鱗の森のフクロウ婆や

 アギーは耕輔の頭から飛び立つと、洞の入り口と思しき辺りの空中に止まり声をかける。


「私は、フローレスヴェレのアグレイア。

 オリーの南のラースを守る小さき者が、フクロウの婆やたるヴェガに知恵を望み訪れん」

 アギーが口上を述べる。


 しばらくすると、その声に応じるように入り口を覆う苔の絨毯が緩み、縦に筋が入って黒い隙間が開く。そこから、光る目が覗き三人を見定めるようにしばらく見つめる。射抜くような視線がふっと消えると、どこからか方向がつかめない問いただすこもった声が聞こえてきた。


「何の用だい。

 人のうちの前でがあがあとうるさいね。いんや、ぶんぶんかね」

 入り口の絨毯がさっきより開いている。

「そっちの鳥の巣頭とでかいのはなんだい」

 最初は何のことかわからなかった耕輔も『鳥の巣頭』が自分を指しているとわかった途端とたん怒りで真っ赤になる。


「耕輔抑えて」

 祐司の小声でなだめる声と仕草に無理やり自分を抑えた。

 さらに声が聞こえる。

「まあいいさ。

 ちっさいのと、鳥の巣頭のは入っておいで。

 でかいのは外で待ってな。おまいさんは入れないよ。うちの中が壊れちまう」


 その声にアギーを見ると耕輔は今度は青くなった。アギーは『ブンブン』と言われてよほど腹が立ったのか、体の周りを例の暗褐色や紺色のオーラが纏わりついている。耕輔と祐司は視線で一所懸命抑えるように頼み込んだ。


「仕方ないわね」

 二人の懸命なお願いを受け入れたのか、アギーは渋々といった表情で機嫌を直したようだ。暗褐色のオーラが薄まり消える。


「入らないのかい。わたしゃ暇じゃないんだが」

 アギーがまたムッとして「うそでしょ。暇なくせに」と毒づく。

「はい、今すぐ」

 これ以上はまずいとばかりに耕輔は急いで返事する。


 祐司の方に視線を飛ばし、外での見張りを依頼しつつ絨毯を押し広げる。アギーに続いて中に体を押し込んだ。祐司は、視線で耕輔の依頼を受け入れる。二人が中に入るのを確認すると、入り口の前で外を向いて立ち辺りに目を配った。


 身をかがめて入り口を抜けると中は思ったより広い。場所によっては立ち上がっても頭をぶっつけずに済みそうだった。耕輔は一歩中に入り、中腰になりながら中を見回した。


 洞の中は薄暗く細部はよく見えないが、思ったより広く直径8mほどもあるだろうか。入り口の反対側の壁から少し離れたあたりに囲炉裏いろりのような火口ひぐちがみえる。そこから上がるかすかな煙は上方にある排気の為の穴から外に出て行くようだ。一部は部屋に広がり草木や薬草の焼ける匂いを洞の中に満たしている。そしてうっすらともやの元となっていた。


 右手には鳥かごと思しきカゴが幾つも積まれており、一番近いカゴに入れられた金色のフクロウが興味深げにこちらを見ている。その視線が記憶にさざ波を引き起こすが形をなすまでに至らない。心に引っかかるもののそのまま反対側を見る。


 反対側の壁には草花の干したものとかツボなどが所狭しと積まれていた。正面の囲炉裏のそばには小柄な老婆とおぼしき布の塊が、顔の辺りの布の隙間からまとわりつくような視線で、こちらをながめている。老婆だと思ったのは、人物だと思われるものはそれくらいしかなく、フクロウ婆やと聞いていたのでそうだろうと考えたからだった。


「僕は、この世界とは別の世界から来た矢野耕輔といいます」

 耕輔はまず名乗った。占いを頼むとすれば隠すわけにはいくまいと考え、別の世界からきたことを告げる。

 次にアギーに教わったように来訪の要件を伝えた。

「友人が二人いっしょに来ているはずなのですが、はぐれてしまって。

 探す手がかりが欲しくて、アグレイアさんに頼んで連れてきてもらいました」


 そのまましばらく黙って待っていたが返事がない。いい加減焦れてきた頃、奥の壁の手前の苔の塊が動いて隙間から顔が覗く、顔が真っ黒で人相はよく分からない。ニヤニヤと値踏みするようにこちらを見ていた。苔の塊と思っていたのは苔で出来た服だった。すそを引きずりながら囲炉裏のそばの布の塊を押しのけて座ると布の塊は崩れて中から一羽のフクロウが出てきた。


「おうおう、ギラ、お前はまたそこにいたのかい」

 フクロウはそれに応えるかのようにひと羽ばたきするとヴェガが持つ杖の上に止まり、羽繕いを始めた。


 耕輔は、黙って見ていたがさすがに焦れてきて声をかけた。

「アグレイアさんの話ではヴェガさんは占いが得意だと聞いています」

 ヴェガはそれに答えず、ジロリと耕輔をにらみ憎々しげにつぶやく。

「まったく、ガキは気が短くていかんな。

 人にものを訪ねる時には相手の都合に合わせるのは当たり前じゃろうが」

 老人は、口の中で更に何かつぶやていたが耕輔をジロジロと見回す。


「それで、吟遊詩人の坊やが鱗の森に何の用じゃ」

 ヴェガは先ほどの耕輔の依頼を無視して問いただした。

「吟遊詩人が今更わしに何を聞こうとゆうのじゃ。自分で魔法を使えばいいじゃろうに」

 面倒臭そうに囲炉裏に木片を焼べてよそを向いている。


 あまりのじれったさに耕輔の頭の上に止まっていたアギーが大声を出す。

「いい加減にしてよね。フクロウ婆や。

 こっちは遠くからわざわざ来たんだからね。

 いいからさっさと占いをしなさいよ」

「キンキンうるさいね。

 占いをしてわしにどんな利があるんだい。金でも持ってるのかい?

 おまえ妖精が持ってるわけないからね。

 そっちの坊やも持ってそうにないが」


 そう言われてしまうと耕輔は反論できなくなってしまう。頼む立場だし、弱腰なとこは相変わらずだ。途方に暮れているとさっきの金色のフクロウの何か言いたげな視線が目の端に入るが方策が浮かぶわけでもない。


「なんでもしますから」

 耕輔のその声に頭の上のアギーがぎょっとした顔をする。

「まって、いまのなし。間違いだから」

 慌てて否定するが後の祭りだった。


 アギーの声を無視してヴェガがニンマリと笑う。

「いま、なんでもするといったね。

 いいだろう占ってやろう」

 アギーは顔に手を当てて途方に暮れている。


 小声で耕輔はどうしたことかと問う。

「吟遊詩人の言葉は誓約だからね」

 アギーの説明に耕輔は自分の言葉が持つ意味を知ってぞっとした。誓約は自他の心を縛り、その履行を強制する強力な力だ。説明されるでなく、アギーから『制約』と聞いた瞬間、理解してしまった、その意味を。


 この世界では『制約』は強力に作用する。世界が強制するのだ。

 本当はこのタイプの誓約は相手がいるので、得られるものと与えるもののバーターで交渉の余地があるのだが、素直な耕輔はそんなことに気が回るはずなく。またアギーも若く——妖精としては若いらしい——経験不足だった。

 が、もう後戻りはできない。

 『別世界から来た無知な』耕輔はヴェガにまんまとめられてしまったのだ。だが、春華と玲奈の行方も知らなければならない。耕輔は勇気を振り絞り腹をえ占いの結果を待つことにした。ヴェガから少し離れた場所で膝立ちになる。あまり近寄りたくなかったのだ。


 ヴェガは草花が干してあるかたわらから幾つかの道具を取り出し、囲炉裏に戻りもったいぶった仕草で占いを始める。フクロウはそばの止まり木に止まり首をクルクル回してこちらを見ている。鳥だし何を考えているか推し量れない。ヴェガは薬草をパラパラと火にべ聞き取れない声で呪文らしいものをつぶやく。薬草の焼ける匂いがあたりに立ち込め、気をしっかり持たないと意識が持っていかれそうになる。


「これは……

 なんとした……

 わしの占いでもはっきりとは出ないとは……」

 思わずつぶやいたらしく、しまったという顔を途中で噛み潰し、何事もないかのように真顔に戻り、更に呪文や薬草を焼べる速度を速めるのだった。


 目をつぶり己の心象の中からのささやきに耳を凝らしているようだ。囲炉裏からの光の照り返しでヴェガの黒く艶のある顔の輪郭が、ぼんやりと浮かぶ。焔の中で何かがパチッと弾ける。それを合図にしたかのようにヴェガは語り始める。


「お前の想い人はこの世界に居るが、いないとも言える」

 突然想い人宣言され、こんな時なのに激しく動揺した耕輔だった。

 ヴェガの語りは続く

「もう一人は元の世界に居るが此処にも居る。先の女の行く先を知るなら輝く都市アウローラを尋ねよ」


「なんだかよく分からない結果だな。

 少なくともアウローラに行けば手がかりが得られるわけか」

 気を取り直した耕輔は結果を聞いてつぶやいた。その言葉は誓約の成立を宣言したも同様だったのだがその時は気がつかなかった。


 ヴェガは、結果はあまり思わしくなかったものの、世間知らずの若い吟遊詩人のつぶやきにニヤリと下卑げびた笑いを浮かべて要求を語り始めた。

「さて、そろそろ報酬をいただこうかの」

 さらに気持ちの悪い笑顔になりながら目は笑っていない。


「わしゃ前から妖精の使い魔が欲しかったんじゃ」

 その要求が音となるや否や、甲高いを超え聞き取れないような超音波の悲鳴が、アギーから上がる。耕輔も一瞬遅れて真っ青になり叫ぶ。


「だめだ、そんなのだめだ。

 そんなの許さない」

 耕輔の絶叫が狭い洞のなかに響き渡る。

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