第3話 お腹を空かせた女の子

Episode:03-01 ワンダー・ホリデー

「――あ」


 瞼を開けると、朝の陽光が滲んでいた。


 泣きながら目が覚めるという非常に恥ずかしい状態に、優記は両親の葬儀以降度々陥っている。それでも、玲が来た夜以降は、夜中に飛び起きるようなことはなくなったから進歩だと思う。


 反射的に拭おうとした手をふいに止めた。


「未鳥」


 隣で身体を丸めて眠る幼馴染みを呼ぶ。


「ん……? ふあぁ……。オハヨ、ゆう君」


 ネコのようにしなやかな身体を伸ばして、あくび交じりに未鳥がこたえる。

 気持ちよさそうに日の光を浴びて、もう一度あくびをした。そういえば吸血鬼だなんて自称するわりに太陽光はなんともないのか。まだまだ謎が多い。


「あっ」


 優記の顔を覗き込んで、そこに成熟した果実を見つけたとでも言わんばかりの喜色を滲ませる。


「いただきまーすっ」


 飛びつくように身体をかがめて、未鳥の顔が間近に迫った。

 起き抜けなのに彼女の顔は整っていて、朝日のなかに肌のきめ細かさが際立って見える。明るい色の唇も、形の良い鼻もぜんぶ優記の顔ににくっつけて、ちゅぅちゅぅと目じりに溜まった涙をすすった。


「ちゅっ……ちゅぅ、ちゅ……」


 ぺろぺろ。

 皮膚についた涙の一滴だって逃すまいと未鳥の舌が追う。


「ちょ、ちょっと。もう、いいでしょ?」


「ん……はぁい。ごちそうさま、ゆう君」


 名残惜しさもあるものの、ご機嫌な声だ。


「顔を洗って、朝食にしよう」


「うん♪」


 二人連れ立ってベッドを出て、階下へ降りていく。



 冷たい水で顔を洗って、ようやくスッキリと目が覚めた。


「よしっ」


 タオルで水気を拭って、ぱちんと両頬を叩く。


 ――ここ数日未鳥に甘えすぎていた。


 こんな状況だとは言え、僕だって男だし、もっとちゃんとしなきゃいけない。


 さしあたっては、今日は未鳥に何かお礼がしたかった。

 優記は決意を浮かべた己の顔へ肯いてみせる。

 すると、鏡に映った己も同意を示すように肯いた。


「ゆう君。パン焼けたよ~!」


「はーい。今行く」


 焼きたてのトーストの匂いに誘われるまま、未鳥のもとへ向かう。


「ねえ、未鳥。せっかくの日曜日なんだし、どこかへ出かけようか?」


「ほへ? ……出かけるっ!」


 たちまち未鳥の顔いっぱいに笑みが広がる。


 それだけで、優記は報われた気持ちになる。

 勇気を出して誘ってみてよかった――。


「そだ! 昨日テレビで見たでしょ? あそこ、行ってみたい!」


「あ……あぁ」


 昨晩の夕食時、未鳥が夢中になって大興奮していたテレビ番組を思い出す。


「何だっけ? なんとかパーク?」


「そっちじゃなくて、ワンダールーム! アリスの遊園地!」


「――そっち?」


 不思議の国のアリスをモチーフにした屋内遊園施設だ。

 今お勧めのデートスポットランキングで4位だと紹介されていた。


「4位のでいいの? 1位のあの、なんかすごいやつじゃなくて?」


「んー、1位のだと混みすぎちゃうかなって思うし……あんまり広くても楽しめないから、ちょうど良いかなって」


「そっか。なるほど」


 意外と打算的に考えているなと感心する。


「それに、可愛かったんだもん」


「うん。いいよ。じゃあ、そこへ行こう」


「ほんと!?」


 未鳥が身を乗り出して食いつく。


「未鳥に、今までのお礼をしたいんだ」


「お礼なんて、わたしのほうこそ……!」


「じゃあ、今日は一緒に楽しもう。それでいい?」


「うんっ!」


 何度も何度も頷いて、興奮に頬を紅潮させていた。

 早々と朝食を終えると居間のふすまを閉めて「着替えるからっ!」と張りきった声を上げる。


「じゃあ、僕も準備する」


 特に何も必要ないけれど。

 ……デジカメでも持っていこうかな。



 結局デジカメを持ち出せなかった。


 なぜなら、メモリに両親との画像がたくさん入っているからだ。


 今の優記に、それに向き合うほどの心の余裕はまだなかった。

 手荷物ひとつ、未鳥と手をつないで駅へ向かう。

 目的地は三十分ほど電車に乗った都心部だ。


「あっれぇ、偶然!」


 その声を一度はスルーした。

 知らない人が知らない人へ話しかけたと思ったからだ。


 しかし、その人はいやに二人に追従して歩いてきた。

 横目で見ると、そこに彼女がいた。


「……先生?」


 怪訝に、優記が問う。


「やだ、アキラって呼んでよぉ。ゆー君とアタシの仲じゃんっ」


「アキラさんっ!! どうしているの!?」


 玲は大胆に胸元の開いた服とタイトミニのスカートを穿いて、頭の上にレジャー施設で購入したらしい獣耳のカチューシャをつけていた。


 長い耳――うさぎ、だ。


 首からぶら下げているパスケースにどこかの施設の年間パスポートが入っている。

 今から遊びに行きますと全身から主張するスタイルだ。


「先生もお出かけですか? 奇遇ですね」


 嫌な予感を無視しながら世間話の体で話かける。


「やだな、ずっと待ってたのにぃ。ね、ね、行くんでしょ? 行くんでしょ? ワンダールーム!」


「ちょっと! 聞き耳立ててたの!?」


「おうとも、このお耳でよ~く聞こえたヨ!」


 と、カチューシャを差して頭を振る。

 つけ耳のくせによく言うよ――と優記は呆れ、


「聞き耳って!? 先生どこに居たの!?」


「乙女にそういうこと聞くもんじゃないよぉ~☆」


 ほっぺたを指でつつくブリッコなポーズでかわいく言うが、『乙女の秘密』では納得できない。


「待ってくださいよ! 盗聴ですか? 訴えますよ」


「そんなこと言わないでよぉ、ゆー君。立場的にはキミのほうが危ういんだよ? 縁もゆかりもない女の子家に連れ込んで同棲ですか? こんな小さな娘さんと? 親御さんの許可もなく? よくないな~、それはよくない。しかも今日は異性交遊に繰り出そうってんじゃあないですか。イケナイ! アブナイ! 見過ごせナイ! と、ここで引率役の大人が介入すればどうなります? 自体はまるっと収まるんじゃあありませんかねえ?」


 嘘だ。この人、一緒に遊びたいだけだ。


 引率の大人が一番浮かれた格好をしているなんて、聞いたことない。


「幸い、アタシはワンダールームの超!常連。ほらほら見てみて、年間パス~。今年に入ってからもう十二回は行ったね!」


「十二回って、今まだ六月入ったばかりですけど……」


「すごいペースだ。大人の財力って……」


「じゃあ、アキラさんは詳しいんだよね? ワンダールーム」


「もち! 初心者をエスコートするには適役だと思いますよ。この物件、お買い得、なう!」


「ふーん……」


 未鳥が何か考え込む。


「どうせパパの差し金とは思うけど……アキラさんがついてればそれ以上の干渉はないって思っていいんでしょ?」


「そーんな無粋なことしないよぉ~。アタシが今ここに居るのは百パーセント、アタシの意志ですぜ。善意!」


「その言葉を鵜呑みにはできないけど、まあ、そういうことなら……どうかなあ、ゆう君?」


「えっ? えっと……」


 正直、水を差された気持ちはある。

 でも、施設に詳しい人が同行してくれるのはありがたいかもしれない。

 自分も未鳥もはじめて行く場所だし、効率よく回れるならそれに越したことはないのかも。それに何より、未鳥が良いなら、文句を言えるはずない――優記はそう納得して、


「じゃあ、まあ、良いですけど」


「わぁい! 話が分かるねっ、少年少女!」


「うわ、ずっとそのテンションなんですか? きつ……」


「キツいとかいうなよ。二十八歳でこんなにはしゃいでイタいとか思うなよ、な? 大人も色々あるんだよ」


 目をむいて静かに主張するその気迫に圧されて何も言えない。


「もーっ、早く電車に乗ろうよぉ!」


 未鳥の叫びに、慌ててホームへ向かう。

 丁度滑り込みセーフで快速に乗った。


 こんな調子で今日一日どうなるか、不安な気持ちもあるけれど、未鳥とこうして出かけられることが嬉しくてそれ以上に期待も膨らんだ。

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