第18話 魔法使いの許容量 再び
午前で学校は終わり、葉山が背中で、横顔で、カバンで、わたしにこっちへと招く。みゆきには用事があるから、部活に少し遅れるかもと言って、教室を離れた。たどり着いた先は、予想通りの技術室だった。前に来た時と雰囲気は変わっておらず、使い古された大き目な机が、ごろりごろりと居座っている。何を言われるのか、というより、進路を決めた理由を上手く誤魔化せるか、心配だった。
「ちょっと待って」
と言い残して葉山は技術準備室に消えた。わたしは立ったままひとりになった。目の前にある机の傷跡の一つに触れる。一体この傷はいつできたんだろ。何があったんだろ。傷つけてしまった時、今のわたしみたいに焦ったのかな。先生に怒られたかな。それともバレなかったのかな。うまく誤魔化せたのかな。そんな事を考えていたら、葉山はすぐに戻ってきた。
「これどう?」わたしの隣に立って、机の上に出してきたのは、写真だった。モノクロだったから最初は何だかよくわからなかったけれど、
「あの時の?!」二年生の三学期、バレー部の子達と一緒に写真を撮ってもらっていた。あの時のわたしは乗り気ではなかったんだよね。
「本当に現像できるんだね!」感心して写真に見入ってしまった。自分の顔の作りの中途半端さについてはさておき、バレー部の面々が可愛くて仕方ない。さっきまで感じていた焦りは、この瞬間消えた。
「できないと思ってたの?」葉山が笑った声で聞いてきたから、わたしは気分が良くなった。
「うん。ごめん。でも尊敬しちゃう!見直したよ」と声も踊るのだった。何度見ても素敵なモノクロ写真に、心ときめいていると、
「これも見てよ」葉山がもう一枚、写真を上に重ねた。
なんだろ?
フェンス?
も、もしかして……
わ、た、し?
「これって……」
フェンスの向こうで、コートにひとり、サーブの練習をしている自分だった。春休みの間、学校になるべく早く行き、みんなが来る前に自主練をしていたのだった。テニスコートはまだ寒さを抱いていたが、月先輩とのあの一件より、勉強も部活も努力をすると決めたのだ。
だが、これは一体。なぜという顔を葉山に向けた。
「ストーカーだと思わないで。僕は撮りたいものを撮っただけなんだ」
葉山の口元にあるほくろは、少しだけ笑っている。なんでだろう。そして葉山の白くて細い指は、写真の淵をそっとなぞっていた。
「もう脈ありじゃないって事はわかってるつもりなんだ。だから諦めなきゃって思ってるんだ。だけど、諦めなきゃって思えば思うほど、諦められない。春休みに君がひとりでコートに立って、ひたすらサーブを打ってて、納得しない顔とか連続で失敗して肩を落としていたりとか、そんな姿が見えて、思わずシャッターを押した。ぼくにはモノクロの君でさえ、愛おしく思える。」
ひぃぃぃぃぃぃ
自分が思っているより葉山の思いが真剣で、恥ずかしいやら、気まずいやら。
「だから、馬鹿みたいだけど、同じクラスになれてうれしいんだ。だけど、やっぱり君の進路って、僕が思い描いてたのと違うんだよね。だから何でなの?」と、葉山の眼光が強みを増した。
そうか。やはり、結局これを聞かれるのだ。焦燥に包まれる。
「別に、いいじゃない?みゆきと同じクラスが良かったから、同じ進路にしたんだー」今度はわたしが写真の角を触って、写真をゆっくり回した。
「へー、野際じゃないんだ」葉山の目線がこちらから離れないのが、見えてなくてもわかる。
「野際は、わたしとは段違いのレベルにいるんだから、同じ大学なんか目指せるわけじゃないし、なんで私が野際と」何この状態!葉山は何にも納得しないない様子だ。
「じゃ、海阪?」
「いやいや、あーるの飛び級、今日知ったし」
「え?あいつ、君に話して無かったの?嬉しい事はすぐに言うタイプだと思ってたけど。特に君には」この件に関して、野際は心底驚いているようだった。
「あーるにはあーるの考えがあるんじゃない?わたしは知らないよ」そう言えば、高校受験の時も、あーるの考えてる事がわからなかったな。口喧嘩した二年前の冬を思い出す。
「君がどうしてこういう進路を選んだのか、結局わからないままか。まっ、そのうちわかるでしょ」野際はまだ納得していないが、諦めてくれるらしい。
「だから、みゆきと同じクラスが良かっただけだよぉ」と念を押すしかない。
「じゃ、部活あるから行くね。写真見せてくれてありがとう」わたしは自分の写真の下にあった、最初の一枚を上に重ね今一度眺めた。美女達の笑顔は、モノクロになったとしても、古びた傷だらけの机の上でも、輝いて
ごめん
という文字の羅列が聞こえた次の瞬間、わたしの体はわたしのものでなくなった。
部活に行きたい。
動かない。
部活に行くんだ。
動けない。
教室に戻って。
動きたい。
荷物を取って。
動かせない。
葉桜並木を突き抜けて。
動くんだ。
運動場を横切って。
動こうとするんだ。
部室に行って。
だけど。
着替えて。
動けない。
コートに立つんだ!
動けないっ!
ようは後ろから葉山に……。つばも飲み込めないし、空気を吸うのも、吐くのもはばかられる。同級生に抱きしめられるなんて、なんだか漫画みたいじゃないか。誰もいない、学校の一室で。だけど、わたしだよ?おかしくない?絶対に間違ってる。
ていうか、恥ずかしい!!!!!!
「あの、あの、あのね、葉山くん、離してくれ、るか、な」
あまりにも不慣れな状況に、なぜだか
「僕の事、振りほどいて行ってみたら」
葉山は私の後ろにいて、両腕でわたしの鎖骨辺りを覆っている。私の両肩はすっぽりと葉山の手に収まっていた。左耳の上の方に葉山の横顔があるような気がする。葉山ってこんなに背が高かったかな?なんか男の子って感じがする……。
いやいやそうじゃない!一体全体、何言ってんだこいつは!
「葉山が離してくれたらいいじゃない」
わたしは懇願する思いで、言葉を出す。
「好きな人が近くにいて、笑ってて、誰もいなくて、思わずって感じなんだけど、どう思う?」
完全に葉山にコントロールされている模様。葉山はいたずらでこんな事をしているんだろうか。
「どうもこうも、わたしを茶化さないでよ。田舎育ちだからって馬鹿にしてるんでしょ」
目の前にいない葉山に抗議する。
「そういうのじゃないよ。僕は至って真剣なんだけどな。ホントに君は、どうしたらわかってくれるんだろ」
段々と葉山が背中に重く圧し掛かる。離してくれる予定はないのだろう。わたしはようやく少しだけ、足に力が入るのを感じた。葉山がくっついている部分は、全く動かせないけれど、あともうちょっとしたらきっと。
数メートル先の、技術室のドアを眺める事、何秒か何分か。あと少したら、力がもっと入れられるようになって、振りほどけるはずの泥のような体。
ガラっ
え?
開くと思っていなかった、ドアが開いた。
え?ほんとに?
誰であっても状況は不味い。
「あのさ、矢歌はぼくと付き合ってるんだから、そういうの止めてくれるかな?」
馬鹿みたいな状況に、輪をかけてアホみたいな言う男子生徒が入ってきた。
男子生徒→野際
野際が笑顔で、わたしの目の前までさっと来て、葉山とわたしを別けた。
「へぇ、初耳だけど」と葉山は腕組みし、不敵な笑いをほくろに映しながら、机に体を預けた。
「極秘なんで。そこんとこ宜しく」と野際はわたしの肩に手をかけて、笑いながら技術室を出た。
こういう日を厄日って言うんだ。絶対そうだ。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます