第19話 ウソにウソ

「ここまで来れば大丈夫でしょ」

 そう言って野際は、技術室から遠く離れた、反対側にある渡り廊下まで、わたしを連れてきた。空は春の模様をしており、そのすじ雲がわたしの体の中で、行く当てがないと、暴れているようだった。

「野際、もう手を離して、くれても、よくない、かな」

 わたしの肩を抱いている野際の手が、スッと何も無かったかのように引いて行った。その瞬間の安心感たるや、何の比にもならない。神様に性別はないと思っていたけれど、野際は男の子なんだと、初めて自覚した。


「そのままでも僕はよかったんだけど」笑いながら野際はわたしの方を見ている。

「ちょっと、誰かに見られたらとか、考えないわけ?!」わたしは、部活をするよりも鼓動が早い心臓に困りながら、野際に抗議する。

「別に良いよ。付き合おっか。それが良い。葉山君への牽制けんせいにもなるし。嘘でも良いし。そういう事にしとこうよ」笑顔でとんでもない事を言う野際に、バケツの水を思いっきりかけてやりたい気分になった。

「ちょっと。嘘でそんな事してなんの特になるのよ。やだよ」わたしは何が正しくて何が違うのか、わからなくなった。ただ、嘘で男の子と付き合うだなんて、わたしにそんな勇気はない。


「じゃ、本当に付き合おう。何か問題ある?」成績ナンバーワンのこの男の言う事が、さも正しい事のように聞こえてくる。わたしが間違っているのだろうか。

「付き合うってさ、お互い好きって事で成り立つんじゃないの?」頭の悪いわたしは、とりあえずの一問目の答え合わせに取り掛かった。

「まーそうだけど、僕たち別に仲悪いわけじゃないし。それに葉山君をどうにかしたいだろ?いい方法だと思うけどなー」答案用紙に、自信ありで書いた答えが合わない。

「葉山の事を気にしてくれてるのは、ありがたいんだけどさ、わたし達が付き合ってるって、みんなに知られるわけでしょ?それってまずくない?」バカはバカなりの答えを持っている事を主張する。

「僕は全然平気だよ」全く揺るがない野際に、白旗を上げてしまう寸前の所で、


「あ、野際部長、ここにいた!って、はーちゃんもなんで一緒なの?!」


 出た。あーるだ。こいつはこういう悪いタイミングを、選んでやって来ているに違いない。わたしはもう抱えきれない気持ちに窒息しそうになっていた。


海阪かいさかか。ちょうど良かった。報告だ。僕と矢歌は付き合う事になった」


 ちょっとちょっとちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!


「部長、冗談ですか?」あーるはニコニコ笑っている。

「あはは。本当だ。っていうか、今更って感じなんだ。前々からそんな雰囲気あっただろう?気が付いてると思ってたんだけど」野際も同じようにニコニコ笑っている。

「はーちゃん、本当に?」わたしの方を向いたあーるは、真剣な顔をしている。

「何にも言いたくない」これが今、わたしが言える精一杯だった。

「矢歌、照れる事ないのに。海阪だって心得てるさ」一体何を心得てるのかさっぱりだ。


「ふーん、そうなんだ。受験だって言うのに、余裕だね、はーちゃん」

 てっきりあーるはわめくもんだと思っていたけれど、意外と冷静に話をしている。それが何だか物足りなくて、淋しかった。なんでかって、答えはそこに出ているのに、気が付かないフリをした。

「僕たちは、付き合うけれど、勉強をおろそかにするつもりなんてないよ。矢歌と一緒の時間は全部勉強さ」

 野際のやつ、なんて爽やかに、恐ろしげなことを言うのだろうか。

「そっか。じゃ、仲良くどーぞ」

 その言葉だけ残して、あーるはそこから立ち去った。去りゆくあーるを止めたかった。違うんだって言いたかった。でも、葉山の件を言うとなると、さらに状況が悪化するだけだ。だから一歩も動けないし、小さな一言さえも発せないのだった。


「あいつ、何か用事があったんじゃないのか?じゃ、そういうことで、僕は部活に行ってくる。矢歌もそろそろ行けば」

 あーるを追いかけたのは、わたしじゃなかった。野際も去った渡り廊下で、ひとり膝を抱えたわたしだった。


 部活にはものすごく遅刻してしまい、みゆきに怒られてしまった。三年の引退試合が控えていると言うのに、自覚がないと。その横から、もえがふふふっと笑いながら割って入ってきた。

「まあまあ、みゆきちゃん落ち着いて。はじめちゃんはいつもがんばってるじゃない。こんな事めったにないんだから許してあげて。うふ」

 この女帝はさっきのあの出来事を見ていたかのような、そんな雰囲気をかもち出している。そんな事あるはずないのに、わたしは恥ずかしさを、折り畳めるだけ折り畳んでストレッチを始めた。


 船に乗る前、西の方から強く風に、制服があおられた。本土から島に帰る最後の船なのに、あーるの姿が見えない。一本前で帰ったのだろう。合わせる顔がなかったから、ありがたかった。島に着くと、港に我が家の軽トラが止まっていた。母さんだった。みゆきの家のも来ている。

「もしかして風強いから漁に出ないの?」急いでタラップを降りて、母さんに近づいた。

「その通り。今日は休み!久しぶりにみんなで食事ね」母さんは軽トラを唸らせながら帰路を走った。


 今日、唯一救われた。だけど、大好きなはずのロールキャベツの、味がしなかった事を母親に言えるはずはなかった。弟たちのゲームに付き合って、爆笑してみても、面白いわけじゃなかった。本当の事を話さないのが、楽なのか、苦しいのか、その事について、テンにごちゃごちゃと言われる前に、眠りにつこうとした。


 嘘で野際と付き合って、あーるにも葉山にも、みゆきにももえにも嘘をついて、わたしはこの世界で一人ぽっちになるのでは、そんな焦燥にかられるのだった。それに月先輩が知ったら、どう思うだろうか。遠く離れてるからって安心じゃない。月先輩に嫌われてしまうのかな。

 眠りに落ちる前、

「お前さ、答え出てるのに、知らんふりか。らしいけど」

 そんな言葉を、ソックモンキーに入ったテンが、呟いた。今日を終わらせたい私の脳みそに、救いがたいと、もやをかける声だった。


 つづく

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