Episode:02-04 おとなとこども

 翌日のこと。


「わたしも学校に行く」


 起きた時から何か言いたげな気配を感じてはいたのだが、まさかそう言われるとは思わず、優記は返答に詰まった。


「そういえば、未鳥は小学校に通ってるの?」


 ふとした疑問を口にすると、未鳥は明らかに気分を害した様子で唇をへの字に曲げる。


「行ってない! わたし、十六歳なんだよ? 小学校なんかむかしの話だよ!」


 どう見てもそうは思えない容姿なのだが、未鳥は頑として主張する。


「だから、わたしも、高校行くの!」


 ……もしかして、連日のお留守番でさみしい思いをさせているのだろうか。

 そう思うとダメとは言い辛かった。

 ひとりでいる心細さは優記にも十分身に覚えがある。


「……どうしよう」


 連れて行っても、教室に入れてやることはできない。

 生徒一人の権限じゃどうにもならないことだ。

 だから、まずは事情を説明しなくちゃいけない。

 でも、なんて説明すればいいんだろう。


「どうしても今日じゃなきゃダメかな?」


「ううー……」


 今日じゃなきゃダメ、と言いたそうな口を必死に結んで言葉を堪えている。

 ここで強く言って優記の気が変わるのを恐れているようだ。


「あのね、急に連れて行っても、みんなびっくりするかもしれないんだ。僕一人が決定していいことじゃないから……今日行って、学校に未鳥も来ていいか確認してみるから。……今日はお留守番、しててもらえる?」


「……わかった。ゆう君がそんなに言うなら、その通りにする」


 しおらしく俯いて、でも頬を膨らませたまま答えた。

 だから優記は未鳥の頭をぽんと撫でて、行ってきますを言って家を出た。


 ――未鳥の返事は完全なブラフで、優記が家を出てしばらくの後、


「わぁっ、ゆう君。ぐうぜんだね。んはは。わたし、朝の散歩に出かけたんだけど。通学路、こっちなの? わたしもちょうど、こっちに用があったの」


 ぎこちない態度でそう言う。


 ――こんな小さな女の子に心配されるのも情け無いけど、正直、ほっとした。


「言っておくけど、わたしはゆう君に着いて来たんじゃないからねっ。アキラさんに用があるんだからねっ」


 そう念を押して、未鳥は優記の隣を歩いた。



 見慣れない子供の姿に生徒たちが物珍しそうに注目する。

 その子に付き添う自分がなにを言われるか。

 どうかクラスメートには目撃されていませんように……。

 ただ、未鳥を気にしていたおかげで、優記は両親のことを意識せずに教室へ行けた。

 クラスメートも、優記を同情するよりさきに謎の女の子について質問を浴びせてきた。勿論、先生や数名のクラスメートには気遣われたし、心配されたし、励まされたし、慰められた――でも、身構えていた以上に衝撃はない。全部未鳥のおかげだ。


 未鳥の様子を窺うために、昼休みを待って保健室へ向かった。


 保健室には『使用中』の札がかかっている。

 小窓にカーテンがかかっていて中の様子は見えない。


「……――入って良いんだよね」


 でも、何かデリケートな応対中だったらどうしよう。

 とは言え、未鳥がまだ居るはずだし……。

 逡巡する優記の耳に、ふと声が聞こえた。


「ん?」


 ドアの向こうから、なにか囁くような声が届く。


「あっ、ンぅ! もっ……そこっだめっ、あっ! ふぁっ……すごい」


 息を詰めるような響き。未鳥の声だ。

 こんなふうに水っぽい囁きを、優記は聞いたことが無い。


「でしょお? これ、とっておきなんだ……」


「すごぉい……こんなのっ……はじめて……あんっ!」


 音声だけのシチュエーションにいけない空想が止まらない。

 一体、ドアの向こうでは何が起きているのだろう。

 それはこの学び舎というロケーションに恥じない行いなのか。

 妄想のバリエーションが増殖して、エモーションが暴走寸前に膨れ上がる。


「あっ……すごっ――きもちいっ……」


「すっかりハマっちゃったみたいね、みぃちゃん。ふふ、もうオトナなんだ」


「わ、わあああ――――っ!?」


 勢い任せに、優記はわけも分からずドアを開く。

 スパァン!と大げさに音を立てて、衝撃に手がびりびりと痺れた。


「ん?」


「あ、ゆう君」


 白衣を着崩した玲と、壁際に立つ未鳥が、同時に彼を見た。


「なんだぁ? その騒がしい登場は。ノックくらいしろよなー」


「慌てんぼうさんね。どうしたの?」


「えっ? え……?」


 呆然と立ち尽くす。

 さっきまで自分が聞いていたのは何だったのだろう。

 幻聴だとしたら、僕は少し疲れている。休養が必要だ。


「あっ! もしかしてぇ、聞き耳立ててた? でしょ? ドアの外で? やっらしぃ」


「なっ、やっ!?」


 やらしいこと、してたのか……? やっぱり?


「やらしい? ゆう君、なにエッチなこと考えてたの?」


「やっ、いや、僕は、ただ……へ、へんな声が聞こえたからっ……」


「ヘンな声……?」


 未鳥が首をかしげる。


 そういえば、未鳥の目線が今日は妙に高い。気付いて、優記は視線を巡らせた。


「あ!?」


 保健室へ立ち入って数歩、ようやく全貌が見えた。

 未鳥は裸足になって、足裏ツボ押し健康器具に乗っかっていたのだ。


「わ、わわわっ!? な、な、ななな、なにヘンな妄想してるのっ!! ゆう君のエッチ! ばかっ! ヘンタイ!」


 何を誤解したのか未鳥も気づいてしまったらしい。

 慌てて器具を降りて靴を履く。

 急いだせいで、未鳥はパンツが見えてしまうのも気にしない。

 ライトグリーンで双葉のワンポイントが描かれた、それは見事なおこさまぱんつだった(材質:綿100%)。


「顔が赤いぞ、少年? うっしっし」


 玲が下品に笑う。誤魔化すように未鳥が声を張った。


「ごっ、ごはん! ごはんにしよっ。ねっ?」


「ん~? ゆう君がどんな想像してたのかれいちゃんは気になるのだぁ。教えて教えて? 未鳥があんあんいやんでハジメテですごい気持ちよくてハマっちゃうオトナな妄想~?」


「なっ、な、な――!?」


 全部お見通しといわんばかりだ。


「ばっ――」


 優記が叫び出すより先に、


「ばかぁああ――――――――っ!!」


 未鳥の大音声の叫び声が、校舎中に轟いた。

 スカートから伸びる太ももまで真っ赤に染めて、未鳥が恥ずかしさに蹲る。


「もぉやだ、ばかばかばかへんたいエッチ、アキラさんの不健全! 18禁!」


「そーだよアキラさんは大人なのだ。うっしっし」


「イヤ~! ふけつ! 大人になんかなりたくない……」


 未来を絶望に染め上げる笑い声が、昼食後もずっと優記の耳に残った……。

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