そんな気づいてほしくないことは簡単に気づくのに、どうして。


「私はさ。東京の大学に行きたいの。そのまま、東京で就職するかもしれない。そしたら……真澄とはもう、なかなか会えなくなるかもしれないの」


 ここが図書館でよかった。ほかの場所だったら、声を張り上げてしまっていたかもしれない。


「私は……真澄を、引き留めたからさ。真澄が一緒がいいって言うなら、ここに残ろうかなって思ってた」


 一緒がいいって、言ってほしかった。


「わ、私は、大丈夫だよ? 一生会えなくなるってわけじゃ、ないし。らっこちゃんのしたいようにするのが、一番……」

「私のこと、連れて行こうとしたのに?」

「……それ、は」


 真澄の顔色が曇る。言い過ぎたのはわかっていた。きっと、全部私が悪い。真澄には、笑っていてほしかった、のに。

 

「……ごめん。今日はもう、帰るね」

「あっ、らっこちゃん……!」


 図書館を早足で出る私の後ろを、真澄は追いかけてきた。止まった時に何て言われるのかが怖くて、私は足を止めなかった。


「らっこちゃんっ、あのねっ……!」


 真澄は叫ぶ。私は歩き続ける。


「私は……らっこちゃんが好きって言ってくれた、それだけで……らっこちゃんが、私を忘れたっていいの!」


 点滅する青信号。私は、横断歩道を走った。


「私がらっこちゃんのことを覚えていられる、私を好きでいてくれた人がいる、それだけで幸せだって思えるから……!」


 私は、何も答えられなかった。

 曇り空の下。逃げ去る私の頬に、水滴が落ちていた。


   ◆ ◆ ◆

 

 食事もそこそこに、私はベッドに転がっていた。

 真澄から投げかけられた言葉が、頭の中をぐるぐると回っている。いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、落ち着かない。

 私は、どうしたらいいんだろう。

 私は、どうしたいんだろう。

 ……なんてことだ。誰かを好きになることが、こんなに苦しいなんて。


「……真澄……」


 こんな気持ちになるのなら。あの雨の日、攫ってくれればよかったのに。

 そんなことを思いながら、私の足は窓際に向かっていた。真澄がいるなんてないことはわかっていたけれど、カーテンを開ける。

 厚い雲。その切れ間から、月明かりが見えた。

 思わず、息をのむ。そういえば、今日は十五夜だったのを思い出す。

 丸い月は、とてもきれいだった。

 ……行かなくちゃ。

 ほら見て、月がきれいだよ……そう、真澄に伝えたくなった。

 真夜中に待ち合わせ。大好きなあの子のとこへ、私は駆けていく。

 将来のことはわからない。けれど今はたぶん、それが答えだった。

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