フロスベルス(フロス)

 自分がなぜ部屋を飛び出して来たか思い出した耕輔は周りを見回していた。

「塔は?」


 こうべめぐらすと背後に巨大な塔がある。

 塔は下から見ると針のような先端は闇に溶け込み高さをうかがい知ることを困難にしている。だが少なく見積もっても高さは百メートル以上あるだろう。素材は石なのだろうが継ぎ目が見当たらない。

 途中の窓が螺旋らせん状に並んでいるので、そこには階段があるのだとわかる。中腹のかなり大きな窓は観音開きの扉が付いており、空中への出入りに使うのだと思わせる。


 この塔に春華がいると玲奈は言っていた。

「塔の入り口はどこだろう」

 耕輔は塔の防壁を右方向に壁沿いに沿って小走りで入り口を探し始めた。表の入り口は左方向に回った方向にあったのだが、そのため裕司たちとすれ違ってしまった。


 壁沿いに小走りで入り口を探し歩く。

 耕輔は街の構造を全く知らなかったので、第二防壁の周りをウロウロしていた。第二防壁の外周には廻廊かいろうはなく道は壁沿いだったりどこかの敷地を迂回したりしている。結果迷ってしまった。

「どこをどう行ったらいいんだ。こっち行くと塔から離れてしまうし……」

 いま耕輔がいるあたりは大きな邸宅が多く、東京でいうと高級住宅地に当たる。みな高い塀に囲まれている。しかし、門や角に当たるあたりには魔法の明かりが設置されており、道は歩くに不自由しないくらいには明るい。でも、道には人影も見当たらないので道をたずねることもできないでいた。


 しばらくウロウロしていると人影を見かけ耕輔は走りよった。

「あのー、すいません……」

 耕輔は、話しかけようとして口ごもってしまった。


 十歳くらいの女の子がこんな時間に外にいるなんて、と言う思いから言葉が途中から出なくなったしまったのだった。この世界に限らず小さい女の子が夜に外を一人で歩いているのは普通じゃない。


 この世界には塾なんてないはずだ。道を聞こうとして別のことを聞いてしまう。

「あの、こんな時間にどうしたの?

 危ないよ」

 声を掛けて、あ、これは自分が危ない人になるパターンだと気がつき、焦りを感じてしまう耕輔だった。

「フロスベルスさま、どこにいるの?

 夜に外に出てはダメよ」

「フロスベルスさま、お返事してください」

 姿は見えないが誰かを探す声が遠くに聞こえる。どうも感じからこの子を探しているらしい。


「どうしたの、迷ったの?

 あの声はお嬢ちゃんを探しているんじゃないのかな?」

 耕輔は腰を落とし女の子と同じ視線の高さになるようにして話しかけた。

「いいの! いっつも私にあれをしちゃだめ、これをしちゃだめって、禁止してばかりなのよ」


 背中まで髪の毛をカチューシャで止めて、すそはざっくり三つ編みで両側に垂らしている。たけが腰ぐらいまでの柔らかい素材でできた、襟幅えりはばが広く襟の先が丸い可愛らしい上着を羽織っている。どう見ても絹でできたシャツを着ていた。

 暗いので色合いやデザインの細かいところはわからないが、膝上くらいのスカートと相まって瑞々みずみずしい可愛らしさを表現していた。顔つきも——この世界に来てから出会った人たちはアングロサクソン系がほとんどだった——アングロサクソン系の幼い子供は本当に可愛い顔つきをしている子が多いが、この子も多分に漏れず大変な美少女(美童女?)だった。


 耕輔はこの世界に来てからこのような上品な作りの服を来てる人を見たことがなかった。『これはどう見てもいいところのお嬢ちゃん、いやお嬢様クラスだな』と耕輔はつぶやき、自分が置かれている状況が見方によっては非常にまずいことに気がついた。

「耕輔、なにナンパしてるのよ、ロリコン?」

 アギーが耕輔の頭のてっぺんから顔を出す。

 この世界にもナンパとかロリコンって言葉あるのかよ、と心の中で突っ込みあわてて言い返す。

「そんなことあるか!」


「わー、めずらしー、可愛い~」

 その子は耕輔のことなど気にしちゃいない。

 すっかりアギーに気を取られかがんでいる耕輔の周りをくるくる回ったり、アギーのすぐそばに寄ってみたりしている。

「わたしはフロスベルス。フロスって呼んで。

 あなたのお名前はなあに?」


 フロスと名のった女の子は、耕輔には目もくれずアギーに話しかけている。

 そのアギーは、この街に来てからというもの、物珍しさから散々話し掛けられたり触られそうになったりしていたのでまたかという顔で黙り込んで返事をしない。

「ねぇ、お名前教えて。

 わたし、妖精のお友達だけはいなかったの」

 アギーが返事をしないので、ちょっと悲しそうになっている。


 耕輔は気の毒になって――まったくもって可愛いというのは魔法に等しい。特に耕輔みたいな迂闊うかつな人間にとっては、これが祐司だったら可愛いからと言って判断や行動が変わることはなかっただろう――助け舟を出した。

「なあ、名前ぐらい教えてあげてもいいんじゃないか」

「まったく、あんたは!

 名前を教えるってことは、えんが出来るってことよ。

 妖精にとってそれは軽いことじゃないの」

「僕にはすぐに教えてくれたじゃないか」

「あれは、あなた達が私の領分に入ってきたから。

 儀礼として必要だったし、状況によっては忘却の魔法とかあるし。

 それにあなた達、別の世界の人だったでしょ。

 なら、えんを気にする必要なんてね」

「へー、お兄さん別の世界から来たの?」


 二人の話を聴いていたフロスが割り込む。アギーが名前を教えてくれないのでつまらなくなっていたら、そっちの方が面白そうなので割り込んできたのだった。

「あ、いや……

 うーん、これは内緒だからね。

 僕と友達は、僕のせいで起きた魔法事故でこの世界に来ることになったんだ」

 耕輔は、誤魔化そうと思っていたのだが、フロスのあまりに可愛くて美しい真剣な笑顔に思わず本当のことを、しかも聞かれてもいない自分の責任のことをえて言ってしまった。


「なに、この世界に来ることになったのはあんたのせいだったの⁈」

 アギーは呆れている。

「お兄さんは魔法使いなんだよね。

 わたしも魔法使えるよ。

 ほら」

 フロスは腰の袋から小さな杖を取り出し、呪文を唱えて振る。


 二人の目の前に白い光点でできたもやが生じる。それは渦を巻いて集まり形作る。だんだん形がわかるようになる。それはドラゴンの形をしていた。ドラゴンはくるりくるりと3回ほど回りパッと光って消えた。

「わたしの得意魔法なの。

 基礎魔法なんだけど、思った形を光で作るの、綺麗でしょ」

「うん、綺麗だね」

 真面目な顔でお愛想を述べて、アギーにこっそりと聞いた。


「なあ、こっちの世界でも魔法の使える人間て少ないんだろ。

 あれはどうなの?」

「人間の使う魔法には詳しくないけど、あの歳の割にはイケてるんじゃないかな」

 ささやくように返事が返る。アギーは何か思うところがあるのか話しかけた。


「綺麗な魔法を見せてくれたお礼に私の名前を教えてあげる。

 私は、フローレスヴェレのアグレイア。アギーと呼んで」

 耕輔は独り言ちる。

「何だよ、名前教えても大丈夫なの?」

 それにアギーがささやきで返事する。

「いいの。

 この子とは何だかえんを感じる」

「じゃあ、アギー。

 初めまして、私はフロスベルス・バーナム・エンプレス。

 よろしくね」


 三人が打ち解けた頃だった。

 またフロスを探す声がさっきより近くで聞こえた。

「フロスベルスさま⁈

 そこにいるの?」

 耕輔たちに気がついたのか、その子を探す声が近づいてきた。


 耕輔は、これはまずいと立ち上がった時だった。

 耳をつんざ咆哮ほうこうが空から降ってきた。言葉通り空から土砂降りの雨のように圧倒し押さえつけられるような咆哮が響き渡る。耕輔は思わずふりあおぎ固まってしまった。アギーは耕輔にしがみついて目をつむり震えている。フロスも思わずそばにいる耕輔にしがみついて恐怖に目を見開いて固まっていた。


 真上に巨大な影がある。街明かりにぼんやりとうき上がり、星空をさえぎることでそこにいることがわかる。もう一度咆哮をあげると強く羽ばたき空に舞い上がった。耕輔はその空圧で吹き飛ばされそうになるがアギーとフロスを守って必死に耐えていた。


 離れたところで悲鳴が上がった。フロスを探していた二人づれが吹っ飛ばされていく。耕輔が羽ばたきの風圧に耐えきって安心したのも束の間、物がぶつかる轟音ごうおんが響いたと思うや二頭のドラゴンがからみ合ったまま落ちてきた。落下しながら進路の建物をぎはらう。石造りの家は横から加わった力で簡単にバラバラになり破片をあたりに振りまく。


 耕輔の足元に石の塊が落ちてきたことで硬直から解け、吹っ飛ばされた二人連れに気をかける余裕もあればこそ、咄嗟とっさ女の子フロスを抱え上げてその場から避難にげだした。


 土地勘のないところをやみくもに逃げたものだから袋小路に行き当たってしまった。

「参った、こっちは行き止まりか」

「なによ、しっかりしてよ」

「初めてきたんだ。道なんかわからないよ」

「あー、男らしくない。

 言い訳しないで逃げ道探しなさいよ」

 アギーに男らしくないと言われて、ムカついたもののこの状況では自分がなんとかしなくちゃならないのは確かだと自分に言い聞かせて辺りを見回す。


「お兄さん、そこを左に曲がって。

 それから、もう大丈夫だからそろそろ下ろしてちょうだい」

 その時、フロスが話しかけてきた。

「あ、ごめん」

 耕輔は慌てていたので言われるまで気がつかないでいたのだった。


 急いでフロスを地面に下ろした。降ろされたあと服を直しているのを耕輔は眺めている。成長期なのだろうか、手足が細くすらっと長い。作りの良い顔はもう五・六年もすれば輝くばかりの美少女になりそう、いやなるな。なんて場に合わない不謹慎ふきんしんなことを考えていた。

「一応お礼言っとくね。

 ありがとう」


 下を向いたままであまり感謝してる風には見えない。それはそうか、突然知らない男に抱えられたんだもんだな。

 怖かったよね。

 お願い、悲鳴上げないでと耕輔は心の中で呟きすぐ逃げられるように身構えた。

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