貴族令嬢殺人事件
第一話
その夜はまだ冬の寒さの残る気温で、多くの冒険者達は夜遊びを控えてクエストを終え次第に宿へと戻っていた。冬の寒さなんか気にしない一部の冒険者や、飲み屋やBARに籠るような街のオヤジどもは朝まで外には出ないしで、街角には人っ子一人居ない。
冒険者ギルドのある街のメインストリートのど真ん中も、真っ昼間の人だかりが想像もつかないほどの静けさだった。故に憲兵の夜回りがここに来た時、それを見つけたのは全くの晴天の霹靂だった。
「おいおい、酔っ払いかぁ?この季節じゃ自殺行為だぞ?」
馬車の通り道と歩道の間を遮る木々と花壇に、人の素足らしき物が見えていたのだ。憲兵がランタン片手に声を掛けながら近寄るが、足の主は動く気配はない。余程酒に酔っているのかと呆れる反面、その素足の美しさから女だと判別出来た。
「女が素足で外で寝るなんてな、ちょっと育ちが悪すぎやしないか?」
裸足の足首、脛。次第に見えてくる白い肌に、憲兵は男として若干の期待と同時に嫌な予感が背筋に走る。まさか、そんなはずは無いと思いたい。しかし確かめねばと慌てて木の影に回り込み、彼は思わず街中に響き渡るほどの大声で叫んだ。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
憲兵が見つけた物は、木にもたれるようにして動かなくなったドレスを着た美女。そしてその腹に突き刺さった槍と、花壇の土に染み込んだ大量の血だった。
ワイングラスに注がれた赤紫色のワインを、ヤマトは興味深そうに見つめていた。見慣れない物への興味と警戒の入り混じった子供の様な顔に、マヤはクスリと笑う。
「アルコールなら心配しなくても大丈夫ですよ。この国じゃ十六から飲酒オッケーですから」
「僕の故郷じゃアルコールは二十歳からなもんで。郷に入っては郷に従うって言葉は好きだけど、遠慮します。ブルースライムソーダお願いできますか?」
「ふふ、そう言うと思いました」
マヤは赤ワインが注がれたグラスを手元に引き寄せ、ヤマトは代わりにテーブルに置かれたソフトドリンクのコップを手に取り乾杯する。
白の街のとあるレストラン。ヤマトは色々と最近マヤに借りを作ってばかりだったので、せっかくの給料日にたまには食事代でも出すと提案してみたのだが、気がつくとあれよあれよとレストランで夕食をご馳走する羽目になってしまっていた。
マヤ以外の受付嬢に無理矢理真新しい服を買わさせられ、更にはギルドのシフトまでもが変えられ明日はヤマトもマヤも休みになっていた。おまけに予約したレストランもそれなりに高級そうな場所になっており、ヤマトは値段なんか気にしないぞ、と金庫から持ってきた全財産の入った財布をズボンの上から思わず知らず撫でていた。
「ふふふ。財布なんか気にして可愛いですねー。ヤマトさん」
「あ、いやこれは………」
「大丈夫ですよー。ここ、私の実家が経営してるレストランですから」
「え?マヤさんって確か都の貴族の出でしたよね?」
「貴族って言っても、土地が無ければただの金持ち。幾つかの事業に手を伸ばしてるうちの一つがレストラン経営って訳です」
「へえ。貴族ってのも大変なんですね」
だからと言ってお金の心配は要らないなんて、女性に言われてしまうヤマトの居心地の悪さったら無いのだが。
それはともかく、受付嬢の制服じゃなくて貴族のお嬢様のイメージそのままの私服のマヤに新鮮なモノを感じながらブルースライムソーダに口を付けるヤマト。アルコールが回ったのか、ほんのり赤くなったマヤはとろんとした目で窓の外を眺めた。
「本当に大変ですよ。貴族のお嬢様、なーんてみんなに羨ましがらますけどねー。この仕事だって、結婚相手が見つかるまでって言われちゃってるし」
「え?マヤさん、仕事辞めちゃうんですか?嫌だなぁ………」
「早とちりしないでくださいよ。両親がしびれを切らすよりも前に、実家を認めさせられる人を自分で見つけられたら続けても良いって」
「そりゃあ大変だ。マヤさん、早いところ良い人見つけた方が良いよ。何せギルド一番の美人受付嬢。寿退社で実家に連れ戻されたっちゃあ、街中の冒険者が怒り狂うよ」
「………」
ヤマトとしては至極真っ当な発言だったのだが、その一言でマヤの目がスッと冷たくなった。レストランの中の空気も明らかに冷たくなり、マヤはウェイターにアイコンタクトで指示を出す。
「目の前のお客様からです」
ウェイターはそう言ってヤマトの頭の上で水の入った大ジョッキをひっくり返すのだった。
「なんでー………?」
結局、プンスカ怒ったマヤによって何度か水をぶっかけられる羽目になったヤマトだった。しかしそれも含めてマヤはヤマトとの会話を楽しめたのか、帰り道はタオルを頭の上に乗せ、濡れた上着をレストランに預けて真新しい上着を着たヤマトと手を組んで微笑んでいた。
「ふふふー。まあまあ楽しかったですよー」
「あのー、僕の頭に水ぶっかける様に指示出してたよね?」
「そこも含めて、ですよ。やっぱりヤマトさんと一緒に居ると楽しいな」
ちょっと酔っているせいか、ボディタッチ多めのマヤ。ヤマトも少し恥ずかしいが、それ以上にこの光景を冒険者達に見つかったらと思うと心臓が変にバクバクしていた。
一応、マヤは貴族令嬢な上にギルドの一番人気の受付嬢。そんなマヤの夜を独り占めしている現場を見られては、月の無い夜に出歩けないと言う物だ。
「おおっと。不埒者の気配」
しかし危険は意外と近かった。ヤマトはマヤを抱き寄せると、その足元に投げ矢が落ちる。
「や、ヤマトさん?」
石造りの地面に落ちた投げ矢を拾い、矢に薬が塗られている事に気づく。恐らく麻酔薬だろうか。
「ひょっとして、都の方で流行っている貴族令嬢誘拐犯かな?」
「え?もしかして、狙いは私?」
ゾロゾロと姿を表す、黒いフードを被った三人の男たち。投げ矢は効果が薄いと判断したか、三人ともナイフを持ち出してゆっくりと包囲網を狭めていく。
ヤマトはマヤを背中に庇い、飛びかかってきた誘拐犯の一人の腕を左手で掴む。そしてそのまま足を払い、一回転して背中から落下した誘拐犯からナイフを奪った。
「こう見えても日本に居た頃は柔道をかじっていたんでね。この程度なら片手が使えなくても充分かな」
思わず後ずさる誘拐犯達。しかし今更引き下がる訳にはいかないと飛びかかり、五分後には全員ひっくり返って動かなくなっていた。
「ヤマトさん………ありがとうございます」
「いやいや、それより憲兵の皆さんに連絡しないと。それに貴族警察の方も呼んでこないと」
魔法で伝書鳩を呼び出し、憲兵の詰所に向けて事情を記した手紙を飛ばす。その間、心底面白そうな顔でマヤが自分で持って来たロープで誘拐犯達を縛り上げていた。
「偶にはこう言うスリリングなイベントも悪くないです」
「これをスリリングの一言で片付けちゃダメだと思うなぁ」
憲兵達が駆けつけてくるのを待とうとしたその時、街中に響き渡るほどの悲鳴が轟いた。
「被害者は格闘家のルドラ。年齢は十八、死因は腹部を貫通している槍による刺殺。ギルドの方で、彼女のパーティの活動履歴を確認してもらいたい」
「こちらがルドラさんの所属してるパーティの活動履歴です。パーティと言っても、パラディンのシァハさんと二人のコンビですね」
悲鳴を聞きつけて駆けつけたヤマトとマヤが見た物は、腰を抜かして動けなくなった憲兵と、その視線の先に放置された美女の刺殺死体だった。やがて駆けつけた憲兵達によって現場検証が始まり、翌朝には本来なら休みのはずのヤマトとマヤは憲兵詰所に呼び出されていた。
ヤマトは顔見知りのローランドに取り次いでもらえるかと思ったが、受け付けたのは見知らぬ人。野次馬感情を出せる相手では無さそうなので、マヤがギルドから持ってきた書類を渡すのを横目で見て付き添いに徹していた。
しかし妙だとヤマトは首を傾げた。憲兵なら統一された制服を着ているはずなのに、マヤから書類を受け取っている人はやけに小綺麗でお洒落なスーツの様な服を着ている。
「何か?」
「え?あ、あぁいえ。憲兵さん達の詰所で貴族警察の人と会うとは思えなくて………」
マヤが微かに驚くのを尻目に、貴族警察のその男は眉を顰めた。
「以前から時折冒険者関連の事件に首を突っ込んでいるギルド手伝いのヤマトだな?まさかこの事件にも口出しする気か?」
「まっさかそんな。僕は僕の仕事の範囲に引っかかってこない限りはそんな事しませんよ」
「ふん。まぁ、この街の憲兵も、貴族警察のほとんども事件捜査に役に立たないのは事実だがな。貴族か平民かが捜査にどれほどの意味があると言うのか」
吐き捨てるようにそう言って憲兵達を睨むその男。しかし同時に貴族警察の方も見下しており、何やら複雑そうな背景を匂わせる。
「つまらない話をしたな。貴族警察、一等捜査官のミハイルだ。改めて確認させてもらおう。ルドラと、ルドラのパーティメンバーのシァハの二人は三日前からギルドに顔を出していないんだな?」
「はい。オークの巣穴の撃滅クエストを受けて、西の鉱山のダンジョンに潜ると言い残して三日前の朝にギルドを出てそれっきりです。正直言って、そのまま帰って来ない冒険者パーティも少なくは無いので………」
「女二人のパーティが、オークの巣穴に潜って帰って来ない。捜索隊は出さなかったのか?」
「捜索願が出ていればすぐにでも出すんですがね。同じダンジョンに潜る他のパーティに、暇があれば声を掛けるくらいしかしてません」
「成程な」
ルドラとシァハは同じ故郷で育った幼馴染同士。しかもどちらも貴族出身で、冒険者への夢を見て二人で実家と故郷を飛び出したらしい。せめてパーティメンバーに男を入れない事で実家を納得させていたらしいのだが、まさかこんな事になるとは。
「ルドラの腹を貫いていた槍は、シァハが装備していた槍だそうだな。二人に何かしらのトラブルがあったと言う情報はあるか?」
「いいえ。クエストを受ける時も仲が良さそうな雰囲気でしたし………」
「あの二人がこの街に来たのは一ヶ月前ですから、恨みを買った可能性もなくは無いですが………正直そこの辺りまではギルドで管理なんか出来ませんよ」
「だろうな。こちらとしても、どちらかと言うと昨日の夜に君達が返り討ちにした貴族令嬢誘拐犯の本隊、または模倣犯の可能性を考えている」
「貴族令嬢ばかりを狙う誘拐犯、ですかぁ」
ミハイルはあくまで現時点での可能性が高い方、と言うイメージなのだろうが、ヤマトは思わず髪の毛を掻きむしって違和感を訴えていた。
「もしかして、身代金を要求する伝書鳩でも届きましたか?」
「いや、現時点ではルドラの家にもシァハの家も届いていない。だから、誘拐も可能性の話でしか無い訳だ」
「不可思議な事件だなぁ…………」
頭をボリボリと掻きながら、ヤマトはジッと何もない天井を見上げ続けるのだった。
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