第4話 捕食者の夜

Episode:04-01 月曜日の朝食


 遊びつくした日曜日だったし、急な来客に見舞われたこともあって、夜は驚くほど早く眠りに就いた。


 寝入りに、まだ未鳥とリーチェが話し込んでいる気配を感じたけど、優記はあまりの眠気に耐えられず落ちてしまった。話はついたのだろうか……。


「う、ん……」


 カーテンの向こうが明るい。

 月曜日の朝だ、気合いを入れて起きないと。

 だけど布団の中が暖かくて、柔らかくて、良い匂いがするから、まだ眠っていたい。優記は怠惰な欲求に身を任せて寝返りをうつ。


 ふにふにと柔らかな感触が己を包んでいる。

 もっと近くへ引き寄せようとして半ば無意識に手を伸ばす――。


「あん♪」


 かわいらしい声がした。

 未鳥にはない艶っぽさを含んだ声だ。


「もう、優記さんって大胆なんですね。でもボクきらいじゃありませんよ」


「うわ!? ごっ、ごめん!?」


 反射的に跳ね起きて距離をとっていた。

 布団の中に、いつもなら未鳥だけのはずが――

 今日はリーチェも一緒に入っていた。


 それも薄い布地のベビードール姿で、大人っぽいパンツも丸見えだ。

 肉付きの丁度良い太ももは日本人離れした真っ白な色をしている。

 大人と子供の中間、少女としか言いようのないラインを描く腰つきまで朝日に透けて見えていた。


 何もかも、未鳥とははっきりと違う。

 

 女の子と少女。

 そのラインが二人の間には明確に引かれていると感じた。


 咄嗟に謝ってしまったけど、どうして彼女が自分の布団の中にいるんだろう。

 優記は今更疑問に思う。


「うふふ。今朝もお元気なようで大変結構ですね」


 彼女の目線が若干下向きなことに気づいて慌てて背中を向ける。


「と、泊まるなら泊まるで、寝る場所くらい準備したのに……」


「ごめんなさい。よく寝ていらしたので、起こしてしまうのは可哀想かと思ったんです。お姉さまは勝手にして良いとおっしゃったので、失礼ながら勝手にさせて頂きました」


 未鳥が戦犯か。

 まだのうのうと寝息を立てている。


「ボクとしても正直驚いています。まさかお姉さまと優記さまが同衾なさっているなんて……」


「それは……」


 今まではっきりさせていなかったけど、やっぱり、年頃の男女が同じ布団を共有するのは色々問題があるだろう。

 未鳥が全然恥ずかしがらないし、当然のようにそうするから、優記も自然と受け入れていた。

 だが、改めて他人に指摘された途端恥ずかしく感じられる。


「優記さまが童貞紳――いえ、紳士的な方で本当に幸いでした」


「あの? 何か?」


「いえ」


 いい加減振り返ると、トリーチェはしなやかな伸びをして控えめなあくびを漏らした。

 朝日を受けて淡い金の髪が透ける。

 初対面ではウィッグかと思ったそれも自前の毛髪のようだ。

 あまりに綺麗だと逆に作り物っぽく見えるものだと優記は初めて知った。


「チカトリーチェ、さんは……ここにしばらく泊まるつもり?」


「昨晩申しました通り、リーチェと気軽にお呼び下さい。はい、できればお姉さまが実家へ帰る気になるまではご一緒して身辺のお世話などをボクに申し付けて頂ければと思います」


「リーチェは、未鳥の、その……メイドみたいな人なの?」


「うふふ。そう思って下さっても結構ですよ」


 布団を出て立ち上がると、日差しに向かって腕を広げる。

 ベビードールの裾が上がって、リーチェは小ぶりなお尻を惜しげなく晒す。

 見てはいけないと思って慌てて背を向けた。


「僕っ、学校の準備があるからっ、じゃあ、あとでまた」


「はい」


 くすくす笑いが聞こえる。

 まるで子供のいたずらを許すような微笑だ。


 未鳥を姉と呼び慕うことから、リーチェを年下だと思っていたけど、それにしてはずいぶんと落ち着きがある。

 リーチェのほうこそ未鳥のお姉さんみたいだ。


 ――玲先生なんかよりもずっと大人っぽいと感じてしまうのは、さすがにどうなんだろう……。


 自分の考えに自分で笑いながら、優記は階下へ降りていく。


 家の中に人が増えて賑やかになったことが嬉しかった。

 リーチェがしばらく一緒に暮らしてくれるなら、この家はまた三人暮らしになる。


 もし、もっとずっと住んでくれるなら、父か母の部屋を整頓して二人にそれぞれ使ってもらっても良いと思う。

 提案してみようかな。少し浮き足立って、優記は制服に着替える。



 鼻をくすぐるのは、食卓に広がる暖かな匂い。


 支度を終えて居間に下りると、いつ作ったのか食卓には純和風の朝ごはんが準備されていた。

 旅館にでも迷い込んだ気分で優記は料理を眺めた。


「――すごい。これ、全部リーチェが?」


「はい。失礼ながら、勝手にお台所をお借りしました。お口に合うかは解かりませんが……。どうぞ召し上がってください」


 勧められるまま椅子に掛ける。


 今しも炊飯器が電子音を響かせ、ご飯が炊き上がったと主張した。

 湯気の昇る味噌汁に、納豆の蓋の上には味海苔の袋が添えられている。


 全ては、確かに優記の家にある材料で構成されていた。


 優記にはどこにあるのか探り当てられなかっただけで、きちんと箸置きまで活用されている。


「すごいね、きみ……」


「お褒めに預かり恐縮です♪ 冷めないうちに、どうぞ。ボクはお姉さまを起こして来ます」


「あ、うん」


 未鳥はまだ起きてこない。

 疲れが出ているのだろうか。


 食卓に一人残され、いただきますと呟いた。

 そういえば、一人で『いただきます』をするのは、なんだか久しぶりだ。

 ちょっと未鳥に悪い気がした。

 でももう優記の体は動き出して、己の口元へお椀を運んでいる。

 味噌汁の湯気が眼鏡を曇らせた。

 ――未鳥が見たら笑うだろうな。


「……美味しい」


 味噌汁も、炊き立てのご飯も、優記が作るものとはどこか違う。

 母親のそれともまた違う。

 ホテルの朝食みたいな洗練された味だ。

 見た目は洋風な女の子なのに、きちんとした和食を作れるなんて、なんだか意外だ。


 どたばたと階上がなにやら騒がしくなった。

 きっと未鳥が起きたのだろう。

 足音が階段を下りてくる。今にも、ドアを開けて――


「あ~~~っ!」


 寝癖でぼさぼさ頭の未鳥が優記を指差した。


「ゆう君、朝ごはん、ひとりで……先に、食べてるっ!」


 咎める口調で指摘する。


「未鳥、おはよ。……ごめん、流されてつい。先に頂いてるよ」


「やだ~~! 一人で食べちゃヤダっ。どうして待っててくれないのっ?」


「お姉さま。我侭を申してはいけませんよ。お姉さまが良く寝ていらしたから、優記さんは遠慮して起こさずにいて下さったんですよ」


「ぬけがけ~! うらぎり~! 断固、はんたい~!」


 ぼさぼさ頭を振り乱して地団駄を踏んだ。

 体重が軽いのか、地団駄は優記のほうまで全く響いてこない。


「さ、お姉さま。洗面所で髪を梳かしてあげますね。もう、こんなに絡まって」


「うぅ~。そんなの、後でいいっ。先にご飯食べる」


「そうはいきません。お着替えを済ませてから食卓へつくのがマナーですよ。そうですよね、優記さん?」


「えっ!?」


 突然振られてたじろぐ。

 未鳥の半眼とリーチェの微笑みに答えを迫られ、つい、頷いてしまった。


「う、うん。着替えておいでよ、未鳥」


「むぅ~~っ」


 ふくれっ面の未鳥がリーチェに引っ張られて部屋を出て行く。


 毎朝、絡まり放題の未鳥の髪を解くのは優記の役目だった。

 今日はそれがないなんて、ラクチンなような、なんだか寂しいような……。

 ちょっとそわそわした気分で、優記は食事を続けた。






 食事を終える頃、未鳥とリーチェが戻ってきた。


 未鳥はいつもより丁寧に髪を梳かれたのだと一目で分かる、ウェーブヘアがつやつやに輝いていた。

 髪の毛を編んで作ったカチューシャを頭のてっぺんに乗せ、リボンで飾っている。


「もぅ。こんなにしなくても良いのに」


「だめですよ、お姉さま。せっかく綺麗な花も、野放しにしてしまっては勿体ないです。お可愛くてらっしゃるのですから、目一杯飾り立てなくては」


 リーチェが引いた椅子にどかっと座る。

 優記が見ているのに気づくと、未鳥は目をすがめて問いかけた。


「何よぅ」


「あ、いや。かわいいね、その頭……」


「なっ……何よ~~っ。むぅ……ゆう君には見せてあげないんだから!」


 両手で頭を覆って隠してしまう。そんな様を見て隣でリーチェがくすくす笑っていた。見ればリーチェも同じような髪型のお揃いになっている。


「って、あれ、リーチェ……その制服、西中?」


「ハイ。西中学校の二年生です」


 見覚えのある制服だと思った。

 去年まで優記が通っていた中学校のものだ。


 ちょっと印象が異なって見えたのは、リーチェの足が指定の靴下ではなく黒いストッキングを履いているからかもしれない。


「ってことは、年下なの……見えないね、しっかりしてる」


「ありがとうございます」


 スカートの端をつまんで一礼する。

 未鳥の傍若無人な姿に比べて、彼女のほうこそ良家のお嬢様みたいだ。


「ゆう君、ゴハンまだ~?」


「あっ、そうだった。ごめん」


「それでしたらボクがご用意いたしますので、優記さんはお休みになっていてください」


 てきぱきとエプロンを巻きつけキッチンへ向かう。

 彼女は冷蔵庫を開けると、銀色のパックを取り出した。

 あんなもの昨日までは冷蔵庫に入っていなかったはずだ。

 それは、玲が愛飲している飲料と同じパッケージをしている。


「お姉さまはこちらを召し上がってください」


 これもリーチェが用意したのだろう、ストローと一緒にテーブルの上に並べた。

 未鳥は眉をゆがめて、忌避すべきものへ向ける眼差しでパックを見つめている。


「どうして、こんなものが……ここにあるのよっ……」


「お姉さまの健康を鑑みて、適切な食事をご用意したのですが……お気に召しませんか?」


「どけてっ! そんなもの、あっちへやってよ!」


 未鳥のか細い腕がテーブルを払った。

 べちゃんと音を立てて床にパックが転がる。

 リーチェは微笑みを絶やさず、それを拾い上げた。

 テーブルを払ったまま震える未鳥の腕を取り、そっと、手のひらにパックを掴ませる。


「やめてっ……」


 指がパックを掴むことはなく、また、床に落下する。

 水を内包した袋の、ぼぢゃんとした有機的な音が立つ。


 あの中に入っているのは……誰か、顔も知らない人の血液だと、玲は言った。


 俯いた未鳥の体が震えている。

 なんと声をかけて良いのか、迷っているうちに、リーチェが言った。


「お姉さま? 好き嫌いは感心しませんよ。お昼にはきっとお召し上がり下さいね。もう時間なので、ボクは登校しなくちゃいけません」


「え……あっ、もうこんな時間」


 時計を見るとぎりぎり遅刻するかしないかの頃合いだ。

 学校へ行かなくちゃ。だが、優記は躊躇する。未鳥の様子が心配だ。


「未鳥も、学校へ行く? 玲先生のところで待ってるかい?」


「良い……っ、今日は……家で待ってる」


「でも……」


 頑なな態度を見てとって、優記は説得する言葉を引っ込める。


「じゃあ、後を任せたよ?」


 未鳥が小さく頷く。


「本当なら、ボクも学校をお休みしてお姉さまに付き添いたいところなのですが……学校へ通うことは規則のうちですので。不本意ながら」


 両親の払った学費を無駄にはできない。優記も思う。学校へ行かなくちゃ……。


「行ってくるね、未鳥」


「……」


 少しだけ待ってみたものの『行ってらっしゃい』の声は聞こえなかった。

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