第8話 恋?夏?爆発?

 高校生になって二回目の夏休み。今年こそは課題を自分でやるつもりで、わたしは部活から帰った後、疲れた体を机にくっつけた。


「無理無理、みゆきに任せろよ」


 ソックモンキーの中に入ったテンが話しかけてくる。昨日、目の部分のボタンを付け直した。前と同じ色がなくて、緑色の糸で縫う羽目になった。目玉が緑色。カラコン仕様のソックモンキーだ。


「最終的にはそうなるかもしれないけど、少しくらい成長しないと」

「けど勉強、得意じゃないんだから」

「確かに、解けない問題ばっかり」

「明日は部活休みだろ」

「うん」

「じゃ、物理部のやつに勉強教わりに行けよ」

「…物理部、夏休みに活動してるかわかんないし」

「いなかったら、いなかったで、学校で勉強しろよ。家より集中できるだろ」

「言われてみればそうだ。よしっ、そうと決まれば寝る!」


 電気を消した。ドアの向こうから弟たちの盛り上がってる声が聞こえた。レベルでも上がったのか、ボスを倒したのか。母さんがいい加減にしなさいと怒っている。夏休みが始まってからというもの、弟たちのゲームが止まらない。もうゲーマーになって生計を立てたらいいんじゃなかと思うくらい。そんな適当なことを思いながら、眠りについた。


 翌日、船に乗っている学生は何人かいたものの、わたしはひとりで座っていた。みゆきは家の手伝いをするそうだ。バスに乗って、歩いて、学校に着いた。学校の前庭には、まばらにひまわりが咲いていた。その中で一番背の高いひまわりの前で止まる。ひまわりの黄色が眩しい。深呼吸をしたら自分の胸の中にひまわりが咲いた。妙な元気を身にまとって、物理部の教室を目指した。


 物理部は化学教室を使っていた。途中、職員室を経由して物理担当教諭がいることを確認した。これであいつらがいる確率は高い。職員室を通り過ぎて階段を駆け上がる。化学教室は三階の一番端っこにあった。そっと、ドアを開ける。その瞬間、


バンッッッッッ!!!!!

「「「やったーーー!!!!!」」」


 爆発音とともに、生徒の喜ぶ声。わたしは目を丸くしたまま動けなかった。


「いやー、これ簡単すぎたか」

「簡単だけど、水素濃度と酸素濃度をしっかり2:1にしたから、爆発も大きかったよね」

「次の爆発何にする?」

「いや、それよりもう一回これやろうぜ」


 盛り上がりが、盛り上がったままの状態でキープされている。教室の片隅でも、物理の小人達が舞っているかのようだった。わたしがぼーっとドアに挟まっていると、物理部の同級生、野際國光のぎわくにみつが声をかけてきた。


「あっ、矢歌。いたの?さっきの爆発みた?」

「うん。すごい音だったね」

「でしょ。もう一回やるよ、矢歌見るよね?」

「いや、爆発の音、心臓に悪いよ」

「そう?僕たちときめくよ?」

「でしょうね」

「で、なんか用事?」

「そうそう。課題の数学、わからなくて」

「わざわざそのために学校来たの?」

「仕方ないでしょ。あんた達はここにしかいないんだから」

「それもそうだ。教室に行ってて。後から行く」

「わかった」


 次の爆発の準備が、着々と済んでいく光景にビビりながら、わたしは二階の自分の教室を目指した。十分もしないうちに、野際が来た。最初のページから野際は丁寧に教えてくれた。野際は高校一年生の時に同じクラスだった。今は隣のクラスにいるが、わたしは野際を頼りにしていた。話しやすくて、気も遣わなくて、頭が良くて、最初のきっかけがなんだったのか忘れてしまったが、野際と知り合いになれて良かったと心から思う。


「野際、一学期のテスト、また一位だったね」

「歴史、落とした」

「それでも二位で総合一位だったじゃん」

「野際君は強欲だから、全部一位になりたいの」

「なにそれ、厭味」

「違うよ。希望を述べただけです」

「わたしも野際みたいに頭良かったらなぁ」

「ははっ、それじゃぼくが矢歌のそばにいたくて勉強教えるっていう口実がなくなるよ」

「え?」

「…国語も教える?」

「どういうこと」

「これ以上は野際君言いたくないでーす」

「……」

「それじゃ、次の問題。もっとペース上げないと終わらないよ」

「うん」


 意味ありげな発言をされたような気がしてならなかったが、課題を終わらせたい気持ちも強かった。それに野際が話を止めた。お互いあれ以上の会話をする必要はないと感じていたならそれでいい。それでいいはずなのだ。


 野際は根気よく、わたしに勉強を教えた。わたしもここぞとばかりに集中した。同じような公式を使うところは飛ばしつつ、ポイントを押さえながら野際は説明してくれた。二時間たって、さすがに野際を物理部から離して、束縛してしまっている状況を反省した。野際とも話して、八月に入った時に、また同じように勉強する約束をした。お疲れと、野際は教室を後にした。


 わたしは、課題に再び取り組む。忘れないうちに解いておきたい問題が山ほどあった。日は落ちつつも、教室に容赦なく降り注ぐ。さすがに暑くなって、教室の窓を全部開けると、少しだけ風が通った。お茶を飲んで、窓の外を見る。野球部の声が聞こえる。かすかだけれど、バットにボールが当たる音も聞こえる。耳が心地よくなって、暑さがほんのり和らぐ。


「はーちゃんっ!」


(…あーるだ。)

(ここ、二年生の教室なんですけど)


と心の中で言いつつ振り返る。


「何?ていうか、いたの?」

「今日はちょっと遅く来たんだよ」

「で、何?」

「さっきまで野際と一緒だっただろ」

「なんで知ってるの?」

「物理部に行ったら、野際、いなかったのに、さっき教室に帰ってきて、他の奴らと、はーちゃんに勉強教えてたって話してて」

「物理部の同級は、わたしにとって先生なんだよ。野際は数学・英語担当なの。ていうか先輩でしょ。野際先輩 だよ」

「ここで野際とふたりっきりだったんだろ」

「そういや夏休みだけど、めずらしく今日は誰もいなかった。なんでだろ」

「勉強はおれが教える」

「一年生でしょ」

「三年生の問題解ける」


(そうでした)


「でもさ、野際いるし。他の物理部の同級もいるし」

「野際と一緒にいてほしくない」

「理由は」

「野際がさっき、矢歌が、矢歌がってうるさいんだよ」

「そう言うと思った。あのねー、何度も言うけど、中学までと違うの。ここは高校。島の外。矢歌ってわたしの名字だから、みんなそれを使うの」

「とにかく、夏休みの残りの課題はおれが教える」

「いいよ、さっき野際と次の約束したし」

「それはおれから断っとく」

「いやいやいや、それは違うぞあーる」

「何にも違わない。じゃ、物理部戻る」


 また不機嫌で強気なあーるが出た。さっきまでの涼しい風がピタッと止まって、暑さのみが蛇のように体に巻きついてくる。ああなったあーるを、わたしは止められないでいた。最近ああやって突っかかってくる。矢歌と呼び捨てにする人間がとにかく気に入らないらしい。


 テンが言った通りになった。喧嘩まではいかないけど、喧嘩腰には違いない。野際にあいつなんて言うつもりだろう。お互いに気まずい感じにならないか、わたしは心配しつつも、あーるを追いかける事ができなかった。


 夕方になるまで、わたしは課題に取り組んでいた。思ったより時間がかかったのは、あーるの言動を思い返して集中できないでいたからだ。あの時やっぱり、あーるを説得するべきだったと反省する。胸の中で咲いていたひまわりが、西日にこうべを垂れた。バスの時間が迫っていた。課題と筆箱をかばんに突っ込んで、少し陰った教室を後にした。


 残りの夏休みはテニスで埋まってしまった。野際と約束していた日も結局練習が入った。部室に行く前に、化学教室に行った。さすがに早かったのか、鍵もかかっているし、ドアのガラスから覗くが、教室には誰もいなかった。また後から来ることにして、わたしは階段を降りようとした。


「おはよう。矢歌」


(この、声、は、、、)


「おはよう、葉山君」


 顔の表情筋がフリーズする。


(まさかここで会うとは)


 あの告白から約一か月。もう過去の事だと、記憶の隅っこの、箪笥たんすの奥の、そのまた奥の方に追いやっていた。しかし、こうやって本人を目の前にすると、あの瞬間が昨日のことのように思い出される。心なしか墨汁の香りもしてくる。わたしは苦し紛れの平然を装った。


「朝、早いんだね。写真部なのに」

「写真部に早い遅いはないよ。好きな瞬間を撮るためには、どんな時間んだって起きるし、どんな場所だって行くよ」

「そっか。わたし、行くね」

「あの返事、考えてくれた?」

「えっ、本気だった?」

「僕、冗談であんなこと言えるほど余裕ないよ」

「ちょっ、わたしじゃなくても良くない?他にかわいい子たくさんいるし」


(変な汗が出る)


「だから、ね、わたしなんかに告白とかしちゃダメだよ」

「はぁ、なんで伝わらないかな」

「だから、なかったことに。わたし、部活に行くから」


(ここを離れなきゃ)


 降りかけていた階段を視界に急ぐ。


「待って」


 左腕を掴まれる。


「痛いっ」

「ごめん」

「いや、大丈夫だから。行くね」


 まだ何か言いたげな顔の葉山を置いて、わたしは階段を駆け下り、運動場を通り過ぎて、テニスコートに入る。心臓が早く打つのは、きっと急いで走ったせい。ただそれだけのせいだと心の言い聞かせる。


 今年ももえは日焼け止めを塗って、日陰にいる。みゆきがキャプテンと何か話しをしてる。わたしは早くテニスに集中したかった。さっきつかまれた左腕に葉山の余韻が残っていた。もしかして掴まれた跡がついていて、誰かに気付かれてしまうのではと焦るのだった。


 真夏の神様に早くこの感触を掻き消してと願う。わたしの心を映しているかのように、木々が風に、日差しに揺れる。


つづく


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