第9話 魔法使いの許容量

 二学期になった。夏休みの宿題はあーるがみてくれたおかげで、みゆきの世話になることなく終わった。だが、野際にどんな顔をして会ったらいいのか、わからなかった。クラスは違うのだから、そんなに考え込むことはないかと思いながら、はじめは教室を目指した。


「矢歌」


 後ろから声がした。さっそく野際だった。タイミングが良いのか悪いのか、わたしは笑うことができなかった。


「どうしたのそんな顔して。具合悪いの?」

「いや、宿題の事。。。」

「あー、海阪が息巻いて来た時はびっくりしたよ」

「ごめんね、あいつ礼儀知らずで」

「気にしてないよ。海阪の性格は理解してるつもりだよ」

「本当に申し訳ない」

「矢歌が謝る必要はないよ」

「だけど」

「いいって。二学期もよろしくね」


 そう言って野際は、わたしを追い越して隣の教室に入って行った。野際の優しさに救われたわたしは、少しだけ気楽になって教室に入った。次の瞬間、先に教室に入っていた葉山と目が合う。


(まずい)


 わたしはみゆきの所に近づく。


「みゆき、あのさ…」


 ぎこちないのは自分が一番よくわかっている。が、目をそらすにはこれしかなった。どうでもいい話をみゆきと交わして、どうにかホームルームが始まるまで持たせるしかない。必死で葉山に背中を向けた。こういう時には時間が過ぎないと、わたしは腕時計の針を睨む。


「ね、矢歌」


 振り向くと、葉山がいた。表情が固まる。


「絵川、矢歌借りていい?」

「うん、どうぞ~」


(コラコラコラ―――!!!)

(本人に聞け!!!)


「矢歌、廊下出よ」


 言われるがままに、廊下に出た。警察に捕まった泥棒の気分だとはわたしは思った。何を言ってくるのか、下ばかり見ていると。


「緊張してる?」

「まあ。。。」

「それはうれしいな」

「なんで?」

「僕の事、意識してくれてるってことでしょ」

「ちょっと廊下だよ」

「恥ずかしい?」

「当たり前だよ」

「僕は気にしないよ」

「わたしは気にする」

「返事、聞かせて」

「今?!」

「だってこのままじゃ卒業しても聞かされそうにない」


 図星だった。葉山には気の迷いだったと思ってほしい。そうはわたしは考えていた。葉山もかっこいい部類の男子生徒だ。見た目はサラサラの黒い髪の毛に笑うと細く三日月のようになる目が印象的だった。あの告白があるまでそんなに気にした事がなかったけど、教室でよく笑っていて、上がった右口角の近くに小さなほくろがあった。で、彼が他の子に告白したら、かなりの高確率でOKしてもらえるだろう。その男子生徒が自分の目の前にいて、付き合ってくれと返事をせがむ。


「あのさ、今ここでは無理」

「じゃ、いつのどこならいいの?」


 何を言っても諦めそうにない葉山に、あーるを重ねる。葉山がこんなに積極的だとは、思いもしなかった。サトと呼ばれ、控えめで温厚そうに教室で振る舞うこの男子生徒の、違う一面を見た気がした。いや、これがこの男の本性なのかもしれない。


 わたしは必死で返事を考える。何を言えば諦めてくれるのか、どういったら追及されないのか。だが、こういうことに慣れていないわたしの脳みそには、その答えがなかった。


「はーちゃん、葉山君、ホームルーム始まるよ」


 みゆきが声をかけてきた。わたしは思いっきり、心の中でみゆきに感謝した。今までも感謝してきたが、今年はこれが一番かもしれない。


「わかった。葉山君教室戻ろう」


 そう言って、さっさと教室に入る。二学期が始まったばかりだというのに、この有様。わたしは葉山をどう遠ざけるか、悩みに悩んだが、やはり良い手立てがない。午前の授業は進むが、わたしが抱えている問題は全く前進しない。


 昼休みになった。お弁当をみゆきと食べ終わって、片づけていると、


「ねぇ、はじめちゃん。ちょっと来てくれるかなあ」


 もえがお決まりの笑顔で、近づいて来た。笑顔の人間不信になっているわたしだった。


「何?」

「来てくれたらわかるよん」


(あれ?こんな会話なかったっけ?)


「みゆきちゃん、はじめちゃん借りてもいい?」

「うん。はーちゃん、行っておいで」


(だから本人に聞け!!!)


 仕方なくもえの後ろを付いて行く。なんだか今日はそんな日なのかなと、わたしは頭を抱えた。もえは一階の玄関ホールに案内した。


「せんぱぁーーーい!お待たせしましたっ!」

「もえちゃん、ありがとう」


(月、せんぱい!!!)


「はじめちゃんに用事があるんだってぇ。うふっ」

「じゃ、私は失礼しまぁす」


 そう言って、もえはその場を去った。わたしの心臓が、脳みそが、鼓動を通り過ぎて固まる。


「久しぶりだね、矢歌」


(矢歌って言われた)


 矢歌という文字がホール中に反響しているかのようだった。


「あ、はい。お久しぶりです」


 正直なところ、陸上部の練習を見ているわたしにとっては久しぶりではなかった。颯爽と走る月先輩の姿を、見逃さないように毎日必死だった。


「あのさ、去年の合宿の事覚えてる?」

「はい」


忘れるわけがなかった。


「今年もしようってことになってね」

「そうなんですね」


一生懸命普通でいようと思った。


「よかったら、矢歌にまた宿泊先とのやり取りを任せたいんだ」

「それくらい、いいですよ」


こんな事何でもないんだと。


「助かるよ。けっこうみんな楽しみにしてて」

「島の人達も、陸上部みたいな人たちが来てくれたら活気づきますから、喜ぶと思います」

「そうなんだ」

「ええ、去年、島のおばちゃん達がかっこいいって言ってました」

「ははっ。それは光栄だ」


 自分の目の前で月先輩が笑っていると思うと、わたしの毛細血管は震えた。


「ナオマサー」


 月先輩を名前で呼ぶのは、先輩と同級生であろう男子生徒だった。


「ナオマサ、二年の女子捕まえて何してんの」

「何もしてないよっ」


(あれ?月先輩、ちょっと焦ってる?)


「きみ、名前は?」

「矢歌です」

「あー、島出身の子だろ?ナオマサが面白いって言ってた」

「え?」

「おいっ。そんなこと言ってないだろ」

「もしかしてお泊りの話だろ」

「合宿だよ。言い方に気をつけろよ」

「同じだろ。矢歌さん、ナオマサのことよろしくね」

「はあ」

「じゃ、矢歌、また連絡する。行くぞ」


 そう言って男子生徒の首根っこを持って、月先輩は去って行った。


 午後からは去年の合宿のことを思い出していた。もうあれ以上のことは望まないと思う気持ちと、もっと近づきたいという願いが交差する。放課後、テニス部の部室で着替えて、コートに入る。二学期から主将になったみゆきが、顧問と話をしていると思ったら、集合をかけた。


「近々、合宿をするつもりです」

「「「え?先輩と寝食共にできるんですか?!」」」

(なぜ黄色い声が上がる。。)

「場所は、田舎方面です」

「「「えっ?!暗かったら先輩に抱きついていいですか??!!」」」

(なぜみゆきには、この手の崇拝が半端ないのだろうか。。)


 いったいどこでやるのだろうか、そもそも何で合宿なんぞしよと思ったのか、後からみゆきに聞いてみようと、わたしはラケットを回した。


「日程は陸上部と合わせるつもりなので、決まったら知らせるけど、合宿がある心づもりにしておいてね」


 手からラケットが落ちる。拾おうとしたら、誰かが取ってくれた。ありがとうと言いかけて、相手の顔を見た。もえがとびっきりのスマイルでラケットを持っていた。


(まただ、また、やられた)


 わたしは種も仕掛けも解った気がした。マジックの神様はいない。いるのは極めて計画的な犯行を堂々と遂行する女帝様だ。


 その日の夜、相変わらずソックモンキーに入ってテンが話しかけてくる。


「今日、」

「言わないで」

「はいはい」


 今日の全て出来事を、わたしは思い返した。やはり思い返したくなかったかもしれない。この状況をすべてなかったことにできないのか、そんな考えがよぎった。


「それは無理」


 テンからお馴染みのツッコミを入れられる。そんなことはわかっている。だが、何もかも、今起きている何もかもが、ルービックキューブのようにうまくいかない。何をした?何を間違えた?何が悪かったのか。


「悪いことは何にもない」

(……)

「ありがと、テン」

「俺はお前だぞ。自分にお礼言うな」

「うん、ありがと」

「泣くんじゃねーよ。何の涙だよ」


(泣いてないのに、テン、何を言ってるの?)


 漁に出るために、お母さんとお父さんが起きてきた。台所の方から物音が聞こえる。わたしは目を閉じた。九月はまだ、夜も暑さを残していた。薄い毛布の熱気を逃がすように寝返りを打つ。もう一度寝返りを打つ。すると頬をうずめた枕が濡れていることに気がつく。汗ではない。


いつの間にか伝った涙を知った。


(テン、ありがと)


つづく








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