耕輔の後悔と怒り
耕輔の絶叫が狭い洞のなかに響き渡る。
「アギーは無関係!
案内してもらっただけだ」
激しい動揺で鼓動が跳ね上がる。顔色が青から真っ赤になっていく。立ち上がろうとした
「ちょっくら黙っていな。
外のデカブツに聞かれると厄介だからね」
そう言いながら、いつの間に取り出したのか細い金色に輝く紐と小さなリングを手に持っている。
「珍しい金色のフクロウも手に入ったし、今日はほんにいい日じゃ。
少し我慢しな。
契約が済むまでの辛抱さね」と言いなが手を伸ばしてくる。
その時耕輔の心の中にはこの言葉が渦巻いていた。
「また、僕は。また僕は……」
後悔と怒りで涙がにじむ。苔に締め付けられ口は開かなかったが唸り声を上げる。なんとかする方法は何かないのか、自分の憎むべき迂闊さが引き起こした窮地。切り抜ける方法を心の底から望んでいた。深く深く心の底深く、十五年の短い人生の中でなかったほど力を欲したのだった。
そして、それは、やってきた。自分の中にあったものだ。耕輔の願いに応え、この世界の力を取り込む。膨れ上がり出口を求め体の中でのたうつ。そしてそれは顕在した。
そばに寄ってきたヴェガがアギーに手をのばし、捕まえようとしたそのとき、耕輔から火花が伸びる。パチッという音と共にヴェガは弾かれたように手を引っ込めた。
「これはまた……」
ヴェガは呆れたような顔をしたが、機嫌の悪い顔へ表情が変わり呪文を唱え始めた。
耕輔を拘束した苔は更にキツく締め付けてきた、そして一部が伸びアギーを耕輔の頭から引きはがそうと動いた。
その動きを感じ、耕輔は何重にも纏わりついた苔を振りほどかんばかりに大声を上げるが苔のせいで
耕輔の体から苔の拘束着を弾き飛ばしながら、稲妻は更に太くなり手首ほどにもなって耳を潰さんばかりの轟音と目もくらむ雷光を振りまく。ついには壁を吹き飛ばし大穴を開けた。イオン化した空気の匂いが充満し、稲妻で炭化した壁や燃え出した薬草などの匂いで蒸せ返る。ヴェガはどこから逃げたのか姿が見えなくなっている。
何事かと外にいた祐司が中を覗くが慌てて身をかわす。すぐそばに稲妻が当たり入り口の脇と苔の絨毯を吹き飛ばした。アギーは祐司の頭にしがみついてる。耕輔はぐるりと洞の中を据わった目で見回すが姿の見えないヴェガに絶叫に近い大声で怒鳴った。
「アギーのことは諦めろ。これ以上僕を怒らせるな。
もう沢山だ」
最後のひと言は心の中を吐露したものだったが怒りに囚われている耕輔は気がついていない。
「諦めてたまるか、お前の
どこか遠くから声が聞こえてきた、声の主を探そうと耕輔は外に飛び出し、声がきたと思しき方向へ更に太く輝く雷光を飛ばす。
「もう誓約はなされたからねぇ」
えへっへっへと下卑た笑い声も聞こえるがどこにいるかわからない。
「耕輔!どうした何事だ」
祐司が耕輔の怒声に負けないくらいの大声で問いかける。
耕輔はそれに直接答えず吐き捨てるように言葉を投げ返す。
「あのババア弱みに付け込んで嵌めやがった」
耕輔らしくない言葉遣いになっている。いつもなら耕輔はこんな言葉は使わないのだが、度を過ぎた怒りがある意味余裕を奪っていた。裕司は『へえっ、耕輔もこんな言葉使うんだ』など場違いな感想を心に浮かべている。『余程のことがあったのだろう』と祐司は想像を巡らしながら、まず耕輔を落ち着かせようと言葉を探していた。
その時、消え入るような声で——二人の怒鳴り声に比べてだが——アギーが叫んだ。
「祐司お願い。あなたの剣で誓約の縛りを斬って。
魔法戦士のあなたなら……」
祐司は、アギーが何を言っているのかわからなかったが、耕輔とアギーの様子から事態を類推した。そして、薄目になり精神を集中する。
耕輔たちのやり取りを聞いていない祐司はもちろん冷静であった。そして、この世界に来てから魔法に関する能力・感覚が鋭くなっていることを感じていた祐司は見えないものが見えた。
集中すると、かすかな
「おやめ!」
森の方から叫び声が上がるが止めるはずもない。ノリトの詠唱が終わるとともに剣を振り下ろし目に見えない光の帯を斬る。手応えはなかったが、祐司には事象が変わったことが感じ取られた。そのせいなのか、少し元気そうになったアギーが安堵の声をかけた。
「ありがとう」
「おのれ!ガキども。
わしも
森の奥から呪詛の言葉が投げかけられてきた。
夕刻の気配が木々の隙間から差し込む光に混じり込んできていたが、それを超える速さであたりが暗くなってくる。森の奥から赤く光る目が不気味な唸り声を上げ湧いてくる。木々にかかっている苔の絨毯がざわざわと音を立てはじめた。赤い目は、黒い剛毛で覆われた、四本足の見たことのない獣で、あえていえば狼に似た形をしていた。
それが唸り声をあげて耕輔たちを取り巻いていく。口元には鋭い牙が見え隠れして、牙を剥くとそれがはっきりと見える。吠えたりせずに唸り声を上げながらジリジリと包囲を狭めてくるのだから、吠え掛かられるよりよっぽど恐怖心を刺激する。
チリチリとした緊張で耕輔は体がこわばってくる。戦うことには全く縁がないのだからしかたがない。型は幾つか裕司に教わっているがそれで戦えるわけがなかった。そのことを察した裕司が声をかけた。
「耕輔!深呼吸しろ、力が入りすぎると動けないぞ」
耕輔と祐司は背中合わせに立ち警戒している。祐司は剣を両手で構え、耕輔は左手の楽器を握りしめ、右手の人差し指を前に突き出している。耕輔は無意識のうちに楽器が魔法行使のトリガーとなっていることに気がついていた。
耕輔たちの脇の大木に開いた穴から煙が漏れ出し目鼻を刺戟する。
「まずいな」
祐司の声に頷き耕輔は大木に視線を投げる。その時大木の煙の出ていない穴から金色の物体が飛び出してきた。その物体は三人の頭上で数周輪を描いた後に飛び去る。先ほど見かけたフクロウであった。飛び去り際にこちらに視線を投げてきたような気がした。
「とにかくこの場から逃げるわよ。ここからならアウローラはそんなに遠くない。
森を抜けられればの話だけど。二人とも頼んだわよ。
方角はあっち」
そう言いアギーが金色のフクロウが飛び去った先を指さす。それは、森の更に奥深くを指し示していたが、二人には選択肢はなかった。
アギーの声をきっかけに光る赤い目の獣が襲いかかってきた。祐司はそれを斬り伏せる。斬り伏せた後、祐司は思わず剣に目をやる。余りに軽々と振り回せたので
祐司の心に歓喜のかすかな灯がともる、だが疑念も払えない。
彼は、未だかつて家伝の技を使えたことがない。いや、体を動かすことには全く問題はない。問題は、技がどうやっても伝わっているものにならなかったのだ。致命的に何かが欠けていて、それはだれも成功していなかった。
いまは考える余裕などない。裕司は意を決して、かつて一度も成功したことのない技『鏡面硬化鋭剣』を試みた。その技は、予備動作の中に魔法式に等しい効果が組み込まれていた。裕司によって形を得た魔法はこの世界の力を取り込み発現した。
剣身の鈍い輝きが光に包まれ鏡のような光沢を持つ。心が歓喜に満たされる。初めて成功を実感した。軽々と振り回し唸り声を上げ襲いかかってきた獣を切り払う。獣は軽々とまっぷたつに両断された。ほとんど抵抗を感じることがなかった。両断された獣は地面に横たわり、切られたことさえわからないのか足掻く足が空を切る。さらに襲いかかって来ようとしていたが、そのうち動かなくなった。
「これが、この技の真の姿か」
思わず裕司から声が漏れる。
魔法の効果は慣性の一部中和と時間固定。剣の慣性を一部中和し軽く振れるようになる、剣の境界面の固有時間を固定することで、原子の厚み以下になる境界線でどんな物体をも切り裂く理論上最も鋭い刃物。しかも固有時間が固定されているため絶対に刃こぼれすることがない。難点は、しなりが一切なくなることか、など浮かぶ意識を脇に押しやり次の獣に備える。
右からの獣を切り払う、と正面と左から同時に飛びかかってきた。正面の獣は切ったものの、まだ扱い慣れていない『鏡面硬化鋭剣』左からの獣の対処に遅れが出る。
「まずい」
隙だらけの半身を狙い飛びかかられた。
その刹那、まばゆい光が獣を捉える。焼け焦げた獣は激しく痙攣を起こし次に大人しくなった。耕輔が電撃で倒したのだ。耕輔が叫ぶ。
「数が多い。一度にこられるとまずい。魔法もいつまで使えるか……」
生まれて初めての大規模魔法行使だ、この世界での消耗率もわからない。いずれ打ち止めになると考えるのが当たり前だった。
「耕輔、あっちに向かって電撃をなるべく長距離飛ばせるか」
「できると思う。いや、やってみせる」
すぐに魔法を使おうとする耕輔を押しとどめ祐司は声をかける。
「俺の腰に掴まれ飛ぶぞ。アギーもしっかり掴まってくれ。
俺の合図で頼む」
次々に襲いかかってくる獣を切り倒しながらも、呪文を口の中で唱える。いや、伝説の技の名前をつぶやいた。アギーも祐司の背中にしがみつく。
「いまだ!」
耕輔は、その叫びを合図に数十メートルに及ぶ電撃を発生させ包囲の網を破る。それとともに裕司は『縮地』を使う。技を構成する魔法を意識の中に魔法式として構築し、その名前を告げることで『魔法』として発現させた。
自分を包み込む一定範囲の空間の慣性を中和し、重力質量はそのままに進行方向に重力場を発生させる。空間内は通常空間なので物理現象そのものに影響はない。空気抵抗と発生させる擬似重力だけがその速度上限を決める。
慣性が中和された空間ごと瞬時に獣の包囲を抜け森の中に姿を消した。
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