プロローグ

星降る夜に……


 夏休みの夜、少年はUFOを見た――。


 頭上を星が流れ落ちていく。

 夜半過ぎに南天より降り出した流星群は今や夜空を流れる黄金の大河のようだ。道の両側に生えるスダジイやアカガシ、ヤブツバキからなる雑木林の林冠が夜空を細長く切り取り、その印象をより一層強めていた。

 鬱蒼とした林の中からは虫たちの合唱が途切れることなく聞こえ、世紀の天体ショーに静かなBGMを添えている。


「東京に居る時はすっかり忘れてたけど、星の光だけでもけっこう明るいもんだな」


 本間遥斗ほんまはるとは頭上を見上げながらおもわずため息をついた。大学の夏休みを期に久しぶりに訪れた故郷の空は高層ビルに遮られ、ネオンに霞んだ都会の夜空とは比べようも無い。


 九州の南西一〇〇キロの海上、東西およそ一五〇キロに渡って大小一四〇あまりの島々がひしめく五島列島は古来より大陸と本州を結ぶ中継地点の一つに位置づけられてきた。古くは平安時代の遣唐使の寄港地としたり、戦国時代に西南海で猛威を振るった倭寇が活動の拠点としたり、辺境にありながら国内外の文化や歴史と密接に関わってきた歴史がある。

 一五六七年には領主の宇久純暁がキリスト教に改宗し、島民にも信徒が増えたが江戸幕府や明治政府による宗教弾圧によって一部が潜伏キリシタンとなり、長い年月を経て神道や仏教と習合した独特の文化や習俗を今日に伝えている。

 遥斗の生まれ故郷も、そんな異文化と手つかずの自然が奇妙に隣り合う島の一つだ。人口一〇〇〇人にも満たないが、まるで上等な硝子工芸のように蒼く澄んだ海にはカクレクマノミやソラスズメダイなどの極彩色の海の生き物の他、潮流によって削られてできた洞窟や奇岩が多数存在し、近年では知る人ぞ知るダイビングスポットとして密かな人気を集めていた。

 そんな名実ともに宝の海を独り占めするように大きく湾曲した岬の突端は切り立った崖になっており、入り江に写り込む町の灯火と水平線まで広がる星空を一望できる。

 もっとも、そこへ至るにはハブが潜む原生林を抜け、岩肌が露出した険しい崖を越えなくてはならない。

 遥斗はクズモチの蔦を両手で掴んだまま、ビーチサンダルの鼻緒にグッと力を込めると最後の大岩に足をかけ、体を持ち上げた。


「ここは昔のまんまだな」


 岬の上は丸く拓けた草原になっており、古い友人を出迎えるように塩味を含んだ風が吹き付ける。遥斗はアロハシャツの下で汗が引いていくのを心地良く感じながら、かつて自分たちが〝秘密基地〟と呼んでいた場所に足を踏み入れた。

 秘密基地と言っても、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』に出てくるような木の上に小屋があるわけでも、空き地に土管が三つ重ねて置いてあるわけでもない。ただ原生林の中にポツンと拓けた草原があるだけだ。

 鉄分を多く含んだ岩石がところどころ地表に露出しているせいで木の根が張らず、ニシノハマカンゾウなどの繁殖力の強い多年草が群生しているため、まるで手入れされた庭園のように見えるのだが、子供の頃の遥斗たちはこの場所をUFOの着陸によってできたミステリー・サークルだと信じていた。


「よくこの場所でUFO観測をしたり、宇宙人の侵略に備えて島のあちこちを探検して回ったっけ」


 そのたびに両親や消防団のいかついオヤジ連中に大目玉をくらったのも、今となっては良い思い出だ。

 懐かしい匂いを肺いっぱいに吸い込みながら草原のベッドに寝転がり、丸い林冠に縁取られた星空を見上げる。

 

「ベガ、デネブ、アルタイル、エルタニン、コルネフォロス……」


 昔のことを思い出したせいか、子供の頃にUFOや宇宙人のオカルト知識と一緒に覚えた天体図が脳裏に浮かぶ。漫然と夜空を見上げながらも、目は自然と星と星を線で結んでアステリズムをなし、英雄や怪物の姿を形作る。その合間を火矢の如く流星が流れ、まるで遠い神話の時代の争いを見ているようだ。


「あれ? あんなところに赤い星なんてあったっけ?」


 自然のプラネタリウムを満喫していた遥斗はふと、視界の端に一際明るい星を見つけた。

 その星は夜の闇に浮かんが鬼火のように紅く、幾百幾千光年の距離を隔ててもなお、星が燃えている様が見て取れるかのようだ。

 けれども、遥斗はこんな星は知らない。サソリ座のアンタレスやケフェウス座のエラキスとも違う。


「あんなに明るいなんて、衛星かなにかか?」


 上体を起こそうとした遥斗の背中を不意に何かが押し上げた。


「この花は、ニシノハマカンゾウか?」


 驚いて振り返ると、黄色い小さな花が今まさに蕾から花開こうとしていた。ユリに似た漏斗状の花弁を持つこの花は、遥斗たち島の人間にとっては見慣れた植物だ。この〝秘密基地〟はもちろん、島内の高原や海岸沿いの岸壁など、いたる所に自生しており島花にもなっている。


〈だけど、この花は昼間にしか咲かないはずじゃ……〉


 それも一輪や二輪ではない。今や草原を埋め尽くすほどのニシノハマカンゾウが夜空に向かって六枚の花弁を広げている。それはさながら地上に現れた星のように美しく、それでいてどこか作り物めいた歪さを漂わせていた。

 遥斗は今さらながら自分が海パンにアロハシャツを羽織っただの薄着であることに気付くと、粟立った両腕を引き寄せた。汗はとうに引いており、無防備な腕や足に海鳴りをともなった潮風が容赦なく吹きつける。

 帰るには良い頃合いだと立ち上がりかけた瞬間、突然の暴風が頭上から襲いかかった。


「クソっ……! なんっ、なんだよ……?!」


 まるで見えない巨人の手で体を押さえつけられているみたいだ。吹き下ろす大気の瀑布が咲いたばかりのニシノハマカンゾウを散らし、アカガシの梢を激しく揺する。

 その場から動くことはおろか立っているのも精一杯の中、頭上を見上げた遥斗はそこに信じられないモノを見た。


〈空飛ぶ……円盤!?〉


 ソレが初めて目撃されたのは四十年代、アメリカでのことだ。

 一九四七年六月二四日、ワシントン州レーニア山近くを飛行していた自家用飛行機のパイロットが、上空二九〇〇メートル付近で一直線に編隊を組みながら高速で飛び去った九機の未確認飛行物体(UFO)を目撃している。後にその飛行士はマスコミに対して「謎の飛行物体は平たく奇妙な形状をしており、ジェットエンジンの音なども聞こえなかったが、まるで水面を跳ねるコーヒー皿のように飛行していた」と証言した。

 この言葉をきっかけに〝空飛ぶ円盤〟という言葉が生まれ、以降アメリカを中心に世界中で未確認飛行物体の目撃例が相次ぎ、一九五二年にはアメリカの作家が写真撮影にも成功している。

 だが、頭上のソレはそのどれとも違っていた。確かにそこに浮かんでいるのだが、プロペラや噴射口はおろか全体が目に見えない。一見すると先ほどと変わらない星空に見えるが、記憶している天体図に比べてわずかに像が歪んでいるのが分かる。まるで巨大なレンズが〝秘密基地〟の上空を塞いでしまったみたいだ。

 ソレは〝秘密基地〟の上空数十メートルに浮遊したまま、ゆっくりと回転しているらしく、輪郭に沿って周囲の林冠が歪んだり、消えたりする。


〈俺は夢を見ているのか……?〉


 あまりにも現実感の乏しい光景に、風が止んでも遥斗はその場を動けずに居た。

 海鳴りが止み、虫の声も絶え、時間が静止したような静寂の中、先に動きを見せたのは〝空飛ぶ円盤〟の方だった。

 突如、何も無い空中に眩い光源が閃き、青白い光が差し込んだ。光の帯はまるでサーチライトのように草原の上を遥斗の方へ這い寄ってくる。


「――っ!」


 本能的に身の危険を感じた遥斗は草の上を転がり、光をかわす。直後、青白い光が咲いたばかりのニシノハマカンゾウを照らし出した。その瞬間、くぐもった音が足元から響き、信じられないことにニシノハマカンゾウが根本から宙に浮かび上がったのだ。そのまま重力に逆らって空を昇っていき、空中のある地点で忽然と消えてしまった。


第四種接近遭遇アブダクション……!?〉


 遥斗は自分で口にしそうになった言葉が信じられず、おもわずツバと一緒に呑み込んだ。

 一九六一年九月一九日、アメリカニューハンプシャー州のハイウェイを走行中の夫婦がUFOを目撃した。上空を光り輝く円形の物体がジグザグに飛行したかと思うと、夫婦が乗る車まで急降下し、車を追いかけてきたのだ。

 ハイウェイをひたすら飛ばし、なんとか振り切ったかに思えたが、その後夫婦は謎の疲労感と悪夢に悩まされることになる。

 その後、催眠療法で判明したのはこの時既に夫婦はUFO内にさらわれており、毛髪や爪など人体の一部を採取され、様々な身体機能を検査された上で、その記憶を抹消されたという事実だった。

 この夫婦に限らず宇宙人による誘拐の体験談やインプラントなどの手術痕が見つかる例は世界中で報告されている。

 宇宙人がなんのために地球人を拉致し、人体実験やインプラントを繰り返しているのかは分からないが、今の遥斗には理由なんてどうだってよかった。相手が本物の宇宙人であろうとなかろうと、大人しく捕まるわけにはいかない。

 遥斗は短い暴言を吐き捨てると、草原を囲む森に向かって一目散に駆け出した。そこへ一本、二本と新たな光が放たれる。今や〝空飛ぶ円盤〟は巨大なクラゲのようだ。透明な胴体から伸びた六本の光の触手が獲物を捕らえようと伸び、そのたびに黄色い花が宙を舞う。遥斗は草原を右に左に転げ回りながら、紙一重で光をよけていた。

 幸い〝秘密基地〟の地形は把握している。草原に露出した岩の一つ一つにも遥斗たちが子供の頃につけた名前があり、中には身を潜めるにはもってこいのものもあった。〝波乗り岩〟と名付けられた子供の背丈ほどもある頁岩の一つに身を隠しながら、遥斗は乱れた息を整える。


〈よし、あともう少し……!〉


 草原の縁は目と鼻の先、一五メートルも無い。陸上部なら三歩で跳べる距離だ。


〈あいにく、俺がやってたのは剣道だけど……〉


 それもこの島に居た頃の話で、素振りも久しく怠っていた。だが、今は己の不精を嘆いている場合ではない。

 遥斗は深く息を吸い込みながらわずかに腰を落とし、両足のつま先に力を込めて大地を掴む。上体は力を抜いたままやや左にひねりつつ、やや浮かせたかかとから頭のてっぺんまで、引き絞られた弓を意識する。ここに得物は無いが体に染み付いた剣の型を一呼吸の内に仕立てる。既に心臓の鼓動は鎮まっており、次の一拍を合図にスタートを切った。

 踏み出した足が草の上とは思えないような音を叩き出し、六本の光が獲物を見つけた蛇のように岩陰に殺到する。しかしそこに遥斗の姿は無く、黒い矢となって舞い上がる花吹雪の合間を駆け抜けていた。


〈あと八メートル……五メートル……!〉


 最初の数メートルは一息に、その後も千切れそうなほど太ももを、ふくらはぎを、全身の筋肉をしならせてひたすら速く前に進む。その軌跡を照らすように光の帯が追いすがるが、しかし触手一本分、遥斗のスピードが勝った。


「うぉおおおお!!」


 遥斗はありったけの力をこめて、最後の三メートルを跳んだ。

 暗く鬱蒼とした木々の陰影が眼前に迫り、おもわず目を閉じようとしたその時、突然白い影が現れた。


「えっ!?」


 トンと、胸を軽く押されたような感覚――。

 たっただそれだけの力に抗うことができず、まるでビデオの逆再生のように遥斗の体は草原に押し戻されたのだった。


「うわぁあ!」


 バランスを失い、仰向けに倒れながら遥斗は衝撃に備える。

 ……しかし、いくら待っても硬い地面が後頭部を打つことは無かった。それどころか、遥斗の体は青白い光に照らされ宙に浮かんでいた。


「しまった!?」


 慌てて振りほどこうとするが光に実体は無く、体だけがその場で無様に宙返りする。おかげでどちらが上で下か分からない。

 体ごとかき回され、遥斗の頭は混乱していた。

 いったい何が起きているのか、これから自分はどうなってしまうのか……。


〈森の中から出てきた人影、あれはいったい……?〉


 様々な情報と想像が錯綜する中、遥斗と花びらが星空へと吸い込まれていく。

 青白い光は引力はおろか気圧の変化すらまったく感じさせず、まるで下から上へ落ちるのが自然の摂理であるかのようだ。〝空飛ぶ円盤〟に近づけば近づくほど、青白い光が視界を埋め尽くしもはや左右の区別すらつかない。

 目蓋を閉じてなお入り込んでくる光に意識も感覚も塗り潰されてしまいそうな中、あの紅い星だけが妖しく輝いていた。


〈いや、違う…! あれは……あの人は!?〉


 その紅い光が星ではなく、森の中から現れた人影の瞳の色だと気付いた直後、遥斗の意識は完全に白く染まった。


  *  *  *


 草原に咲いた星の花を心地良い海風が揺らしていた。

 ここには頭上を遮るビルの影もネオンの光も無く、ただ吸い込まれそうな夜空に星がきらめいている。辺りはしんと静まりかえっており、森の奥から微かに虫のさざめきが聞こえてくるだけだ。

 そんな静寂の中、静寂の雪駄が草を踏む音がいやに大きくこだまし、木陰から白い人影が現れた。星明かりに照らされた緋袴よりもなお赤い、燃えるような髪をなびかせながら巫女は懐かしい匂いが残る〝秘密基地〟の草原に立って星空を見上げる。


「遥斗、お前の頭上に星辰せいしんの導きがありますように……」


 その瞳は炎のように紅く、足元にはなぎ倒されたニシノハマカンゾウが見事な渦巻き模様を描いていた。

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