第一話:第四種接近遭遇

宇宙船ノーザンライツ①

 漆黒の宇宙そらに無数の星々が輝いていた。

 地上から見上げるそれとは違って大気に揺らぐことはなく、一つ一つの星にもそれぞれ色や形があるのが分かる。青く輝く若い星もあれば赤くぼんやりと光る年老いた星、洋ナシ型や楕円形、重力レンズで歪んだ扇状の星まで千差万別。一際、星が集まっている場所に目を移せば、チリやガスからなる星間物質が鮮やかな濃淡を生み出し、まるで宝石を散りばめたタペストリーのようだ。

 スバル・エーテルはどこまでも深く広がっている宇宙の闇に吸い込まれてしまいそうな感覚を覚え、視線を前に戻した。顎のライン沿って短く切り揃えたブロンドの髪がその動きに合わせて軽やかに揺れる。

 もっとも、視線を前に向けてはみたものの、彼女が乗る宇宙船の艦橋ブリッジは全体が透明な装甲に覆われているため、上下左右どこを見ても船外の景色が嫌でも目に入ってくる。

 まるで琥珀の中に閉じ込められた虫みたいだと、スバルはため息をついた。ここには壁や天井、床の境目が無く、所狭しと並んだ制御卓はまるで宙に浮かんでいるようだ。主甲板へと続く背後の壁にも船尾側の映像がリアルタイムで表示されており、船外の状況をひと目で見渡せる。

 その合理性と機能美に最初こそ感動したものの、今は宇宙服も命綱も着けずに船外活動EVAをさせられているみたいで、生きた心地がしない。

 もっともそう思っているのはスバルだけのようで、艦橋につめている十名近い乗員クルーは涼しい顔でそれぞれの持ち場に立っていた。


〈――うぷっ! 〝宇宙酔い止め〟もっと飲んでおけばよかった〉


 糊の効いた制服の圧迫感も手伝って、生唾を呑み込んだ。

 この幅襟の白い制服に袖を通したのつい半日ほど前のことで、その時はまさかこんな辺境の岩礁宙域アステロイド・ベルトまでやってくるなんて、夢にも思わなかった。


〈それもこれも、全部あの不審船のせい!〉


 スバルはクマの浮かんだ目で前方を睨みつけた。船首側中央の透明な装甲の一部がモニターになっており、外の景色に重なるように一隻の宇宙船が表示されている。まるで五〇〇ルクス硬貨を潰したような銀色の円盤がゆっくりと回転しながらアステロイドの縁に沿って宇宙を航行しているのが見えた。

 いささか個性的なフォルムをしているとはいえ、安全な宇宙航路を外れた宇宙船など珍しくもない。今や宇宙は何も無い空間などではなく、自家用から軍用まで大小種々様々な宇宙船が流星のごとく星々の間を飛び交う超過密地帯。毎日のようにどこかで難破船や座礁船が発生し、宇宙海賊や密航船団が問題を起こしている。

 スバルはそんな欲望と陰謀の渦状銀河と化した宇宙航路の安全と航行の自由を守る港湾局巡察科に配属されたばかりの新人通信士だった。


〈今頃、同期のみんなは保養惑星で新人歓迎会やってもらってるんだろうな〜〉


 本来ならスバルの初任務も安全な航路をパトロールして本部に定時連絡を入れるだけの簡単なものだった。ところが、港湾局が保有する人工彗星の一つが安全な航路外を航行する所属不明の宇宙船を検知したため、急遽追跡することになったのだ。

 本部の命令を待たずにその英断を下した若き女船長は右舷側前方、一段高く設けられた船長席に深くもたれかかり、長い足を制御卓の上に乗せていた。年齢は最年少のスバルとほとんど変わらないものの、長いブロンドヘアーを頭の後ろでまとめ、純白の制服を隙き無く着こなす姿は実際よりも少し大人びて見える。何より、その不遜な態度には気品すら感じられ、船長と言うよりも玉座に腰掛ける王侯貴族のようだ。

 カノンは王冠の代わりに白い水兵帽を指先でくるくると弄びながら肩越しに振り返った。


「電探、音響、報告を上げて」


 意思の強さがそのまま形を得たかのような声に、乗員が次々にかかとを打ち鳴らして応じる。


「レーダー! 目標の進路、速力共に変化なし。周囲一光分以内に他の船影ありません!」

「ソナー! 当該宙域は静か! 目標に戦闘・逃走の徴候認められず!」


 部下の報告に満足しながらカノンは形の良い顎に手をあてた。


「目標の船種は?」

「依然、不明です。これまでの光跡パターンを星運局と港湾局ウチの二課のデータベースで相互参照しましたが、該当する船舶やクルーズプランは登録されていません。船体に識別コードや指標の類も見当たらないので、おそらく未登録の違法船舶と思われます」

「となると、宇宙海賊か銀河任侠の密輸船か……いえ、もしかしたら敵国の新兵器という可能性もあるわね」


 目を輝かせるカノンに対しスバルがおずおずと手を挙げた。


「あ、あの~もしかしたら開拓時代の船……じゃないでしょうか?」


 その瞬間、ブリッジ中の視線が自分に集まり、スバルは不用意な発言を後悔した。おもわずたじろいだスバルを値踏みするように、碧い瞳を向けるカノン。


「貴女は確か、今日乗船したばかりの……」

「は、はいっ! スバル・エーテル准尉であります!」


 カノンの言葉に弾かれるように背筋を伸ばし、その場で敬礼をするスバル。

 新人乗組員の初々しい反応にブリッジのそこかしこで押し殺した笑い声が漏れた。


港湾局ウチは本物の軍隊じゃないんだから、そんなにかしこまらなくてもいいわよ」

「す、スイマセン……」


 恥ずかしさのあまりスバルの声は今にも消え入りそうだ。


「それでスバル、あの不審船が開拓時代の船っていうのはどういうこと?」


 カノンに促され、スバルは自分の制御卓に不審船の立体映像を映し出した。


「私達の船を含めて現行のほとんどの宇宙船は近くの有人星系や航路上に設置された灯台彗星から照射される推進レーザーを受けて帆船のように推力や動力を得ていますよね?」


 スバルは全員の顔から無言の同意を得られたので、話を続ける。


「でも、この不審船の独特のフォルムには受光のためのソーラーセイルがまるで見当たりません。船殻と思われる部分にはにはかなりの損傷や劣化が見られますし、造船から何十年も経っているのではないでしょうか?」

「つまり、高次光圧推進HPLクラフトが搭載される以前の船だと?」


 カノンの問いにスバルは小さく頷いた。

 今日、宇宙航行が一般的になったのはHPLクラフトの開発によるところが大きい。それまでの宇宙船といえば、大型で複雑な動力炉と船体の大きさに比例した大量の推進剤を必要としていた。しかし外部から半永久的に無尽蔵のエネルギー供給を受けるHPLクラフト搭載船にはそういった制約はなく、安価で小型な宇宙船が日夜、大量生産されている。

 たとえ反社会組織の船といえど、わざわざ莫大なコストと手間暇をかけてまでスタンドアローンの船を作るとは思えなかった。


「でも開拓時代っていえば、二百年以上も前よ? そんなオンボロ船が今まで誰にも見つからず、故障もせず宇宙を漂っていたっていうの?」

「それは確かに……そう、ですけど……」

 

 おもわず語尾が小さくなるスバルを励ますように、白い手がそっと彼女の肩に触れた。


「いえ、彼女が正しいわ」


 驚いて振り返ると、そこに居たのは背の高い細身の女性だった。制服は着ておらず、代わりに裾の長い白衣をまとっている。身につけているものはおろか髪も肌も雪のように白い一方で、すっきりと細い鼻梁の頂きに据えられた瞳の色は鮮やかな紅色で、まるで丹念にカッティングを施された紅玉のようだ。


「私はマグダレーナ・ルーンシュタイン――長いから〝マリナ〟でいいわ。肩書きは一応この船の船医ということになっているけど、どちらかというと科学顧問のような感じね。よろしく、スバル・エーテル准尉」


 スバルが呆けていると、マリナと名乗った女性は右手を差し出した。


「よ、よろしくお願いします……!」


 マリナが自分の名前を知っていたこと以上に、慌てて握った手の冷たさとその細さに驚く。まるで砂糖細工のように滑らかな反面、少し力を込めれば折れてしまいそうだ。

 スバルはすぐに手を引っ込めようとしたが、マリナはなかなかその手を離そうとはしない。


「翻訳アプリなしに七つの惑星言語が話せて、士官学校を首席で卒業だなんて優秀ね。特に貴女の卒論『超対称性通信におけるプライミング圧縮アルゴリズム』……なかなか興味深い着眼点だわ」

「い、いえっ……! 私なんて全然!!」


 不意に鼻先をくすぐった薬品と香水の入り混じった匂いに、スバルの心音は跳ね上がる。上から覗きこんでくるマリナの瞳に映る自分の慌てた顔が紅いのは瞳の色のせいなのか、あるいはそれ以外の理由なのか分からない。


「ねぇ、今度良かったら私のラボに――」

「うぉっほん!! ドクター、今は作戦行動中よ。個人的なブリーフィングは後にしてちょうだい」


 カノンのわざとらしい咳払いがマリナの言葉を遮り、スバルはようやく解放された。一方の博士は少し残念そうに肩をすくめながら、船長席に近づく。


「それで? ドクターもアレは開拓時代の宇宙船だと?」

「ええ、船長。そもそも高次光圧推進HPLクラフトはきちんと整備されて、安全が保障された宇宙航路があってこその代物。一度光達圏外に出てしまえば、あっという間に遭難してしまうわ」

「そういう難破船や座礁船を引き上げるのが、港湾局オレたちの仕事だしな」


 そう付け足したのは、臨検部隊を率いる隊長――リジル・アル=ジャバルだった。浅黒く日に焼けた肌に身長は二メートル近くあり、制服の上からでも分かる分厚い筋肉の鎧と相まって、まるで花崗岩で造られた城壁のようだ。綺麗に剃り上げた頭にまで刻まれた無数の傷が長年任務に従事してきたことを物語っている。


「昔は推進レーザーによる宇宙航路網や超光速ネットワークも無く、星と星の距離が遠いまま、惑星国家もそれぞれ独立存在していた。だがそれでも冒険心と勇気に溢れた先達の船乗りたちは二度と故郷の星には戻れない覚悟で、最後のフロンティアへと飛び立っていったそうだ」


 隊長の話はスバルも宇宙史として学んでいはいるものの、いまいち実感が湧かない。

 宇宙を自由に行き来できるHPLクラフトも、光速を超える超対称性通信も無い状態で、この果てしないフロンティアを旅するとは、どんな気分なんだろうか?

 その疑問の答えをマリナ博士が端的に言い表す。


「開拓時代の宇宙航行は初めから遭難しているようなもの。当然、宇宙船の設計思想に基づいていて、無補給・単艦運用を前提とした食糧プラントや循環システムはもちろん、中には目的の惑星が見つかるまで乗員を人工冬眠コールドスリープ状態にして自動航行する船もあったらしいわ」

「じゃあ、あの船も何十年……いや、下手したら百年近く宇宙空間をさまよっていた可能性もあるということですか?」


 スバルが青ざめると、隊長は傷だらけの顔を不気味に歪めた。


「……ああ、不審船どころかひょっとしたら幽霊船かもしれんぞ? なんせ百年以上も昔のテクノロジーだ。ちゃんと生きて目覚められる保証はないし、ハッチを開けたら死体だらけってパターンもあるかもな?」

「じょ、冗談ですよね? これから向こうに乗り込むかもしれないのに……!」

 

 スバルは船内を徘徊する無数の腐乱死体を想像してしまい、ますます気分が悪くなった。隊長はそんな新人の反応に満足したのか、真面目な表情で船長席を振り仰いだ。


「ああいう未登録の古い船は銀河ヤクザの密輸船や密航船に悪用されてるパターンがほとんどだ。どうする船長キャプテン?」

「ゾンビやエイリアンが怖くて、宇宙船の船長なんてやってられるわけないでしょ! もちろん、停船&臨検!」


 そう言うとカノンは軽やかに椅子から飛び降りた。

 その圧力を感知して足元の床だけが半透明に変化する。それはさながら湖の上に舞い降りた氷の女神のごとく、神々しさすら感じさせながらカノンは声を更に張り上げる。


「灯火管制解除! 巡視船〝ノーザンライツ〟全速前進!!」

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