第2話

「ミシン、好きなんだね」

 作業台の上に座って、足をぶらぶらさせながらアイラは俺に言った。

「イトシは繕い屋さんになるの?」

「なるんじゃねえ。もうとっくに繕い屋だ」

「そうか。いいなあ。なりたいものになれるなんて幸せ以外の何ものでもないよ」

「……お前もなりゃあいいじゃねえか、なりたいものに」

「イトシは、ばかだね」

 ストレートに言われて、俺は手を止めてついアイラの顔を見た。

「何だと?」

「人の話、聞いてる? あたし、もうすぐ死ぬんだよ? なりたいものになる時間なんてないんだって」

「死ぬようには見えないぞ」

 俺は人の心を探り合う駆け引きみたいな会話が嫌いだ。面倒臭くなって言ってやった。

「お前、たださぼってるだけだろ」

「さぼるって?」

「学校に行くことも、人と関わることも、何かを好きになることも、何かのために頑張ることも、お前は全部、さぼってる」

 それから真っ直ぐ、彼女の顔の真ん中を指さした。

「お前はなにより、自分自身であることをさぼってる」

「……自分自身?」

「演技してるだろ? もうすぐ死ぬ可哀そうな自分ってやつを」

 微かにアイラが目を見開いた。

 傷つけたのかもしれない。でも、今更、黙ることは出来なかった。

「家が近所っていうだけで、友達でもないのにこんなとこまで押しかけてきて、俺の気を引くようなことばかりする。

 作業台の上で昼寝だって? お前、本当にそんなことをするキャラクターなわけ? 何かするたび、何か言うたび、こっちの反応を伺うように、じっと見てるだろ? 俺がお前に同情でもすれば満足すんの? そういうの、鬱陶しいんだけど」

「……満足?」

 と、アイラは小さく呟いた。

 俺に、というより自分に言っているように聞こえた。

「あたしが満足すること、か」

 アイラは少し考えているふうだったが、すぐに俺に顔を向けた。

「イトシ、こっちに来て」

「は? 忙しいんだよ。お前の相手なんか」

「そう。じゃあ、こっちから行く」

 アイラはするりと作業台から降りると、俺に近づいてきた。来るだけなら構わない。問題なのは、彼女の指がブラウスのボタンにかかっていることだ。もどかしそうに胸のリボンタイをはぎ取ると、アイラは第一ボタン、第二ボタンと何の迷いもなく外していく。

「……は? ちょ、ちょっと待て!」

 音を立てて俺は椅子から立ち上った。

「アイラ、何脱いでんだ!」

「あたしを満足させてくれるんじゃなかったっけ?」

「そういうことを言ってんじゃねえ!」

 思わず声が裏返る。

「落ち着け、アイラ! 脱ぐな!」

「嫌だ、脱ぐ」

 そして、彼女は俺の目の前でブラウスを脱いだ。俺は声も出ない。ただ、露わになったその白く華奢な体をみつめていた。

「お前、それ……」

 彼女の胸には、真っ直ぐに伸びた大きな手術跡があったのだ。

 病気って……本当だったのか。

 それじゃあ、もうじき死ぬっていうのも……。

「繕ってよ、繕い屋さん」

 屈託のない明るい声と明るい瞳でアイラは俺に言う。

「綺麗にしてよ、その帽子みたいに。傷もののあたしを美人に繕ってよ」

 俺は肩越しにミシンの上にある縫いかけの帽子を見た。古くてぼろぼろだったジーンズが、今、新品の帽子として生まれ変わろうとしている。

「あたしじゃ無理か」

「いや」

 俺は、自虐的に笑うアイラを静かにみつめて言った。

「お前が綺麗に見えるように繕えばいいんだな。……やってやるよ」

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