Episode:04-03 足りない

 チカトリーチェと差し向かいで食事になった。


 昨日出会ったばかりの女の子だというのに、

 不思議と緊張せずにいられたのは、未鳥が中継ぎになっているからだろうか。

 人見知りする質なのに自然にいられて、優記は自分のそんな態度を意外に思う。


 食事は朝とは変わって洋食だ。

 具の大きなビーフシチューにパン、

 手製のアンチョビ風ドレッシングのサラダが並ぶ。

 ビーフシチューもスーパーでルーを買って済ませただけじゃないらしい。

 なんだか複雑な味がする。広瀬家では出たことのない凝ったメニューだ。


「リーチェは、料理、上手だね」


「はい。お姉さまにご満足頂けるよう、腕を磨きましたので」


「未鳥とは、幼い頃からの関係なの?」


「五年ほど前から親しくしております」


 ――じゃあ、僕と別れた後くらいからか……。

 未鳥と優記の交流が途絶えたのちの、空白の五年間。

 リーチェはその頃に未鳥と一緒の時間を過ごしていた。

 そう思うと、なんだか嫉妬のような、羨望を抱いてしまう。


「領主様とか、お城とか言ってたのは……?」


「我々の身内で用いる呼び名です。お姉さまのお父上は由緒正しい血筋の方なので」


「そうなんだ。僕、未鳥のこと何も知らないな」


 どこに家があるかも知らない。家族構成も詳しくは聞いていない。


「お姉さまのこと、何でもお尋ねください。ボクの知る限りでお答えしますよ」


「え、いや――」


 聞きたいことは、いくつもある。


 未鳥の体が成長していない本当の理由。

『吸血鬼』のこと。

 だけど、それは未鳥自身から聞かなくちゃいけないんだと思う。

 リーチェに聞くのは不誠実だ。

 優記は思いとどまって話題を変えた。


「それよりも、リーチェのこと、話してよ」


「ボクのことですか?」


「うん。随分未鳥を慕っているようだけど、どこを気に入っているの?」


「そうですねぇ……」


 考えこむように目を伏せたリーチェの頬がぽっとピンクに染まる。


「うふふ。ボクはお姉さまの生まれ持っての才能を敬愛しているんですよ」


「才能?」


 未鳥に何か特技があるとは知らなかった。

 五年の時間の溝を感じて少し寂しくなる。


「ええ。だからこそ、お姉さまには体調を万全に整えていて欲しいんですが……」


 リーチェの微笑みが不意に消えた。

 表情をなくすと、端整な顔立ちに冷たい印象が際立つ。

 見つめている――僕を? でもどうして、そんな顔で……?


「優記さんにも、協力していただけると嬉しいです」


 一瞬の鋭い眼差しが幻だったみたいに、リーチェの微笑みが優記に向いていた。


「未鳥のためなら、僕はどんなことでも喜んで協力するよ」


 それがたとえ血を差し出すことでも、構わない。


「では、自宅へお戻りになるよう、説得をお願いします」


「……それは――」


 未鳥が家出をしてきた「ジブンカッテ」な家族のもとへ、送り返す――

 それが未鳥にとって最善なら、そうするべきだと思う。

 離れ離れで暮らすのは寂しいけど、でも……。


 ――ああ、難しいな。


 理屈では分かるのに。

 優記は本心では未鳥と離れたくなかった。

 一人ぼっちになりたくない。


「――なんて、ふふっ。分かっていますよ。その役目はボクが担っていますから、優記さんには普段通りに過ごしていただ


ければ、ボクからは何も求めません」


「そう……ごめん」


「いいえ。お気持ちだけ、有り難く頂戴いたします」


 リーチェが少し頭を下げるとつられて髪もはらりと垂れた。

 サラサラと流れる綺麗な髪はまっすぐで、未鳥のくるんくるんの傍若無人な髪とは違う。

 異国の血を感じる、透き通った青い瞳がすごく綺麗だ。

 吸血鬼と聞いて思い浮かべる姿は、むしろ未鳥よりもリーチェのほうが近いように思う。


「リーチェは――、リーチェも、その、未鳥と同じなの?」


「同じ、とは、何を指しているのでしょう?」


 手袋をはめた人差し指で軽く頬をついて、小首を傾げる。

 未鳥がやれば媚びたような印象を受ける仕草でも、リーチェには自然な振る舞いに見えた。


 そういえば彼女、いつでも手袋をはめている。

 朝からずっと、出会ってから今まで、彼女の手の素肌を見た覚えがない。

 母さんもよく手荒れを気にして、ハンドクリームを塗ってから手袋をはめて眠っていたっけ。


「優記さん?」


「あっ、えっと、玲先生に、聞いたんだ。あ、知ってるかな。未鳥の家庭教師だっていう……。未鳥の体質のこと。未鳥の他にも、同じような性質の人がたくさん居るって話」


「ああ、はい。吸血鬼の件ですね。ええ、ボクも存じております。ボクが吸血鬼に見えますか?」


「あ――う、うん。なんか、お話に出てきそうな、そんな感じに見えるよ。未鳥よりも、なんか――似合うような」


 って、そんなこと言われても喜べないどころか、ちょっと失礼だったかもしれない。優記は焦って口を閉じ、リーチェの様子を窺った。

 気を悪くしなかっただろうか。


「そうですか――うふふっ」


 リーチェが無邪気に笑った。はじめて歳相応の笑顔を見たような気がする。


「せっかくなので、では、そういうことにしておいて下さい」


「えっと……分かった」


 本当はあんまり分からなかったのだが。

 本人希望により、吸血鬼だということで優記は了解した。



 食事を終えた頃、未鳥がのろのろとダイニングへ現れた。

 そして、抵抗する気力もないままリーチェに風呂へ拉致られた。

 一体何があったのか、上がる頃には未鳥はぐったりとのぼせ、リーチェはつやつやと肌ツヤを向上させていた。


「未鳥、ご飯、どうする?」


「ん……食べ物は、いらない」


「お姉さま、おぐしを乾かしましょうっ」


 片手にドライヤーを持ってリーチェが現れる。

 未鳥を居間へ連れ込み、畳の上に座らせた。

 リーチェは膝立ちになって未鳥の湿った頭髪を入念に乾かす。


「濡れたまんまじゃ、風邪を引きます。布団も汚してしまいます。いけませんよ、お姉さま」


「もー、構わないで、あっちに行って。チカトリーチェ、あなたって距離感おかしくて、疲れるのよっ……」


 未鳥が重たい嘆息を吐く。

 文句を言えるくらいには回復したのだろうか?

 それならちょっと安心だ。


「じゃ、僕もお風呂入ろうかな……」


 何気なく呟いて気づく。

 未鳥とリーチェが入ったあとの、残り湯なんだよな――

 と、いうことは考えないように努めよう……。努める。努めなきゃ――。


 ――結局、優記の努力は無駄に終わった。


 風呂から上がって落ち着かない気分で、優記はうろたえている。


 なんだか良い香りがした。

 入浴剤なんか使わなかったはずなのに。


 着替えを済ませて居間へ行くと、

 一人、未鳥だけが和室に座ってテレビを眺めていた。


「あれ、リーチェは?」


「二階。もう眠るって。そんなこと言って、きっと現状報告でも入れてるのよ」


 やさぐれたように言い捨てる。


「信用ならないわ、あの子……」


「そんな。……事情は分からないけど、リーチェは未鳥を心配してるよ」


「心配なんか、いらないもん」


 すっかり髪も乾いて、湯冷めしないようにカーディガンも羽織って、それらは全てリーチェの気遣いで与えられたことなのに、未鳥は不満げに唇を小さく尖らせた。


「……大きくなんか、ならなくていいのよ。わたしは、ちゃんと、五年も……いっぱい、ガマンしてきたもの。今更、なに


も、変わらない。平気だもん。ガマン……するもの」


「――未鳥?」


「とにかくねっ、わたしは、ゆう君が涙をくれれば、あとは何にもいらないのっ。ゆう君さえ居れば、平気っ」


 言い訳めいた口ぶりで言う。

 必要とされることは嬉しいのに、それがなんだか、自分自身ではなく、己の涙だけに限定した物言いに聞こえて不安に感じた。


 ――例えば僕が、二度と泣けなくなってしまったら?

 ――涙が涸れてしまったら、彼女は、僕のもとを去ってしまうんだろうか?


「ねっ、ゆう君?」


「え、あ、うん」


 曖昧に頷く。

 急に未鳥との絆を頼り無く思う。


 ずっと一緒に、この先も、そばに居てくれるんだろうか?

 それとも、彼女にとって僕は一時羽を休めるための止まり木に過ぎないのだろうか。


 未鳥のために何でもしたい。

 それは本心からの気持ちだ。

 だけど、この思いが一方通行なのだとしたら、ひどく寂しいことだと思う。


 己が未鳥へ抱くような心強さ、喜び、執着を、彼女も同じように抱いてくれていると、一体どこに確証があるのだろう。


 優記は迷子の気分で立ち尽くす。


「だから、ゆう君、お願い。ぺろぺろさせて?」


「うん――ちょっと待って。タマネギを出すよ」


 お風呂を上がったばかりだけど、まあいいや。


 タマネギ臭くなる覚悟をして、優記は台所へ向かった。

 タマネギを冷蔵庫から出してみじん切りに。

 もうすっかり、これだけ得意になってしまった。小気味良いリズムを打って、タマネギが細かく刻まれていく。


「あれ、ヘンだな」


 考え事のせいか、いつものように涙がするりと流れてこない。

 鼻はツンとして、目はひりひりと刺激に痛むのに、ほんのちょっと、滲む程度しか出なかった。


「ごめん、未鳥――だめだ、何でだろう。ちょっとしか出ないよ」


「ううん、良いっ。ちょっとでも、良いの……。ちょうだい、ゆう君」


 優記に寄り添って手を伸ばす。

 熱に浮かされたように未鳥の瞳が潤んでいる。

 最上のご馳走を目にした遭難者のように、期待に頬を上気させていた。

 彼女が促すまま床に膝をついて舌を受け入れる。

 それ自体が何かの生き物のように蠢く舌先が涙を拭う。


「んっ……ん、んっ……」


 ふぅ、と、喉の奥から抜ける未鳥の呼気が熱い。


「ふっ……あぁ……」


 名残惜しそうな、物欲しそうなため息に、腹の底がきゅっとした。

 ちょっとしか涙が出なかった罪悪感なのか、それとも、ふしだらな連想をしそうになっているのか。

 優記は自制心を働かせ、意識を目もとへ向ける。


「ありがと、ゆう君」


「ん、うん……ごめん。もっと、色々試してみるよ。沢山泣けるように」


「ううん……良い。良いの……」


「未鳥?」


 小さく、首を横に振る。顔が長い髪に隠れて表情が分からなかった。


「もう、寝よ?」


「うん」


 差し出された小さな手をとって、二階へ向かう。

 未鳥の華奢な体がいつもより一層頼り無く思えて心配だった。


 このまま消えてなくなってしまいそうな、そんな不吉な空想が、現実になってしまう気がした。

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