第2話『小さな吸血鬼』
Episode:02-01 僕の涙は、きみのゴハン
あの日。
父と母が死んだ日。
二人は他愛ないショッピングへ出かけるために車に乗った。
お昼ごはんを食べたあとだ。
優記も誘われて、だけど断った。
家に一人で羽を伸ばせる、寝転がってゲームをしていても小言を言われないで済む。解放された気分だった。
二人は出かける直前に些細な喧嘩をしていたけど、玄関をくぐる頃にはそんな事実なかったみたいにケロリとしていた。いつもの二人だった。
どんな言葉を交わしたか、それになんと答えたか、あまりよく覚えていない。
いつもと同じような言葉をかけられ、いつもと同じように答えた。
それだけだ。
優記は普段父とはあまり言葉を交わさない息子だった。
彼の泣き虫癖は幼少から十六歳になる今まで変わらず、治らなかった。
父はそれを嫌っていて、息子が泣きやむまで待ってから忠告した。
『泣いたからって何にもならない』
その通り、泣いたからって何にもならない。
涙を流すと副交感神経が働いてストレス状態を解消し、結果的に健康に良いらしい。
でもそれは一時的な緊張から逃れられるだけで、人は常にたくさんのストレスに囲まれて暮らす。そのつど泣いていたらきりがないのだ。
父が泣いたところを優記は見たことがない。
父の母親が亡くなったときも、彼は泣かなかった。
それが唯一の肉親だったというのに。
寂しくてわんわん泣いている優記に父はやっぱり言った。
泣いたからって何にもならない。
死んだ人は生き返らない、何も事態は好転しない。
勿論、優記にだって分かってる。
だけど、どうしようもないのだった。
泣きたくて泣いているわけじゃない。
勝手に涙が出てきてしまう。
そうなるともう止めようがなくて、涙が止まるまで泣き続けることしかできない。
こういうのって、鍛えてどうにかなるものなのかな――優記は思う。
自分でも治したい癖なのに、それを己の怠慢であるかのようにとがめる父が苦手だった。
優記は父とあまり親しくなかった。
「お届けものです。ここにサインで結構です」
――だから、父の荷物が届いたとき、箱を開けていいものか迷った。
通販サイトの箱と伝票は、父が通販を利用して買い物をしたと告げている。
仕事が忙しく趣味の時間を持たない父が気晴らしのためによく買い物をしていたのは知っている。大抵CDかDVDだ。まだフィルムも剥かれていないそれらが父の部屋でタワーになっていることは優記もよく知っている。
通販では時々日用品も買っていて、それが趣味みたいな人だった。
「ご苦労様です」
荷物を受け取って、先に届いていた荷物に重ねる。
溜め込んでいた不在通知が少しずつ減ってきた。
普段から父は荷物を溜める人だった。
どれも都合が合わなくて、なかなか受け取れないのだ。
荷物の山の後ろには未鳥が居た。
来訪者から身を隠していたらしい。物陰から様子を窺っている。
「……じゃあ、僕、行ってくるから」
「うん。行ってらっしゃい」
「ほんとに待てる? お留守番できる?」
「もうっ。わたし、ちっちゃい子じゃないんだよっ! ちゃんと待てる」
不満そうに頬を膨らませて唇を尖らせる。まるで説得力がない。
今日の未鳥はいつものジャンパースカートの上からエプロンをかけていた。
今日は家事をして待っているつもりだそうだ。
申し出はありがたいけど、昨日の料理の腕前からはとても信用できない発言だった。
目を離したくないけど、そろそろ学校へ行かなくては。
「……じゃ、行ってきます」
「はい。気をつけてね、ゆう君」
行ってきますを言ってくれる人がいるから、優記は安心して出かけられた。
ただいまを言う人がいない家に帰るのは、まだちょっと怖い。
高校へ行く。
いつも通りのことに違和感を抱くのはどうしてだろう。
こんなことをしている場合ではないという気持ちがどこかにある。
これから一人で生きていく――その現実に押しつぶされないように気を張った。
なるべくいつも通りでいよう。
友達の気遣いや同情を受けることを思うと気が重い。
また泣いてしまう、きっと。場の空気を悪くしてしまう。
みんなにとっては、今日は取るに足らない日常に過ぎないのに。
やっぱり学校へ行くのをよそうか迷う。
でも、ここでくじけたらもう二度と学校へ行かないような予感があった。
それはいけない、せめて卒業はしなくちゃ。
今までの学費を無駄にしたら、父さんも母さんもきっと悲しむだろう。
そう思って、ふと思考が停止する。
死んでしまった人が、悲しんだり喜んだり、するわけない。
「……」
つんと鼻の奥が予告する。あと少しの刺激で涙が出ますよ、と。
「勿体無い」
ずず、と鼻をすすった。そうすることで涙をこらえられると思った。
涙を無駄にしちゃいけない。僕の涙は、未鳥のゴハンなんだから。
血ではなく、涙を啜る吸血鬼――。それが未鳥だという。
人外の存在なんて信じられないけど、それを信じているうちは未鳥がそばにいるような気がしていた。ごっこ遊びかもしれない。精神異常者のたわごとかもしれない。そもそもあの小さな彼女が時任未鳥だなんて、ほかの誰が信じるだろう。
でも、優記は信じた。
彼女は自分の知っている時任未鳥そのものだから。
だから僕は涙を溜めておかなくちゃ。優記は顔面に力を入れる。
彼女が腹を空かせたときに涙を分けてあげるのだ。
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