なつをみとりに。
夏休みが明けて、一週間が経った。
二学期が始まったからといって、そんな劇的に夏休み前と教室の雰囲気が変わるわけじゃない。転校した子も転入してきた子もいないし、担任も一緒。
そりゃあまあ、誰かが誰かと付き合い始めたとか、あの子とその子が険悪になったとか、各々で細かい変化はあるだろうけれど……二年三組の教室はおおむね、それまで通りだった。
五十嵐真澄も、窓際の席に座っていた。
「おはよ、五十嵐さん」
「あ……おはようございます、らっ……篠原さん」
私が真澄に話しかけるようになったのも、クラスの雰囲気としては誤差の範囲みたいだった。私がどうこうされるわけでも、彼女の扱いが変わるわけでもなく。
会話が長く続くことはないから、真澄への「美人で無口なちょっと変な子」という一部からの評価は変わっていない。もしかすると私も、あいつらからは「変な奴に話しかけてる変な奴」扱いされてるかもしれないけれど。少なくとも私の友達はそれまで通りに私に接してくれていたし、真澄のことも「少し不思議な雰囲気だけど美人だしいい子」と思ってくれていた。
不思議な子、という表現を、私は否定できない。
真澄がただの変な子ではないことを、私だけは知っていた。
◆ ◆ ◆
放課後、部活を終えた私は校門を出る。
横断歩道を渡った先の公園。夕日が差し込むベンチに腰掛け、彼女は空を見上げていた。
「おまたせ」
「ううん。お疲れさま、らっこちゃん」
「……じゃ、行こっか」
学校ではあまり話したがらない真澄を見上げて半ば強引に誘い、一緒に帰るようになったのは、まあ、当然と言えば当然の流れだった。とはいえ、なんというか、こう……どうにもぎこちない空気は二人の間に流れていて、それほど会話は弾んでいない。
あの日、何が起きていたのかを私は聞きそびれているし、私が彼女のことをどう思っているのかも今のところ、ちゃんと伝えられていない。話す内容は今日の授業がどうとか、昨日のドラマがどうだったとか、そういう他愛のない類。
結局、私は臆病者なんだ。真澄がまた隣にいてくれることがうれしくて。だから今の関係を崩したら、真澄が今度こそ私の前から消えてしまうような気がして。言わなきゃ……とは思っているけれど、なかなかそのきっかけが掴めないでいた。真澄は真澄で、避けてはいないけど、なんだか微妙に私と距離を置いてるような雰囲気だし。
「あ、コンビニ寄っていい? 牛乳買ってこいって言われててさ」
「ん、大丈夫」
いつも使うコンビニだから、どこに何があるかは把握していた。まっすぐチルド飲料のコーナーに向かい、牛乳パックをカゴに入れる。
ついでにチョコレートを、私と真澄の二人分。そのままレジに向かおうとして……真澄が、レジ前の一角で固まっているのが見えた。
「……真澄?」
「あ……」
真澄の視線を追うと、半額コーナーというポップの下に雑多な商品が積まれていた。期限の近いクッキー、評判が悪かったカップ麺、そして……季節が変わる前の、シーズン用品。
何を見ていたのかは、すぐに想像がついた。花火セット、定価千五百円。
そういえば、今年は花火大会にも行かなかったな、と思う。
「あのね、ほら、今年は私、夏っぽいこと、あんまりしなかったなあ……って。売れ残りの花火見てたら、なんだか寂しくなっちゃって」
二人で星見たでしょ、とは言わないでおいた。
「買う?」
「えっ、でも」
「私も今年花火してないし。あーでも、場所がないかな……」
確か学校前の公園は、野球サッカーギターその他騒音が出るのは全部ダメだったはずだ。うちのベランダはそんなに広くないし、学校に忍び込むのはもっとまずい。
私が真剣に考え事をしている隣で、真澄はそのきれいな目をぱちぱちとさせたり丸く広げたりしていた。
「えっと、らっこちゃん」
「んー? 二人で出したら一人五百円行かないでしょ? 大丈夫だって、そのぐらいはあるから」
「そ、そうじゃなくてね……買って、どうするの?」
「え?」
ちょっと待って。この話の流れで、いきなり何を言い出すんだ、この子は。
「……真澄と二人で、花火する気だったんだけど」
「あ、あわわわわ……」
もういい、こうなったらヤケだ。場所は後から考えることにして、私はとりあえず、カゴの中に大袋入りの花火を放り込んだ。どんな手を使ってでも、真澄には私と花火を楽しんでもらわなきゃならない。
「ま、待ってらっこちゃんっ」
「待たない。持ち合わせがないなら私が立て替えるから」
「お金はあるからっ……ちがっ……花火する場所なら、いいとこがあります……」
そう言って私の手を握る真澄の顔は、少し赤かった。私も、そうだったかもしれない。
「じゃあ……買ってくるから」
「う、うん……外で待ってるね」
手を離した真澄が、小走りで自動ドアへと駆けていく。温度のなくなった手が寂しくなって、私はそそくさと会計を済ませて真澄を追いかけた。
コンビニから出ると、外気温は空調の効いた室内とあまり変わらないように思えた。レジ前ではおでんが売られていたし、まだまだ最高気温は高いけど、そろそろカーディガンを用意した方がいいのかもしれない。いっそ新調するべきか。
「らっこちゃん、寒い?」
「んーや。涼しいかなとは思うけど、明日も三十度超えるっぽいしね」
スマホで天気予報を確認しながら、私は答える。週末の天気は、快晴。この間のようなことには、ならない、はずだ。
余計にもらったレジ袋を真澄に持たせて、花火セットとライターをそっちに移し替える。
「コンビニでライター買うって、なんだか悪いことしてるみたいだね」
「いや、一緒に花火も買ったし」
さすがに、レジに百円ライターと花火を持っていって、こいつら喫煙するんだなとは思われないだろう。たぶん。
「……まあ、夜中に二人で出歩いて火遊びするのは悪いことかもね」
「ふふっ、らっこちゃんと共犯だ」
バケツや水は、真澄が用意するということだった。待ち合わせ場所と時間を決めて、今日は解散になる。
じゃあね、と言葉を交わしながら、私の胸は高鳴っていた。
歩きながらじゃ、なかなか言えなかったこと……並んで花火をしながらなら、言えるような気がした。
決戦の日は、土曜日。
◆ ◆ ◆
二人だけの花火大会、決行日。
風のない星空の下を、私は待ち合わせ場所へと歩いていた。先に来ていたらしい、花火をぶら下げながら大きく手を振る真澄に、手を振り返し駆け寄る。
「こんばんは、らっこちゃん」
「ん、こんばんは。それで、どこでやるの?」
「ああ、そっか。それじゃあ、案内するね」
おずおずと差し出された手を、私はおっかなびっくり、けれどしっかりと握った。真澄に先導されて、虫が鳴く夜道を歩く。
歩いて、十五分くらいだろうか。静かな雑木林を通ると、急に視界が開け古い鳥居が目に入った。真澄はそのまま、境内へと進んでいった。
「確かに騒音を気にする人はいないっぽいけど……ここ、勝手に火使って大丈夫なの?」
「気にしないでいいよ。ここ、うちの土地だから」
それは初耳だった。そういえば、近所に蛇神を祀ってる神社があるとかいう話を、聞いたことがあるような気がする。
「それじゃ、らっこちゃんと二人の花火大会、開催しまーす」
ぱちぱちと拍手をして、真澄は袋の中から花火を一本取り出す。私が先端に火をつけると、火花のシャワーが砂利の上へと降り注いだ。お互いに、わあ……と声が漏れる。
私も袋から違い種類の花火を取り出して、真澄の持つ花火へと先をつける。お互いの花火がくっついて、私の持つ方も光の花がスパークし始めた。
しんとした神社の中で、火の弾ける音だけが響いていた。雑木林の中は、私と真澄、二人だけの世界みたいだった。
ここでなら、どんな恥ずかしいことも言えるような気がした。
「ねえ、真澄」
「なぁに?」
「大好きだよ」
「ふへぇっ……!?」
暗闇の中、花火に照らされた真澄の表情は、隣にいる私からはよく見えた。
「なんだ、真澄も気づいてないんじゃない」
お互いの花火の火が、同時に消えた。袋の中を漁って、新しい花火に火をつける。光の雨が降り出したそれを、真澄に握らせた。
「だ、だって、私は……らっこちゃんに……」
「いいよ、別にあの日のことは。私は気にしてない。それよりも、真澄が私を置いていなくなったことの方が嫌だった」
取り出した花火を真澄の花火に絡め、火をつける。二つの光が重なって、嵐のように砂利を襲っていた。
「勝手に、ムードもへったくれもないキスしてったんだもん。悲しかったなあ私。どうせなら、あのまま攫ってくれればよかったのに」
「あ、あうぅ……」
真澄は、困ったようにじっと花火を見ていた。私も、一緒に同じ光景を見ている。
「言ったでしょ。私が真澄に気持ち悪いって思うとか、ないって」
「うん……」
「攫わなくたってさ。真澄のそばに、いるから」
「……うん……ありがと、らっこちゃん」
「そうじゃないでしょ」
残った普通の花火……最後の一本を真澄に持たせて、火をつける。それを持った真澄の手を、二度と勝手にいなくならないように、ぎゅっと、強く握った。
「うん。私もね……らっこちゃんが、大好きです」
◆ ◆ ◆
二人で境内にしゃがみこんで、私たちは大袋から線香花火の袋を取り出した。売れ残りの花火セットも、これでおしまい。
「線香花火っていうのはね、夏って季節だとかお祭りムードだとか、そういうのに上げるお線香なんだよね」
と、わかるようなわからないような、何やら詩的なことを呟きながら、真澄は線香花火に火をつけた。
「……夏、終わっちゃうんだなあ」
「そうだね……なんか、あっという間だったね」
火をつけたらあまり動かないのが、長く線香花火を楽しむコツ、らしい。私たちはお互いの体をくっつけあって、膨らんでいく線香花火の先を見つめていた。
「っていうかさ」
「うん?」
「真澄、なんで高校だとあんまり喋んないの?」
「え?」
動揺したのか、ぽとり、と火の玉が落ちた。あぁ……と残念そうなうめき声を上げながら、真澄は次の一本を取り出す。
「だって……らっこちゃん、中学の時笹塚京子が好きって言ってたから……おしとやかー、みたいなのが、好みなのかな……って」
ササヅカキョーコ。頭の中で単語変換して、ああ、そういえば当時そんな女優さんが好きだったな、と思い出す。
雑誌のインタビュー記事を見ながら、かっこいいな……なんて感想を呟いていたような記憶はある。
ある、けれども。
「……ふはっ」
「えっ、なに? あれ、違った?」
「や、違うってのはないけどさ。好きは好きだったけど、アレはほら、どっちかっていうとさ、私がああなりたいなー、みたいな方だし。好みのタイプとか、そういうんじゃないわけ」
そもそも、学校にいる時の真澄は、おしとやかともまた違う雰囲気だろう。あれを笹塚京子っぽいと表現するのは、結構失礼な気すらしてくる。
「ら、らっこちゃん全然タイプ違うじゃん!」
「そんなん、真澄とも違うでしょ……もしかして、ギャル連中から自分がなんて言われてるか気づいてない?」
「えっと……人形さん?」
「……人魚さん」
頭を抱えた。これはひょっとすると、無口キャラで過ごしているのは正解なのかもしれない。あの教室でこんな調子だと、今とは別の意味で浮いてしまいかねない。
「……ま、いいか。私といる時は、こうして普通にいてくれるし」
「ふふっ……らっこちゃんは、らっこちゃんだから」
そのうち、普通に学校でもらっこちゃんで呼ばれそうな気がした。今から、弁明を考えておいた方がいいだろう。私と真澄の二人が、楽しい学校生活を送れるように。
「来年は、花火大会行こうか」
「そうだね……私、らっこちゃんに浴衣着付けてあげるね」
「えー? できるのそんなこと」
「もう、バカにしてえ……こう見えても私、結構すごいんだからね?」
いろいろあった夏が終わる。秋の足音が近づいて、季節は巡り、私たちは大人になる。
来年の夏はきっと、今年より素敵な夏になる。
そんな確信に近い予感を、私たちは今年の夏を看取りながら感じていた。
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