第4話 週末は
九月になった。夏休みはひたすら部活だった。みゆきに大半の答えを教えてもらって、課題を済ませた。もえは日焼けしたくないと、毎日日焼け止めを塗って、日陰に入っていた。なんでこの子、外の部活に入ったんだろ?そういや聞いたことなかったな。
「ねぇ、はじめちゃん。ちょっと来てくれるかなあ」昼休み、もえが猫なで声で私のところに来た。ポニーテールも猫のような動きをしている。笑顔はかわいいが、その裏にあるものを考えてしまう。
「何?」不審でいっぱいのわたし。
「来てくれたらわかるよん」それを気にしない女帝。
「ここで言ってくれてもいいでしょ」わたしは少し強気で答えた。
「昼休みなんだし、教室出ることも覚えたほうがいいよ」と瞳を黒くさせて女帝はわたしの弱いところをついてきた。こいつ、こういうところはよく見てるんだよな。田舎で少人数の中で過ごしてきたから、実は、高校でどう動いたらいいのかわからないでいた。みゆきは同じクラスにいるし、私は教室を出なくても不自由しなかった。
「教室出るの、苦手ってわかってるんならなおさらじゃない。ここで話してよ」開き直るしかないと思った。
「ここじゃ話せないから、頼んでまーす」しつこく言ってくるもえにイラついた。
「わかった。どこいくの?」降参じゃありませんよ。怒っています。
「ついて来たらわかる」勝負に勝った女帝は機嫌良さげだ。
「ちょい待って」と私はトイレから帰ってきたみゆきに声をかける。
「なんかさ、もえがついて来いって言うから、行ってくる」みゆきに心配してほしかった。
「わかった。いってらっしゃい」意外や意外。なんの疑問もなくわたしを見送る。わたしの成長をそっと見守るつもりか?
もえと一緒に教室を出た。一年生の教室は三階にある。その廊下から続いている、外に出られる渡り廊下に出た。他の授業で、移動の時にたまに通るのみの場所。まだ少し日差しが強いけど、涼しい風が前髪を少し揺らす。渡り廊下で過ごしてる生徒が、思ったより多いことに気がつく。吹奏楽部の子が何人かで練習してた。楽器はできないから、ただうらやましく思えた。
「お待たせしましたーーー」もえが、一段と可愛らしい声を弾ませた。
その先には、
「月…先輩?」思わず気持ちがダダ漏れする。
「先輩、例の子、連れてきましたあ」猫なで声の最上級ってなんて言うんだろう。もえ、何をしている。この状況、話が見えない。
「君が島に住んでる子?」先輩の声をこんなに近くで聞くのははじめてだ。
「あっ、はい。そうです」なんだか言葉に詰まる。
「先輩、矢歌さんの島、海がきれーなんですよお」ネコナデ女帝は尻尾をふる。
「そうなんだ。今度、陸上部で週末を使ってプチ合宿しようと思っててね」先輩の声は青空のように静かに広がる。
「はぁ」事の次第がよくわからないから曖昧な相槌を打つしかない。
「三年の先輩達がもえちゃんと知り合いでさ、君の住んでる島にしてみたらって言われてね。一泊したいと思っているんだけど、泊まれるところある?ネットで調べても全然わからないから、住んでる人に聞けばわかるってもえちゃんが言ってね」ここでようやく真相がわかった。ああ、そういうことか。もえのやつ、絶対Sだ。
「キャンプ場があります。屋内施設もあります」なんだか観光案内人のように答える自分。
「よかった。ありがとう」安心したかのような笑顔がわたしのすぐ目の前。こんな表情をする人なんだ。走っている時と全然違う。
「先輩、矢歌さんに合宿の事で知っておきたいことがあったら、いつでも声かけてくださいよ」浮ついたわたしを現実に引き戻すネコ最上級の女帝。
「そうだな。また話聞くかも」先輩の声ってお日様の香りがする。
「あっ、はい。いつでも」またって次ってこと?再度ってこと?またって言葉の意味を調べたい。
「あっ、昼休み終わる。君たちも教室に帰ったほうがいいよ」心配してくれた先輩の声がキーホルダーになって目の前で左右に揺れた。
そうやって別れた午後からの授業に身が入らなかったことは言うまでもない。放課後になって、部室に向かいながらも、わたしはまだ昼休みの事が頭から離れない。幼馴染様は察しているのか、興味ないのかわからないけど、何があったのか聞いてこない。もえも何も言ってこない。くっそー。みゆきには言えないし。言いたくないし。もえに言ったところではぐらかされるのが落ちだな。島を薦めた件をもえに抗議したかったけれど、口では絶対負けてしまうのがわかっていた。自分でも整理のつかない、くやしさと恥ずかしさでいっぱいになって、その日の練習はみゆきが時間に気がつくより早く切り上げた。
船にゆられ、まだ気持ちを引きずってる自分にため息が出る。夕日に向かいながら進む船に、身を任せていた。夕暮れも好きだ。細い細い月が見える。
「はーちゃん、月きれいだね」私たちは船の外にある席に座っていた。
「うん」わたしは月に目をやる前に何を見ていたのかわからない。
「月齢28だってさ」みゆきもわたしも季節の変わりゆく姿が好きだ。
「うん」だけどそういった意味で返事をしたわけでもない。
「今夜は競りがないないね」明日の中央市場がお休みの関係だ。
「うん」だけどそれも気にしているわけでもない。
「父さん達ゆっくり寝てるね」競りがなければ漁に出るのは二時間遅くなる。
「うん」だけどそんなことはわかっているだけ、ただそれだけのことだった。
心ここに非ずの返事を、みゆきは怒らずにいた。それにまた甘えてしまう。
これは事態が収拾するまで落ち着かないんだろうな。陸上部が、島で一泊の合宿をするってだけのこと。わたしには関係ない。お世話しろって言われたわけじゃないし。腹をくくることにした。少しずつ深くなる夕暮れのように、わたしの気持ちも少しずつ落ち着いていった。
結局十月の最初の週末に、陸上部の合宿は決まった。暑さが続いたせいもあった。土曜日の夜、昼間の部活に疲れ切って帰ってきたわたしは、弟達とゲームを眺めていた。何してるんだかわからない画面と、一喜一憂する弟たちが心地よかった。とんとんと背中をたたかれたような気がした。テンだ。電話か。
数秒後電話が鳴る。みゆきだ。なんだろう。
「なに?」みゆきだったからダイレクトに質問した。
「もえがさ連絡してきて、キャンプ場に行ってって言われたんだけど」これはもしかして、
「うっ、」みぞおちのあたりが痛くなる。
「はーちゃんに言えばわかるって」みゆきだけが状況を把握できていない状態だ。
「あーー、はい。。。」もえは天才だ。ここで仕掛けてきたか。
「わかるの?」みゆきから連絡させるなんて。
「あのね、陸上部が合宿してるんだ」説明するしかない。
「そうなんだ。なんかあったのかな?」優しい人は他人をすぐに心配する。
「わからないけど、行くしかない」女帝の張り巡らせた糸に絡まったのだ。観念する蛾の気持ち。
「そうだね。五分後、キャンプ場側の道で落ち合おう」いつもならみゆきの案に異議を唱えることはないのだが、
「待って、七分にして」ぼさぼさの頭で先輩に会いたくなかった。
「わかった。七分後。じゃね」その返答でお互い電話を切った。
二分で急いで顔洗って髪を整えて服を着替えた。何を着るか迷いに迷った挙句、部活のジャージ上下にした。真面目かっ!自分に突っ込みを入れつつ、みゆきと合流した。キャンプ場までは、歩いて十分だった。宿泊棟に明かりがついてて、和気あいあいとした雰囲気が伝わってきた。なんて話しかけていいものやら、迷っていながら近づくと、
「あーーーきたきたきた!」三年生の女子先輩が声をあげた。
「今日の昼間、島の中を走ってたんだけど、この島から本土が見える場所があるでしょ?そこに連れて行ってほしいんだ。夜どんな感じで向こうが見えているのか気になって。でね、そこで花火したいんだけど、できる?」なんだそういう事か。本土の人間にはそんなに珍しいのかな。
「花火は問題なくできます。けど、ここからだと二十分くらい歩きますよ?大丈夫ですか?」この質問に、
「平気、平気~陸上部だよ!」と答えられて、質問が馬鹿すぎたと反省する。
「確かに。あと暗いですよ?大丈夫ですか?」これは結構心配な点だった。
「いいじゃーん!肝試しみたいでわくわくする!」なんてポジティブな人達なんだろうと少々呆れた。
「では、ついて来て下さい。みゆき、集団の後ろにいて」みゆきにしんがりを任せればまず間違いないだろう。
「わかったよ、はーちゃん」その声を聴きながらわたし達は歩きはじめた。夜中の陸上部大移動。いつもは静かな島の道路が人の声に埋まっていった。島の神様、めずらしく賑やかな夜です。どうか安全にたどり着けますようにと、わたしは潮の匂いを感じながら願った。
つづく
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