第2話 雨と紫陽花




「着きましたよ。」


 彼女の家が見えて、ほっと息をつくと、そう告げる。足取りが随分と重い様子だったし、時たまふらつく彼女を支えることもあったから、短い距離とはいえ、何とか無事に送り届けられてほっとした。


「ごめんね、送ってもらっちゃって。......良かったら、久しぶりにお茶でもどう?」


「いえ、お気になさらず。早く璃音りのんさんはお風呂に入るなりして、しっかり身体温めてください。」


「うん、ごめん、ありがとう。奏太くんも、風邪引かないようにね。」


「はい、ありがとうございます。」


 お礼と共に軽く会釈をした後、彼女の家から徒歩1分かからない自宅へと帰った。


 傘立てに傘をいれ、ただいまと家族に声をかけた後、真っ直ぐ自室に入る。スポーツバッグを机の前に放ると、そのままベッドに勢い良く横になると、ぼそっと呟く。



「やっぱ、泣いてた理由とか聞くべきだったかな。」


 思わぬ再会に驚いてあまり言葉が出てこなかったのも手伝って、彼女の気持ちを考えてもそっとしておいた方がいいかと思い、敢えて何も触れずに家に送り届けて来たものの、傘もささず、雨の中で濡れながら泣くなんて、余程のことがあったに違いないのだ。


 悶々としながらも、何となしにポケットに入れていた携帯を取り出して開くと、先程わかれた彼女からLINEが入っていた。


"さっきはありがとう。借りたタオルは洗って今度返しに行くね"


 ああ、そう言えばタオルを貸したんだっけ。


 手早く彼女に、どういたしましてと、了解の旨を返信すると、またベッドの上で脱力する。


 これでまた会えるってことが決まったし、もし話したいことがあるなら、その時は璃音さんから切り出してくれるだろう。


「俺からはやっぱり何も言わないのがベターだよな。」


 ナイーブな問題かもしれないし、璃音さんが話したいと思ったなら話してくれたらいいし、そうじゃないなら俺はただ見守っていればいいんだから。目を瞑れば浮かんでくる彼女の痛々しい姿を拭い去るように頭をふると、ベッドから起き上がって、部屋のカーテンを開けた。



 道路を挟んで斜め向かい側にある璃音さんの家。自室の窓からはちょうど彼女の家の庭が見える。色とりどりの紫陽花が雨露に濡れてキラキラと輝くように咲いていた。


 昔、璃音さんも雨に濡れた紫陽花は格別に綺麗だって言ってたな。


 ぼんやりと昔のことを思い出しながら、雨の音に耳を澄ました。





**





 あれは確か、小学校五年生の梅雨時のことだ。俺の両親は共働きをしていることもあっていつも帰りが遅くなりがちで、中学に上がるまでは璃音さんの家に預けられるということがしょっちゅうだったのだが、その日も例外なく彼女の家で過ごしていた。




「見てみて奏太くん、雨が降ってきた!!」


 はしゃいだ様子で、璃音さんは窓のところまで走って行って、ぺたりとその前に座り込む。


「え、また雨。最近、雨多いね。」


 そう返事をしながら、自分も彼女の隣に座って同じように窓の外を覗くと、確かに小雨ではあるが、雨が降り始めていた。


「いいじゃない、私、雨好きだな。雨の音を聴いていると何だか落ち着くし、窓の外を見ているのも好き。」


「こないだ雨降ってた時もそう言ってたよ。ほんと雨好きだね。」


「うん、大好き。あ、ほら、庭の紫陽花も雨露に濡れてとっても綺麗。普段も綺麗だけど、雨の日の紫陽花は格別よ。」



 窓の外を見つめる彼女の瞳はキラキラと輝いていて俺の目にとても綺麗に映った。


 いつも笑顔の明るい彼女ではあるが、雨の日は慈愛に満ちたような優しい笑みを浮かべることが多く、俺はその顔を見るのが好きだった。



「......俺も、雨好きかも。」


 雨の日は、璃音さん凄く幸せそうだから。


「本当?じゃあ、お揃いね!」


 嬉しそうにそう言う彼女がやけに眩しく見えたのを覚えている。所詮この時点での俺は、雨が好きというよりは、雨の日の彼女が好きだったのだが、勿論それは心の内に閉まっておいた。




**



 そんなこともあったな、と懐かしさに思わず、笑みを浮かべる。あの頃の自分は、確かに璃音さんのことが好きだった。


 高校に上がった彼女に恋人が出来るまで、一途に恋い慕い、胸を焦がすような気持ちを彼女に向けていたのだ。



「はー、せっかく遠い昔に無理矢理胸の奥にしまいこんだっていうのに。」




 久しぶりに彼女に再会しただけで、表に出てきそうになるなんて、思ったよりも仕舞い込めていなかったようだ。久しぶりに見た顔が、泣き顔だったというのも大きいだろう。


 あんな顔されちゃ、堪んない。幸せそうにしてたからこそ、潔く身を引いて、淡い初恋を無かったことにしたというのに。



 璃音さんには、ずっと幸せそうに笑ってて欲しいのだ。




 あのキラキラした瞳で、嬉しそうに窓の外の雨を見つめていた時のように。

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