文学的数学解法

海ぶどう

8月末日

「うがー! 分かんねぇ!」

 多くの学生が憂鬱になるであろう8月の終わりごろ、現役の高校生であるまこともまた、憂鬱な時間を送っていた。

「分かんない分かんないって言っても、問題は解けないわよ」

 その隣で誠に勉強を促しているのは、誠の幼なじみの結依ゆいだ。2人はこの時期になると、誠の家で勉強会を行っている。もっとも、傍から見れば、勉強会という名の自宅デートなのだが、2人は気づいていない……はずだ。今日も、夏休みの課題が終わらない誠に、結依が付きっきりで勉強を教えている。

「でもさー」

 誠が後ろにあるベッドにボフッと音を立てて倒れ込んだ。

「数学って面白くないからやりたくねーんだよな。これだって数字が書いてあるだけだし、まるで呪文じゃん」

「分からなくもないよ。私も数学苦手だし」

 でも……と結依は続けた。

「苦手なら得意な方に引き込めばいいんじゃない?」

「得意な方に引き込む?」

 想像の範囲外からの返答に、疑問を浮かべた顔で誠は同じ言葉で聞き返した。そんな誠の顔を見て、結依はクスッと笑う。

「何笑ってんだよ」

「ごめん、誠の顔が面白くって……フフ」

「そんなに笑う程じゃないだろ……」

 誠の言う通り、そこまで面白い顔では無いのだが、結依のツボに入ったので仕方なし。

「それで、何の話だっけ?」

「得意な方に引き込む話」

「そうだったね」

 結依は1回を咳払いをしてからこういった。

「要するに、自分の得意分野と関連付ければいいんだよ」

「イメージが浮かばないなぁ……。結依はどんな風にしてんの?」

「私? そうだなぁ……」

 結依は少し思案してから口を開けた。

「戦国時代かな」

「お前が歴女なのはよく知ってる」

 思わずツッコミを入れてしまう誠。生粋の関西人である。

 ちなみに、結依の歴女っぷりは業界人の中ではかなり有名で、イベントでは主に女性武士のコスプレをしていることから、陰では『浪速の井伊直虎』などと呼ばれたりしている。

 この前のコミケでは、いつもの鎧甲冑ではなく、十二単をまとった平安美人のコスプレをしたところ、鼻から幸福感を吹き出す彼女のファンが続出したとかしなかったとか。

 閑話休題。

「それで、俺には戦国時代と数学がどう結びつくのか想像もつかないんだけど」

「うーん……例題を出した方が分かりやすいかな」

 そういうと結依は机の上に置いてある紙へおもむろに問題を書き始めた。少ししてから誠がその紙に目を向けると、そこには見覚えのある問題が書いてあった。

「これ、俺が今やってる課題じゃん」

 そう、結依が出した例題とは、誠が頭を抱えていた課題の1ページだったのだ。その内容はこうだ。

[問12]AB=6、BC=8、∠BAC=45°である△ABCがある。CAを2︰1で外分する点をDとするとき、BDの長さを求めよ。

「で、これを戦国風にすると……」

[問十二]戦国武将であるA氏、B氏、C氏がそれぞれ陣取っている。A氏とB氏との距離は六里、B氏とC氏との距離は八里、A氏から見てB氏を子の刻とすると、C氏は丑寅の方角にある。C氏とA氏との距離を二対一で外分したところにあるD国がある。B氏とD国の距離を求めよ。

「こうなる」

「こうなる、じゃねぇよ。逆に分かりにくいじゃねぇか」

「そうかなー? 分かりやすいと思うけど……」

 歴女の結依とゲームヲタクの誠では一生相容れることのできないところを踏んでしまい、話が続かなくなる。

「じゃ、じゃあさ! 戦国時代中の話にすればいいんだよ!」

「ますます分からん」

 不可解な顔をする誠。結依はそんな誠に対し、物語を話し始めた。

「そう、それは関が原の戦いが始まる少し前……」


 慶弔4年、江戸幕府を開く前の徳川家康は勢力拡大のため、東へ進軍しつつあった。

「家康殿、少しばかりお時間を」

「む、正信か。上がれ」

 徳川軍は陣を整え終え、丑の方角にあるとある城下町へと進もうとしていたのだが、そこに待ったをかけたのは、重臣である本多正信だ。

「どうした?」

「ここから子の方角六里の地点に豊臣軍が陣取っており、丑寅の方角八里には北条軍も陣取っております。城下町に直進して行くにはどうしても二軍の間を通らねばなりませぬ」

「ほう、豊臣と北条が……嫌なところに陣取りおって……」

 家康は表情を変えずそう呟く。声には少し怒気が含まれており、表情では分からないが、相当イラついているようだ。

「そのため越前の国への迂回が必須なのですが、如何せん距離が不明なものでして……下手な時間に出ると敵軍に見つかるかと思われます」

「ふむ……正信、そなたならばその距離、測ることは可能か?」


「待て待てーい! 話についていけねぇわ! なんで数学に年号とか地名が出てくるんだよ!」

「だってこっちのほうが分かりやすいじゃん!」

「どこがだよ!」

「それはこっちのセリフよ!」

 お互い、ここには譲れない部分があるらしい。言い合いが終わると、二人とも肩で息をしていた。

「でも、ニュアンスは理解できたかもしれない」

 しかし、誠はさっきの話で何かを掴んだらしい。少し顔が自慢げになっているような気がする。

「つまりこういうことだろ?」

 パラパラと課題をめくり、あるページを指差した。動転Pによる軌跡の問題である。

「これを物語にすると……」

 今度は誠が語り始めた。


「何!? Pが逃げ出しただと!?」

 司令室から激しい怒号が聞こえてくる。司令官らしき男の声が館内アナウンスで響き渡った。

『全隊員に告ぐ! Pが逃走した! 直ちに条件捕縛を行え!』

 窓の外を見ると、剣や槍、機関銃を持った兵士、戦車、ジェット機までもが、ある一転に向かって一斉に駆け出していた。

「隊長! PがZ軸方向への脱出を謀っています!」

「分かった。A班! 直ちにZ=0型ミサイルを発射しろ! 目標はPの周り、半径1メートル。 今だ、打てっ!」

 隊長の命令からコンマ数秒後、ミサイルが遥か上空からPめがけて突っ込み、巨大な爆発音とともに砂煙が上がる。

 砂煙が晴れると、変わらない様子でPは存在していた。しかし、上下の動きが見られなくなっている。どうやら、さっきのミサイルは対象の行動を制限するらしい。

「よし、次だ! B班! XY型結界を張れ! 範囲はx2+y2=1! ……今だ!」

 その命令が聞こえたのと結界が発動したのはほぼ同時だった。Pは結界上に吸い込まれ、円運動をしている。

「よし、ミッション完了だ。全隊員、持ち場に戻r――」

 戻れ、という前に、ある隊員が指令隊長のもとに駆けつけた。

「た、隊長! Pに鼓動してQ,Rが発現しました!」

「な、何だと!?」

「すでにRは固定しましたが、Qは未だに捕まりません!」

「くそっ、次から次へと……」

 指令隊長はすぐに窓の外へと目を向ける。視線の先には動転Qが縦横無尽に駆け回っていた。のだが……

「あれ?」

 何か違和感を覚えたのか怪訝な顔をする隊長。

「おい!」

 すぐさまさっき報告に来た兵士を呼び出す。

「はい、お呼びでしょうか?」

「すまない、Rの拘束は完璧なのだろうか?」

「いえ、まだ少し暴れています」

「やはりか」

 Qの動きが若干ではあるが、ぎこちなくなってきている。それは段々とRが固定されていくからだ、と踏んで聞いてみたら大正解だ。隊長は全隊員に向かい最後の命令を行う。

「全隊員に告ぐ! 結界型ミサイルCode:アポロニウスの発射準備につけ!」

 Rの固定を完了した隊員が即座にミサイルの範囲外へと脱出したのと、ミサイルが着弾したのはほぼ同時だった。先ほどのミサイルとは比べ物にならない爆音と砂塵がQを覆った。

 一時間後、周りを覆っていた砂塵が晴れその中から見えてきたのは、動きが完全に規則化されたQだった。

「……よし」

 隊長は小さく握りこぶしをし、そしてアナウンスをする。

『全隊員に報告。Qの完全規則化を確認。これにてミッション完了とする』


「分かりやすいだろ?」

「はぁ……誠から見た私がなんとなく分かったよ」

「そりゃどういう意味だ?」

「意味分かんないってこと」

「それは喧嘩を売ってるのか? そうなのか?」

「さぁね」

「よし、上等だ。表に出ろ」

 やはり合わない二人。しかし、誠の顔はなぜか笑っていた。

「何笑ってるのよ。気持ち悪い」

「いや、数学がこんなに楽しかったのって小学生以来で。ちょっと嬉しくってな」

「小学校で習うのは算数よ?」

「どっちでもいいだろ、それは……」

 誠は苦笑いしながらそう呟き、一拍置いてから結依と瞳をあわせて、こう言った。

「ありがとな。俺に数学の面白さを教えてくれて」

「べ、別にあんたのために勉強を教えたんじゃないんだから!」

「何だよ、そのツンデレ見たいなセリフ」

「う、うるさい!」

 誠がそう言い切った瞬間、結依の顔がゆでだこみたいに真っ赤に染まっていった。と思ったのはつかの間、結依はそっぽを向いてしまった。

「でも、図形が出るやつはできるかもしれないけど、整数問題とかはまだ面白くないんだよなー」

「あら、整数問題ができたらこんな問題も出せるわよ」

 すると、いつの間にか復活していた結依が紙に数字を書き出した。精神強度が半端ではない。そして、その紙に書かれていたのは……

「48と75……? 結依? 何だこれ?」

「明日答え合わせするから、今日は自力で頑張って」

「えー、いいじゃんちょっとくらい教えてくれても」

「ダメよ、自力で解く癖をつけなきゃ」

 仕方ないか、と、誠は苦笑いする。そんな誠を見て結依も微笑む。時計はすでに8時を指している。

「あれ? もうこんな時間かー。それじゃ、私帰るね」

「おう、お疲れ。玄関までだけどいいか?」

「うん」

 階段を降りてすぐの玄関までの時間は異様に遅く感じた。結依は玄関の扉に手をとると、誠のほうを振り向いた。

「あの問題、明日までに必ず解くこと。いいね?」

「分かったよ」

「じゃあ、おやすみ」

「おう、おやすみ」

 結依が帰ると、誠は48と75についてネットで調べた。検索結果としてでたのは『婚約数』。

 その後、2人の関係がどうなったかは……推して知るべし。

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