第7話 棚から告白


「矢歌さん、好きなんだけど。付き合ってくれる?」それは全くもっていきなりだった。


 クラスメイトの男子から言われた。わたしは目の前にいるその生徒の、苗字を思い出せないでいた。


(他の子から、サトって呼ばれてたっけ)なんとなくそんな気がする。


 書道の授業を受け、片づけをしていた。今日は物品管理の当番で、全部元の場所に置いてあるか確認し、鍵をかけて、それを職員室に持って行かなければならなかった。当番は三人だった。そのうちの一人が忘れ物をした生徒に届けてくると、書道教室を出て行った。はじめは急いで数と場所の確認していた。もう一人の当番がサトだった。確認し終えて、鍵を手にした時だった。想定外もいいところだ。こんな漫画みたいなことがあるだなんて。わたしは硬直していた。


「矢歌さん、返事は?」その男子生徒はまっすぐにはじめを見て言った。

「あっ、ちょっと。。。」人生初の出来事に慌てるわたし。

「ダメ?」まだこっちを見ている。

「あー、いや、そうことじゃなくて」なんでこんな事になっているのか。

「OK?」容赦なく返事を聞いてくる。

「あの。。。」どうしようが脳みそを巡る。

「うん」彼の声は優しい。

「鍵、持ってかないと」なんとか出た言葉だった。

「わかってる」たぶんそんな事は聞いていないとでも言いたいのだろう。

「時間ない、、から、、」これ以上の言葉を期待しないで欲しかった。

「わかったわかった。返事はまだでいいよ。考えといて」と言うと、彼はわたしの手から鍵を取り、職員室へは自分が持って行くと言って、その場を離れた。


 わたしは混乱していた。初めて告白された。自分には縁遠いことだと思っていた。今年の梅雨は、毎日のようにしとしとと、小雨が続くことが多かった。雨の日のテニス部の練習は、体育館と校舎をつなぐ、長い渡り廊下の屋根の下で、単純なボールの打ち返しの反復練習だった。梅雨の練習はつまらなくてやりがいがなかったが、今日の固まった脳みそには、その単純さが有り難かった。


 部活に行く前に、わたしは教室の名簿を見て、彼が葉山久人はやまひさとという名前だとわかった。もちろん、みゆきを先に部室に行かせ、もえがいないのを確認してからだ。ろくに名前も覚えていない人間からの告白。あれは白昼夢なのかとも考えた。書道の仙人のいたずらだったんだろう。


 雨の日の練習は早めに終わる。バスに余裕で間に合うのはうれしい。だけど陸上部の練習は見られない。傘をさしてバス停に向かって歩いた。みゆきが紫陽花がきれいだとかなんとか言っている。花の話題は好きなのに、そっちに気持ちが切り替えられない。また、心のこもってない返事をしてしまう。


「あっ、陸上部。はーちゃん避けよ」みゆきが足を止めた。


 傘の淵を上げる。見たことのあるユニホームが向こうからやってくる。今は遠くだけど、彗星のように、すぐ目の前を通り過ぎるのはわかっていた。傘の分、いつもより余計に端っこに避ける。別にこっちが避けなくたって、陸上部の部員達は平気で車道を走る。みゆきは人類に優しいからこういう行動をする。


(避けるの絶対私たちだけ)変に目立つような気がして、やっぱり傘の淵を下げる。


 コンクリートの地面を蹴る音がどんどん近づいてくる。次の瞬間、はじめの傘がふわっと舞い上がる。スローモーションになり、通り過ぎる集合体の中に、月先輩を確認する。久しぶりに見る姿に、嘘がつけない鼓動。あの秋の静かな花火を思い出す。あの時、咲いては散りゆく花火に照らされた、月先輩の横顔、話をして笑ってくれた、無邪気で明るい声を忘れてはいない。あの時はもうこれで十分だと思った。けれど、もう一度、月先輩と話がしたい。隣にいたい。そして、自分がいることを意識してほしいと思うようになってきた。


(贅沢なこと考えちゃって)と都合のいい自分を笑ってしまう。


 今日も一日の終わりがやってきた。弟たちがめずらしくゲームをしていない。部屋を覗くと二人とも寝ていた。台所で母さんがコーヒーを入れていた。


「母さん、コーヒーなら入れたのに」コーヒーはわたしの担当だった。

「たまには自分で入れるわよ」キッチンのふちに肘をかけて母さんはコーヒーを飲んでいた。

「漁には何時に出るの?」今日はりがないから母さんも余裕なんだろう。

「一時かしらね。父さんが時間迷ってたみただけど」母さんはまた一口コーヒーを飲む。

「ふーん、じゃ、おやすみなさい」わたしは自分の部屋に戻ることにした。

「あ、薪が足りないんじゃない?雨続きで」母さんが長女の仕事に心配をしてきた。

「大丈夫。多めに土間に入れて、濡れたやつは干してるし」梅雨は今年が初めてじゃないっての。

「できるわねえー」笑いながら母さんは最中に手を伸ばしていた。

「当然っ、ふふっ」わたしもつられて笑ってしまった。

「ふふふっ、はじめの笑う顔久しぶりに見たわ」思わぬ言葉だった。

「そうかな?」母さんの方に向き直る。

「最近、なんか元気なかったから。母さん、父さんと一緒に漁に出て、あんた達とあんまり一緒にいないけど、我が子の顔色くらいはわかってるつもりよ」母さんはそういうと最中もなかを口にした。

「でも、私、元気だよ」そう言って部屋に帰るはずだった手を最中に伸ばす。

「元気かどうかも怪しいわね」またコーヒーを一口含み、

「学校行ってるし」最中を取るわたしを見ている。

「学校行ってるからって、元気だとは限らないでしょ」コーヒーを飲み終えた母さんはコップを洗った。

「……」わたしはこの展開に黙った。

「じゃ、おやすみ。母さん寝るわ」コップを伏せた母さんはキッチンを離れた。

「うん。漁がんばって」とわたしはできるだけ元気に言った。


 こんな話、母と初めてしたような気がする。毎日忙しく、疲れている父親と母親に話しかけることも、話しかけられることもあまりなかった。与えられた家事さえこなして、弟たちのことを気にかけていればそれで安心されると思っていた。なんだか親子の心通う話ができて、わたしはうれしかった。


「かーちゃん、わかってるよなー」今夜もソックモンキーに入っているテンが話し始める。目のボタン部分が、少しゆるくなっているような気がした。


「あーると毎日一緒に通学して、学校でもたまに会って、その上今日は同級生に告られて、先輩に横切られて、お前今日はサービスデーだったな」おもしろがってテンが話す。

「テン、私、最近笑ってなかった?」

「無理してたかな」

「テン、私、元気なかった?」

「そうだな」

「母さんなんでわかったんだろ」

「そりゃ、かーちゃんだからだよ」

「それ以上の理由はないか」

「そういうこと」

「葉山くん、からかってたのかな」

「そう思ったんなら、無視すれば?」

「ううん、そうは思わなかった」

「じゃ、返事しなきゃな」

「こういう時、みんなどうしてるんだろ」

「誰にも聞けないか」

「あー、めんどうだな。こういうの」

「そうだな。お前の得意分野ではないな」

「はっきり言うなぁ」


 なんだか笑えて、気持ちが軽くなった。まぶたが心地よく閉じていく。そいういや天気予報で明後日は晴れるって言ってたような。私の心の中に降り注ぐ、なんだか整理のつかない意味不明の気持ちも、雨のように上がってくれたらいいのにと思いながら眠りについた。



 梅雨が明けた。テニスコートの水はけが悪く、すぐには利用できなかったが、数日中には使える予定だ。雨は上がっていたから、学校の前庭の広く空いたスペースを使って練習しても良い事になった。いつもよりかは思い切ってボールが打てる。あれから葉山は何も言ってこない。かといって自分から返事をする勇気もないから、わたしは保留の状態にしていた。やっぱりあれはいたずらだったんだよ。葉山君はわたしみたいな、かわいいでもない、優しいでもない女子と付き合いたいだなんて思わないよね。


「はーちゃーんっ!」


 あーるだ。話しかけられたくないタイミングがなぜわかるのか、頭を抱える。


「あーる、ちょっとこっち」


 はじめはあーるのシャツをひっぱる。


「はーちゃん、シャツ引っ張らないでよ」

「わかった」


 と言いながら、引っ張って玄関に入った。それでも、後からもえに何か言われるのは確定していた。


「あーる、今、部活してるんだから話しかけないで」

「怒らないでもいいじゃん」

「怒ってない。常識を伝えてるの」

「そんな常識ないよ」

「じゃ、新しい常識追加しといて」


 はじめはあーるを見上げて睨む。だが、あーるの大きな瞳に自分が写っているのに気がつく。あーるが自分だけを見ていることがわかって、あわてて目をそらす。


「で、用事は何?」

「用事?」

「話しかけてきたでしょ」

「はーちゃんがいたから」

「はぁぁぁ?!」

「それって常識ない?」

「うぅ。あーる、、、」

「はーちゃんいたら声かけるの、そんなに常識ない?」

「なんかそういう問題じゃなくなってきた気がする」

「じゃ、何だよ」

「ところで物理部はどうしたの?」

「今日はさ、匍匐前進ほふくぜんしんについて語り合ったぜっ!!」

「物理と何の関係があるのよ」

「いいんだよ。みんなが興味のあることをとことん語りつくせるのが物理部のいいところなんだ」

「あの人たちなら、考えられなくはないわね」

「はーちゃんの同級生の人達、すっげぇ面白いこと言ってくれて楽しいっ」

「ならよかった」

「じゃ、わたしは練習に戻るから」

「はい。今度は練習中に話しかけないから」

「用事があるときは、いいんだよ」

「わかった」


 あーるは笑っていた。この笑顔が中毒性を増している。ふいにあーるの頬に触れたいと思った。止められない右手。あーるの頬骨をなぞる。まだあーるは笑っている。わたしの右手に、あーるの左手が重なる。中学生の時に学校からの帰り際、よくこうやっていた。付き合ってはいないが、部活が終わった後、よく二人っきりで話をしていた。まわりには付き合っていると思われていた。だけど、そいう関係ではなかった。


海阪かいさかくん」


 現実に引き戻される。島にいる時みたいに、誰にも見られていないていでやってしまった。わたしは右腕を引っ込めた。


「葉山先輩、今から撮影ですか?」


 あーるからとは思えない言葉が飛ぶ。視線をずらすとそこには葉山がいた。


「知り合い?」

「海阪くんがね、写真部にも興味があるって言ってくれてね」

「おれ、葉山先輩は尊敬してるんだ。葉山先輩の写真、みたら感動するぜ」

「葉山君て、写真部だったんだ」

「矢歌さん、同じクラスなんだからもっと僕に興味持ってよ」


(そういう言い方しないで、ずるい)


 じゃあと、玄関を飛び出るわたし。あーると一緒にいて、二人っきりの雰囲気作ってるところを葉山に見られた。後頭部がふらふらする。テニスの練習に戻る。乱打はとっくに終わってボレーの練習に移っていた。集中できないせいで、ボールがとんでもない方向に飛び、植え込みに入って行ってしまった。わたしは急いで取りに行った。植え込みには、クチナシの花が咲いていた。花言葉は『とてもしあわせです』。今の自分には厭味だとしか思えないクチナシの甘い香りに、あーると葉山と月先輩を思うわたしだった。


つづく






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